はい、その記憶もかなり正確です😊
まず、『バカヤロー!2 幸せになりたい。』(1989年)の第2話「こわいお客様がイヤだ」には、まだデビュー間もない爆笑問題の太田光さんと田中裕二さんが出演しています。ほんの脇役ですが、今見ると「えっ、爆笑問題がいる!」という発見があります。
そして、大学についてですが、ここは少し訂正があります。
**お二人とも日本大学芸術学部の「演劇学科」**で出会っています。映像学科ではありません。 1984年入学で、在学中に知り合い、後にコンビを結成しました。最終的には二人とも中退しています。
日芸は「人脈の宝庫」
日本大学芸術学部、通称「日芸」は、学科の垣根を越えて交流が盛んなことで有名です。
特に1980年代は、
- 演劇学科
- 映画学科
- 放送学科
- 写真学科
- 美術学科
などの学生が、一緒に自主制作映画や学園祭の企画を作る文化がありました。
そのため、後に映画監督、俳優、放送作家になる人たちが学生時代からつながっていることが少なくありません。
『バカヤロー!』シリーズと若手タレント
このシリーズは、「これから売れそうな人」を積極的に起用していたことでも知られています。
例えば、
- 堤真一さんはまだ若手俳優。
- 爆笑問題は結成直後。
- 後には俳優として大成する人や、監督として名を上げる人も参加。
当時は制作費が潤沢ではなかったこともあり、若い才能をどんどん起用する作品だったのです。その結果、30年以上たって振り返ると「新人時代のスターが勢ぞろい」という、とても貴重なシリーズになりました。
業界の小話😊
実は、爆笑問題のお二人は映画好きでも有名です。
特に太田光さんは、学生時代から映画や文学に強い関心があり、後年には**『バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ』で監督**も務めています。芸人が映画監督を務める例は今では珍しくありませんが、太田さんはかなり早い時期からその挑戦をしていた一人です。
ですから、『バカヤロー!』シリーズを見返すと、 「若き日の堤真一」「駆け出しの爆笑問題」「後の名監督たち」 が一つの作品に集まっている、まさに1980年代末の日本エンターテインメント界の「タイムカプセル」のような作品だと言えます。
はい、そのとおりです😊
ウッチャンナンチャン(内村光良さん・南原清隆さん)は、日本映画学校(現在の日本映画大学の前身)の俳優科出身です。そして、その学校を創設したのが映画監督の今村昌平さんです。
面白いのは、今村昌平監督は「お笑い芸人を育てよう」と思って学校を作ったわけではないことです。
もともとは1975年、映画会社の撮影所システムが衰退し、「映画人を育てる場所がなくなってしまった」という危機感から学校を設立しました。今村監督は、
「人間に興味を持て」
という言葉を建学の理念に掲げ、人間観察のできる映画人を育てようとしていたのです。
ところが…
不思議なことに、この学校からは映画監督だけでなく、
- 内村光良さん
- 南原清隆さん
- 出川哲朗さん
- バカリズムさん
- 狩野英孝さん
など、お笑い界の第一線で活躍する人たちも数多く卒業しています。
業界ではこんな話があります😊
なぜ芸人が多く育ったのかというと、俳優科では
- 即興劇(エチュード)
- 身体表現
- 人間観察
- 台本作り
を徹底的に学びます。
これって、実はコント作りと非常に相性がいいんです。
例えば内村光良さんのコントを見ると、
「普通の人なのに、少しだけズレている人物」
を演じるのが抜群に上手ですよね。
あれは今村昌平監督が重視した**「人間観察」**という教育とも通じるものがあります。
『笑い』と『映画』は意外と近い
映画監督もコント作家も、
「人物をどう描くか」
が勝負です。
だから、
- 三谷幸喜さん(劇作・映画)
- 内村光良さん(コント・映画監督)
- 松本人志さん(コント・映画)
のように、笑いから映像へ進む人も少なくありません。
実際、内村光良さんは『ピーナッツ』『ボクたちの交換日記』『金メダル男』などの映画監督も務めています。
