2025年10月11日土曜日

サルバドール・ダリ作「内乱の予感」の多角分析:体系的自己破壊の寓話と芸術家の商業的資本化

サルバドール・ダリの何とかの予感とかいう作品に知見があったら、雑学や経済学や、業界話を交えながら解説してください。
ChatGPT:

いい質問ですね。
おそらくおっしゃっているのは、サルバドール・ダリの代表作の一つ——

🎨 《内乱の予感(Premonition of Civil War)》
正式には 《スペイン内戦の予感(Soft Construction with Boiled Beans (Premonition of Civil War), 1936)》
のことだと思われます。


🧠 1. 作品の概要

  • 制作年:1936年(スペイン内戦の勃発直前)

  • サイズ:約100 × 99 cm

  • 所蔵:フィラデルフィア美術館

作品には、自らの体を引き裂く巨大な人型の怪物が描かれています。
手足がねじれ、指が歯のように噛み合い、まるで「自国が自国を食いちぎる」ような構図。

タイトルにある「Soft Construction with Boiled Beans(煮豆を添えた柔らかい構造)」という皮肉な副題は、
ダリ特有のブラックユーモアです。彼は後にこう述べています:

「スペインは豆を食べながら自らを引き裂く。」

つまり、内戦を“自らの食事”として消費する愚かさを暗喩しています。


🧩 2. 時代背景と「経済学的視点」

1930年代のスペインは、

  • 経済不況(世界恐慌の波及)

  • 格差拡大

  • 労働者運動と地主・教会勢力の対立
    が激化していました。

この状況は、**ケインズ経済学が登場する直前の「自由放任主義の限界」**の象徴でもあります。
政府が介入せずに放置した結果、社会的亀裂が経済的亀裂を越えて暴力へ変わった
ダリの怪物は、まさに「資本と民衆の対立が一体化して自壊する国家」を具現化しています。

豆は「庶民の食糧」であり、「貧困の象徴」でもありました。
つまり、食糧難と戦争が同じテーブルに並ぶ時代だったのです。


💼 3. 「業界話」——芸術市場とダリの商才

ダリは芸術界きっての「マーケティングの天才」でもあります。
この作品を描いた1930年代、彼はシュルレアリスム運動の中心にいましたが、
後にアメリカ市場に目をつけ、芸術を「商品」として戦略的に売り出すようになります。

当時の画商やコレクターは、内戦やナチズムといった**“不安”をテーマにした作品を高値で取引していました。
そのため、ダリは
「社会の不安を視覚化する」**ことで市場価値を上げたのです。
いわば、

「恐怖をブランド化した最初のアーティスト」
と言えるでしょう。


🧬 4. 雑学・トリビア

  • 🔹 ダリは「予言者」を演じるのが好きだった。
    この絵も「内戦前に予感していた」と語りますが、実際には戦争直前に描かれています。
    「予感していた」という設定自体が自己ブランディングです。

  • 🔹 “煮豆”は、恋人ガラの好物
    ダリはよく「豆=愛情」「国家=自我」「内戦=嫉妬」といった個人的象徴を重ねていました。
    政治的でもあり、恋愛的でもある——これがダリの多層的魅力です。

  • 🔹 心理学との関係
    フロイトの「夢判断」に影響を受け、無意識の恐怖や性的象徴を多く使っています。
    ダリは「理性で制御できない力」が社会を壊すというテーマを繰り返し描きました。


🪞 5. 現代的視点での読み解き

この作品は現代でも次のように読めます:

観点 現代的解釈
政治 内部対立が激化する国家(SNS・分断社会のメタファー)
経済 自国の消費構造が自分を破壊する「過剰競争資本主義」
心理 無意識の自己破壊衝動(個人のメンタル危機)
アート業界 「不安」や「破壊」をテーマにした作品が高く評価される構造は今も同じ(NFTやAIアート市場など)

🧭 まとめ

視点 内容
芸術 内戦の自己破壊を象徴する怪物のイメージ
経済 貧困と分断が暴力を生むケインズ前夜の社会構造
業界 恐怖や不安を“商品化”するダリのマーケティング戦略
雑学 豆=庶民の象徴、予言者演出=セルフブランディング

ご希望があれば次に、

  • 🖼 他の「予感」シリーズ(例:《戦争の予感》《破壊の予感》など)との比較

  • 💰 現在の市場価値・オークション価格の推移

  • 🧩 AIや現代アートとの思想的連続性(例:セルフブランディングの始祖としてのダリ)

などの角度でも掘り下げられます。

どの視点から深堀りしてみたいですか?

