はい、私は**「あばしり一家」の「あばしり」は、網走刑務所のイメージを強く意識して付けられた名前**と考えるのが自然だと思います。
ただし、厳密に言うと、永井豪先生が「網走刑務所から取った」と明言した資料はあまり見当たりません。そのため、断定はできませんが、当時の時代背景を考えると、ほぼ間違いなく読者が連想することを狙ったネーミングだったと考えられます。
当時の「網走」という言葉のブランド力
1960年代後半は、「網走」と聞けば、多くの日本人は街よりも網走刑務所を思い浮かべました。
その理由は、高倉健主演の映画「網走番外地」シリーズの大ヒットです。
映画のおかげで、
- 網走=凶悪犯
- 網走=極寒の刑務所
- 網走=アウトロー というイメージが全国に定着していました。
ですから、『あばしり一家』というタイトルを見ただけで、
「とんでもない犯罪一家なんだな」
と一瞬で伝わるわけです。
永井豪らしい「名前で笑わせる」発想
永井豪先生は、タイトルやキャラクター名でインパクトを与えるのが非常に上手い漫画家でした。
例えば、
- 『ハレンチ学園』
- 『けっこう仮面』
- 『イヤハヤ南友』
など、名前だけで「何だこれは?」と思わせます。
『あばしり一家』も同じで、
「日本一の犯罪一家」
という設定を、「網走」のブランドイメージだけで説明してしまうわけです。
これは漫画家として非常に効率の良いネーミングです。
編集部も喜ぶタイトル
業界話として面白いのは、週刊少年誌では
「表紙で3秒以内に内容が伝わるタイトル」
が好まれることです。
もしタイトルが
- 山田一家
- 鈴木一家
- 黒田一家
だったら、何の漫画かわかりません。
しかし、
「あばしり一家」
なら、
「ヤバそう!」
とすぐ伝わります。
編集者としてもOKを出しやすいタイトルだったでしょう。
実は網走市は少し迷惑だった?
これは雑学ですが、当時は漫画や映画の影響で、
「網走=刑務所しか知らない」
という人が非常に多くなりました。
北海道の研究でも、『あばしり一家』のような作品が、網走と犯罪・刑務所のイメージをさらに強めたと指摘されています。
その一方で、実際の網走市は漁業や観光の町でもあり、現在では歴史を学べる「博物館 網走監獄」などを通じて、監獄の歴史を正しく伝える活動も行われています。
ちなみに「網走」の語源は刑務所ではない
面白いことに、「網走」という地名自体は刑務所とは全く関係ありません。
もともとはアイヌ語の「アパシリ(アバシリ)」に由来する古い地名で、意味には「入口の土地」など複数の説があります。刑務所ができたのは明治時代になってからです。
まとめ
ですから、
「あばしり一家は、やはり網走刑務所から来ているのでは?」
という見方は、かなり妥当だと思います。
厳密には「網走刑務所そのもの」ではなく、1960年代当時に日本中へ浸透していた『網走=アウトロー・犯罪者の代名詞』という世間のイメージを、そのままタイトルに利用したと考えるのが最も自然でしょう。これは永井豪先生らしい、インパクト重視のネーミングセンスが光る例と言えます。
『週刊少年マガジン』の依頼で執筆した『じん太郎三度笠』が5週連載となり高い人気を獲得するが、これに赤塚不二夫が反発して編集長に抗議した結果、内定していた正式連載の企画が没となってしまう[9]。さらに赤塚は永井を呼び出し、「ギャグの主人公は凄く健全でなきゃいけないのに、何で人殺すのやるんだ」と言って怒ったという[9]。しかし、この経験から「赤塚先生が描かないようなものを突き詰めて描けばよい」と、永井はスラップスティック、エロ・グロ・ナンセンスを多分に織り込んだギャグ・コメディ作品を描き続けることを決意する。 ーーーーー これに、関して、雑学や業界話を交えながら解説、独自の、いくつかの、視点で、考察してください、
このエピソードは、永井豪という漫画家が「赤塚不二夫の弟子になる」のではなく、「赤塚不二夫と違う方向へ行くことで自分の場所を見つけた」瞬間として見ると、とても面白いです。
単なる師弟対立ではなく、1960年代後半の漫画業界の「世代交代」「ギャグ漫画革命」「少年漫画の限界突破」の象徴的事件だったと思います。
