これは19世紀ドイツ思想の「人間関係」と「思想史」が絡み合う、とても面白い話です。 ただ、質問にある**「ドイツ・イデオロギー」**は、文脈によって二つの意味があります。
- **『ドイツ・イデオロギー』**という ドイツ・イデオロギー のこと。
- 「ドイツ的な思想・精神風土」という一般的な意味。
ワーグナーとニーチェの話では、後者の「ドイツ思想・文化」の意味で考えるのが自然でしょう。
まず登場人物
このドラマには4人の重要人物がいます。
-
リヒャルト・ワーグナー
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フリードリヒ・ニーチェ
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アルトゥル・ショーペンハウアー
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コジマ・ワーグナー
文学研究者の間では
「ニーチェ青年はワーグナーに恋をした」
と半ば冗談で言われます。
もちろん恋愛ではありません。
それくらい尊敬していたという意味です。
1860年代
若きニーチェは24歳。
大学教授になったばかり。
当時のドイツで最もカリスマだった芸術家がワーグナーでした。
ニーチェは
「この人こそ古代ギリシャ悲劇を復活させる人だ!」
と感激します。
これが『悲劇の誕生』です。
つまり
ディオニソス
↓
ギリシャ悲劇
↓
ワーグナー
という一本の線が若きニーチェには見えていました。
ショーペンハウアーの影響
ここが重要です。
ショーペンハウアーは
「人生は苦しみ」
と言いました。
しかし
芸術だけは
その苦しみを忘れさせる。
だから
音楽が最高。
ワーグナーも
ニーチェも
最初は完全にこの考えでした。
ところが…
数年後。
ニーチェは気付きます。
「ん?」
ワーグナーの作品が
どんどん
- キリスト教的
- 救済
- 民族主義
になっていく。
ニーチェは失望します。
『パルジファル』事件
文学業界では有名です。
ワーグナー最後の大作 『パルジファル』
聖杯
救済
純潔
慈悲
キリスト教。
これを見たニーチェは
「昔のディオニソスはどこへ行った!」
と激怒します。
『ワーグナーの場合』
ニーチェは本を一冊書きます。
題名からして
『ワーグナーの場合』
今でいうと
「○○氏について」
という批判本です。
内容はかなり辛辣です。
「ワーグナーの音楽は病気だ」
とまで書いています。
実は個人的な問題も
思想だけではありません。
研究者の間では
「家族関係も大きかった」
と言われています。
ワーグナー家では
若きニーチェは
家族同然。
ところが
距離ができてしまう。
特にコジマとの知的交流も途絶えました。
思想だけでなく
人間関係も壊れました。
ドイツ・イデオロギーとの関係
ここで「ドイツ・イデオロギー」という言葉を広い意味で考えると、
19世紀のドイツでは
- 国家
- 民族
- 宗教
- 教養(Bildung)
- 音楽
が特別な意味を持っていました。
ワーグナーは、ドイツ神話や民族伝承を大規模な楽劇に取り入れ、ドイツ文化の象徴的存在となっていきます。
一方、ニーチェは後年になると、
- 「民族」という枠組み
- 安易な愛国主義
- 思考停止を招く集団心理
に対して強い警戒を示すようになります。
そのため、「ドイツ文化を称揚するワーグナー」と「個人の精神の自由を重視する後期ニーチェ」の間には、思想的な距離が生まれました。
業界話
哲学・文学の研究室では
「ワーグナーを好きと言うか」
で議論が始まることがあります。
音楽学者は
「作品は素晴らしい」
と言う。
哲学者は
「ニーチェ以後は簡単に礼賛できない」
と言う。
歴史学者は
「後世の政治利用まで含めて考えるべき」
と言う。
専門分野によって視点がかなり違います。
面白い雑学
ニーチェはワーグナーを批判したあとも、
ワーグナーの音楽そのものへの複雑な感情を捨てきれませんでした。
また、ワーグナーの死後もその存在はニーチェの著作に繰り返し現れます。強い批判は、若い頃に抱いた深い敬意の裏返しでもありました。
そのため研究者の間では、
「ニーチェはワーグナーから離れたが、ワーグナーを忘れることはできなかった」
という言い方をされることがあります。
この相克は、単なる「仲違い」ではなく、芸術は人を救うのか、それとも現実から目をそらさせるのかという、19世紀ヨーロッパ思想の大きな問いを象徴する出来事として、現在でも哲学・音楽学・文学研究で繰り返し論じられています。
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