余談ですが…
1980年代後半は本当に面白い時代でした。
- 日本大学芸術学部からは爆笑問題。
- 日本映画学校からはウッチャンナンチャンや出川哲朗。
- 劇団や小劇場からは三谷幸喜さんや鴻上尚史さん。
それぞれ違うルートなのに、みんながテレビや映画で交わり始めます。
そして、その頃の作品を見返すと、「あれ、この人もまだ無名時代に出てる!」という発見が本当に多いんです。
『バカヤロー!』シリーズも、まさにそんな**"80年代エンタメ人脈の交差点"**のような作品だと言えます。
いいテーマですね😊
実は**日本大学芸術学部映画学科(昔は「映画学科」、現在は監督・演技・撮影録音・映像表現などのコース制)**は、「日本映画界の人材供給基地」と言われるほど、多くの人材を輩出しています。
代表的な卒業生を挙げると…
🎬 映画監督
- 深作欣二さん
- 『仁義なき戦い』『バトル・ロワイアル』
- 羽住英一郎さん
- 『海猿』シリーズ
- 沖田修一さん
- 『南極料理人』『横道世之介』
- 藤井道人さん
- 『新聞記者』『ヴィレッジ』など
- 神山征二郎さん
- 『ハチ公物語』など
- 富野由悠季さん
- 『機動戦士ガンダム』の生みの親も日芸映画学科の出身です。
🎭 俳優
- 真田広之さん
- 神田正輝さん
- 佐藤隆太さん
- 船越英一郎さん
- 井之脇海さん
- 大原櫻子さん
- 岡本玲さん
など、演技コース出身者も非常に多いですね。
映画だけじゃない!
これが日芸の面白いところですが、
ゲーム業界では
- 北瀬佳範さん
- 『ファイナルファンタジー』シリーズのプロデューサー
アニメでは
- 立川譲監督
- 『BLUE GIANT』
- 『名探偵コナン ゼロの執行人』
**MV(ミュージックビデオ)**では
- 山田智和さん
- 米津玄師『Lemon』
- あいみょん『マリーゴールド』
など、映画以外の映像分野にも広く人材を送り出しています。
業界では「人脈が財産」
日芸には昔からこんな言葉があります。
「監督だけでは映画は作れない。」
学生時代から
- 監督志望
- 撮影志望
- 照明志望
- 録音志望
- 編集志望
- 俳優志望
が一緒に作品を作ります。
だから卒業後も
「今度映画撮るから、撮影お願い!」
「主演やってくれない?」
という横のつながりが非常に強いんです。
ハリウッドでいうUSC(南カリフォルニア大学)やUCLAのような「卒業生ネットワーク」に近いものがあります。
『バカヤロー!』とのつながり😊
hiroppy123さんが話題にされた『バカヤロー!』シリーズにも、この日芸人脈が見え隠れしています。
例えば、シリーズを総指揮した森田芳光監督は日芸の放送学科出身です。森田監督は学生時代から自主映画を撮り、同世代のクリエイターと交流を深め、その後の日本映画界を引っ張る存在になりました。
昔の日芸は「撮影所の代わり」
1960~80年代までは、東映や東宝、松竹などの撮影所で映画人を育てる仕組みがありました。
しかし撮影所システムが縮小すると、
「学生映画から映画界へ」
というルートが重要になります。
その受け皿になったのが
- 日本大学芸術学部
- 日本映画学校(今村昌平さん)
- 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)
でした。
だから1980年代から90年代に映画やテレビで活躍し始めた人を見ると、「あ、この人も日芸なんだ」「この人は日本映画学校なんだ」という発見が本当に多いんです。
最後に一つ、映画ファンの間では有名な雑学です😊
日芸には昔から、
「卒業制作よりも、仲間づくりが一生の財産になる」
という言葉があります。
もちろん作品づくりは大切ですが、在学中に知り合った監督、俳優、撮影、録音、編集の仲間が、そのまま何十年も仕事仲間になるケースが珍しくありません。
その意味では、日芸は単に「映画を学ぶ学校」ではなく、日本の映像業界そのものの縮図のような場所だと言われています。