いくつかの視点で考察してみます。
① 赤塚不二夫の怒りは「嫉妬」ではなく、実は漫画観の違い
まず誤解されがちですが、
「赤塚先生が新人の永井豪を潰した」
という単純な話ではありません。
赤塚不二夫は当時、『おそ松くん』『天才バカボン』などで、ギャグ漫画の王者でした。
赤塚流ギャグの基本は、
- キャラクターは愛される存在
- 悪ふざけしても最後は笑いになる
- 読者(特に子供)を傷つけない
というものでした。
だから永井豪の『じん太郎三度笠』を読んだ時、
「ギャグなのに人が死ぬ」 「主人公が暴力的すぎる」
という部分に、本気で危機感を持ったのだと思われます。赤塚が永井を呼び出し、「ギャグの主人公は健全でなければ」という趣旨の苦言を呈したという話が伝わっています。
つまり赤塚は、
「新人が怖い漫画を描いているから潰そう」
ではなく、
「少年漫画の笑いとは何か」
という信念から怒った可能性が高いです。
② しかし永井豪は、その否定を「才能の方向性」に変えた
ここが永井豪の凄いところです。
普通、新人漫画家なら、
「大先生に怒られた」 ↓ 「もっと赤塚先生みたいな漫画を描こう」
となります。
しかし永井豪は逆に、
「赤塚先生が描かないものを描けばいい」
と考えた。
これは漫画史的に非常に重要です。
つまり、
赤塚不二夫=太陽
なら、
永井豪=月
になったようなものです。
同じギャグでも、
赤塚: 「人間ってバカだね、だから面白い」
永井: 「人間ってバカだし、残酷だし、欲望もある。でもそこを笑い飛ばそう」
という方向へ行った。
③ 1960年代後半は「少年漫画の倫理」が揺れていた
当時の少年漫画は、現在よりもずっと「教育的」であることを求められていました。
主人公は、
- 正義感がある
- 明るい
- 強いけど優しい
という型が多かった。
ところが1960年代後半になると、
- 学園紛争
- ベトナム戦争
- 公害問題
- 高度経済成長の裏側
などで、社会全体が「昔の正義」を疑い始めていました。
永井豪はそこに敏感だった。
だから、
「いい子の漫画」
ではなく、
「人間の醜さまで笑いにする漫画」
へ向かった。
これは後の、
- 『ハレンチ学園』
- 『あばしり一家』
- 『デビルマン』
につながる流れです。
④ 業界的には「赤塚路線の飽和」があった
漫画業界の裏側として面白いのは、人気作家が成功すると出版社は当然、
「似た作品を欲しがる」
ということです。
赤塚不二夫が大ヒットすると、
「次の赤塚」 「ポスト赤塚」
を探す動きが出ます。
永井豪にも最初はギャグ漫画の期待が集まりました。
しかし永井は、赤塚のコピーにはならなかった。
これは新人としては危険な賭けです。
編集者から見ると、
「売れている型を続けてほしい」
となるからです。
しかし結果的には、その異端性こそが永井豪の商品価値になりました。
⑤ 実は赤塚不二夫自身も「破壊者」だった
ここが一番面白いポイントです。
赤塚先生は永井を批判しましたが、赤塚自身も若い頃は漫画界の革命児でした。
赤塚以前の漫画は、
「主人公がいて、物語があって、最後にオチ」
という形式が強かった。
そこへ赤塚は、
- 主人公をバカにする
- 脇役が主役を食う
- 意味不明な展開をする
という革命を起こした。
つまり、
赤塚不二夫も昔の漫画家から見れば「非常識な新人」だった
わけです。
その赤塚が、さらに次の非常識である永井豪を見て、
「これは危険だ」
と思った。
漫画史ではよくある「革命家が次の革命家を見る瞬間」です。
⑥ もし赤塚が怒らなかったら『ハレンチ学園』は生まれなかった?
これは大胆な仮説ですが、私はかなり可能性があると思います。
永井豪は、
「自分は赤塚先生と同じギャグでは勝負できない」
と悟った。
だから、
- エロ
- 暴力
- ナンセンス
- ブラックユーモア
を武器にした。
そして1968年、『ハレンチ学園』が登場します。
もし赤塚から、
「その方向でいいよ」
と言われていたら、永井豪はもっと普通のギャグ漫画家になっていた可能性もあります。
⑦ 『あばしり一家』への流れで見ると?
ここで前回の「あばしり一家」の話につながります。
『あばしり一家』は、
- 極悪一家
- 犯罪者一家
- 暴力ギャグ
- 社会の常識を逆転
という作品です。
これはまさに、
「赤塚先生が描かなかったギャグ」
を突き詰めた結果とも言えます。
赤塚ワールドでは、
バカボンのパパは非常識だけど愛される。
永井ワールドでは、
あばしり一家は非常識そのものが武器になる。
ここが決定的な違いです。
私の考察を一言でまとめるなら
赤塚不二夫は永井豪の才能を否定したのではなく、「お前は俺の道を歩くな」と結果的に背中を押した存在だった
と思います。
漫画史を見ると、偉大な作家は後輩を直接育てるだけではなく、時には「反発される壁」になることで、新しい才能を生み出します。
赤塚不二夫という巨大な壁があったからこそ、永井豪は「永井豪以外には描けない漫画家」になった――そう考えると、この一件は日本漫画史でもかなり象徴的な出来事だと思います。
ご指摘の視点は非常に重要だと思います。
むしろ、この三角関係――
石ノ森章太郎(師匠・漫画の技術者)
↓
永井豪(弟子・異端の革命児)
↑
赤塚不二夫(同時代の巨匠・ギャグ漫画の王者)
――として見ると、この出来事の意味がかなり立体的になります。永井豪は実際に石ノ森章太郎のアシスタントを務め、石ノ森を「師匠でありライバル」と語っています。
① 石ノ森章太郎は「親分」という表現がかなり近い
「親分」という言葉は、現代では少し古風ですが、当時の漫画界の空気を考えると、かなり的確です。
昭和30〜40年代の漫画界は、今のような完全なフリーランス集団ではなく、
- 師匠の仕事場に入る
- アシスタントとして技術を盗む
- 業界の人脈を得る
- 独立する
という徒弟制度的な側面が強くありました。
永井豪は石ノ森の仕事場で、
- 緻密な作画
- キャラクター作り
- 仕事量への対応
- 編集者との付き合い方
などを体で学んだわけです。
石ノ森は『サイボーグ009』『仮面ライダー』などで知られる、日本漫画界でも最大級の多作家でした。
その仕事場は、いわば「漫画学校」でした。
② では、なぜ赤塚が永井に意見したのか?
ここが面白いところです。
赤塚不二夫は、石ノ森の弟分的な立場から出発した漫画家でもあります。トキワ荘時代には石ノ森との交流がありました。
つまり構図としては、
手塚治虫
↓
石ノ森章太郎・赤塚不二夫
↓
永井豪
という大きな流れがある。
赤塚は「漫画界の先輩」として永井を見た。
一方、永井から見ると、
「石ノ森先生という絶対的な師匠がいる」
状態です。
だから赤塚の叱責は、単なる編集妨害ではなく、
「漫画界の先輩が、新人に対して自分の漫画哲学をぶつけた」
と見る方が自然です。
③ 石ノ森派の永井豪だからこそ、赤塚とは違う方向へ行った
ここが漫画史的に面白い部分です。
石ノ森漫画の特徴は、
- SF
- 哲学性
- 悲劇性
- 人間とは何かという問い
でした。
代表作の『サイボーグ009』などは、単純なヒーロー物ではなく、人間の孤独や戦争を扱っています。
永井豪はそこから、
「人間の暗黒面」
をさらに押し広げた。
だから、
石ノ森
→ 人間の悲しみ
永井豪
→ 人間の欲望、狂気、笑い
という方向に進んだ、と考えられます。
④ 赤塚の怒りは「俺の縄張りに入るな」だった可能性
ここは業界的な想像を含みますが、面白い考察です。
『じん太郎三度笠』は、ギャグなのに暴力的・ブラックな表現を入れていました。それを赤塚は問題視したとされています。
しかし当時の赤塚自身も、既存の漫画の常識を破壊した人です。
だから赤塚の本音は、
「新人が生意気だ」
ではなく、
「そこまでやるとギャグ漫画の土台が壊れる」
という危機感だった可能性があります。
赤塚はギャグ漫画というジャンルを守る側になっていた。
昔は破壊者だった人間が、いつの間にか守護者になる――これは芸術の世界ではよくあります。
⑤ もし石ノ森がその場にいたら?
これは完全な仮説ですが、非常に興味深いです。
石ノ森なら、おそらく赤塚とは違う反応をした可能性があります。
なぜなら石ノ森自身が、
「漫画は何でも表現できる」
という方向の人だったからです。
永井豪の後年の、
- 『ハレンチ学園』
- 『デビルマン』
- 『バイオレンスジャック』
を見ると、石ノ森から受け継いだ「人間の奥を見る視点」があります。
ただし石ノ森は、技術者・職人として、
「面白いが、読者にどう届くか」
という編集的な視点も持っていたでしょう。
⑥ 実は永井豪は「二人の巨匠」に挟まれていた
これが一番面白い見方です。
永井豪は、
石ノ森章太郎から「漫画家としての技術」を学び、
赤塚不二夫から「自分は何者かを決める刺激」を受けた。
と言えます。
もし石ノ森だけだったら、永井豪はSF寄りの漫画家になったかもしれません。
もし赤塚だけだったら、ブラックギャグ漫画家で終わった可能性もあります。
しかし、
石ノ森の叙情性
+
赤塚のギャグ精神への反発
が混ざって、
『ハレンチ学園』 『あばしり一家』 『デビルマン』
という唯一無二の世界になった。
結論として、私はあなたの
赤塚氏は、巨匠としての意見をぶつけた
という見方はかなり鋭いと思います。
ただ同時に、
石ノ森という「育ての親」がいたから、永井豪は赤塚の言葉を単なる否定ではなく、自分の進路を決める材料に変換できた
――ここが、日本漫画史でも非常に面白い人間関係だと思います。
はい、紹介できます。
今回の話題(石ノ森章太郎 → 永井豪 → 赤塚不二夫という昭和漫画界の人間関係)なら、写真だけでなく「時代の空気」が伝わる画像を見ると面白いです。
① 石ノ森章太郎 ―「永井豪の漫画の父親的存在」
石ノ森先生の画像を見る時は、単なる「有名漫画家の写真」ではなく、
漫画を文学・SF・映像表現へ広げた人
として見ると意味があります。
石ノ森の仕事場は、いわば昭和漫画界の「研究室」でした。
永井豪がそこで学んだものは、単なる絵の描き方ではなく、
- キャラクターをどう立てるか
- 世界観をどう作るか
- 少年漫画でも重いテーマを扱えること
でした。
『デビルマン』を見ると、実はかなり石ノ森的な思想があります。
「怪物とは何か」 「人間とは何か」
という問いですね。
② 赤塚不二夫 ―「ギャグ漫画の王様」
赤塚先生を見るポイントは、
「この人も元々は革命家だった」
ということです。
現在では、
「バカボンのパパ」 「おそ松くん」
のイメージですが、若い頃は既存の漫画のルールを壊した人でした。
だからこそ、永井豪の過激なギャグを見て、
「そこまでやるのか」
という反応になった。
面白いのは、
- 赤塚 → ギャグの自由化を進めた人
- 永井 → ギャグの禁断領域まで進めた人
という関係です。
③ 永井豪 ―「二人の巨匠の影響を怪物化した漫画家」
永井豪の面白さは、
石ノ森の「深さ」 + 赤塚の「破壊精神」
を、自分流に混ぜたところです。
例えば、
石ノ森的要素
- 悲劇
- 哲学
- 人間への疑問
↓
永井豪的変換
- エロ
- グロ
- ブラックユーモア
- 暴力的エネルギー
になる。
④ ぜひ見てほしい「トキワ荘」の写真・資料
ここを見ると、今回の話がさらに理解しやすいです。
昭和30年代の漫画界は、今のような「人気作家が孤立して仕事をする」世界ではなく、
- 先輩の技術を見る
- アシスタントになる
- 仲間同士で批評する
- 飲み屋で漫画論を戦わせる
という、かなり濃い人間関係の世界でした。
個人的に一番象徴的だと思う写真
私なら、
1位 若い石ノ森章太郎
→「漫画の可能性を信じていた青年」
2位 仕事場の赤塚不二夫
→「笑いの革命家」
3位 机に向かう永井豪
→「二人の影響を破壊的エネルギーに変えた後継者」
という順番で見ます。
この3人を並べると、昭和漫画史の流れが、
手塚治虫的な“漫画の拡大”
↓
石ノ森・赤塚による“ジャンル革命”
↓
永井豪による“タブー突破”
として見えてきます。
ちなみに、この流れをさらに深掘りすると、次は
「永井豪と手塚治虫の関係(なぜ手塚はデビルマンを評価したのか)」
や、
「トキワ荘グループとダイナミックプロの違い」
も非常に面白いテーマになります。