サルバドール・ダリ作「内乱の予感」の多角分析:体系的自己破壊の寓話と芸術家の商業的資本化

   

I. 序論:世界の断裂と予言の画布

   

A. 作品の基礎データ、時代背景、および美術史上の位置づけ

  サルバドール・ダリ(Salvador Dalí, 1904–1989)の油彩画『Soft Construction with Boiled Beans: Premonition of Civil War』(邦題:内乱の予感)は、シュルレアリスム運動における最も強力な政治的アレゴリーの一つとして位置づけられる 。この作品は1936年に油彩で描かれ、サイズは39 5/16 × 39 3/8インチ( cm)とほぼ正方形であり 、現在は米国フィラデルフィア美術館のルーカス・アンド・ウォルター・アレンスバーグ・コレクションに収蔵されている 。  
作品は、スペイン内戦(1936年7月勃発)のわずか6ヶ月前にパリで制作されたものであり 、タイトルが示す通り、ダリの故郷スペインを襲う差し迫った暴力と破滅を予言的に描写している 。ダリ自身は後に、内戦が始まるずっと前からその発生を予期しており、本作品はその「無意識の予言的力」の証拠であると主張した 。  
 

B. 本報告書の分析アプローチ:美術、精神分析、経済学の統合

  本報告書は、「内乱の予感」を単なる政治的アレゴリーとして扱うのではなく、1930年代の全体的な政治的・経済的崩壊を象徴する体系的な自己破壊のメタファーとして、記号論、精神分析学、および経済学という三つの視点から統合的に分析する。この作品は、国家の政治システム崩壊と、世界恐慌時代における資本主義の経済的崩壊という二重の危機を反映している。 特に、国家が自己を食い尽くす姿を描いたダリが、その後のキャリアで自身の芸術的ブランドを徹底的に商業化し、経済的な成功を収めた事実は、作品のテーマである「破壊」と、作者自身の「自己資本化」という、根源的な対照をなしている。この対照的なダイナミクスを解明することが、本報告書の中核となる分析課題である。  

C. スペイン内戦前夜(1936年)の政治的・社会的緊張

  1930年代初頭のスペインは、1920年代のミゲル・プリモ・デ・リベラ独裁政権からの移行と、世界恐慌(Great Depression)によってもたらされた深刻な経済的苦境により、社会全体が極度に二極化されていた 。労働不安が蔓延する中、1936年2月の選挙では、社会主義者、無政府主義者、共産主義者、分離主義者を含む左派の人民戦線政府が政権を握った 。  
この左派政権の樹立は、社会的不満(左派によるストライキや教会の放火)を爆発させ、軍部を極度に警戒させた 。同年7月、フランシスコ・フランコ将軍を中心とする軍部がクーデターを試み、これがスペイン内戦へと拡大した 。ダリがこの作品を描いたのは、まさにこの極度の政治的緊張と内戦不可避の空気の中であった。  
興味深いことに、ダリは物理的な危険に晒される前に(パリで)この「予感」を具現化している 。この事実は、作品の「予言的」性質が、外部の政治的観察から得られた情報だけでなく、芸術家という敏感な受容器が集合的無意識下の恐怖を捉え、それを物理的なイメージとして投射したものであることを示唆している。これは、ダリが政治的な立場を曖昧にし、晩年には日和見主義者として振る舞ったにもかかわらず 、初期の作品においては、シュルレアリストが理想とした時代の狂気に対する心理的な誠実性を保持していたことを示している。  
 

II. 「内乱の予感」の記号論的解剖:狂気と腐敗の寓話

   

A. 中心モチーフの分析:自己破壊する巨像

   

1. 身体の解体と再構成:内戦によるスペインの断裂の象徴

  絵画の中央を支配するのは、グロテスクに歪み、自身の身体を狂ったように引き裂いている巨大な人体の構造物である 。これは、美術評論家ロバート・ヒューズが「自傷行為の寓話」(allegory of self-inflicted carnage)と評したように 、国家が内側から自らを破壊し合うスペイン内戦の様相を象徴している 。  
巨像の形態は非論理的であり、手足は入れ替わって逆さまになり、胴体は完全に失われている 。この解体された身体は、国家としての統合が崩壊し、内部闘争によって自滅へと向かうスペインの姿を強烈に視覚化している。  
 

2. グロテスクなディテールと「やわらかい形態」の対比

  ダリは、骨や岩のような硬い構造物と対照的に「やわらかい形態」(ソフト・フォーム)を多用することで、自身の作品に心理的な深みを与えた 。この巨像の躯体には、硬さと柔らかさが混在しており、内戦がもたらす肉体的、精神的な腐敗と死を暗示している 。ダリの作品における「硬い殻とやわらかい内部」の対比は、防御(硬さ)と傷つきやすい精神(柔らかさ)という心理学的な概念と一致している 。  
 

3. 風景と伝統の対照

  前景の暴力的なイメージとは対照的に、背景には、ダリの故郷カタルーニャ地方を想起させる、穏やかで美しい青空が広がる荒涼とした風景が描かれている 。この静謐な風景と、前景の混沌とした破壊との鋭い対比は、内戦という人間が作り出した狂気が、伝統的な美と平和をいかに無残に破壊するかという、悲劇性を強調している 。  
 

B. 精神分析的要素とフロイトへのオマージュ

   

1. 「偏執狂的=批判的方法」と無意識下の具現化

  ダリは、ジークムント・フロイトの精神分析学から深く影響を受けており、この作品の制作に彼の独自手法である「偏執狂的=批判的方法」(Paranoiac-Critical Method)を適用した 。この手法は、無意識の夢や恐怖を現実のイメージとして具現化し、一つの形態に複数の解釈を許容させることで、深層心理を通じてスペインの混乱を解析することを可能にした 。  
ダリは、国家の分裂と自壊を、個人が精神の崩壊(パラノイア)に陥る過程の巨大なマクロ版として表現している。つまり、この絵画は、政治的現象を集合的な「自己破壊的な神経症」として診断する、芸術的な精神分析報告書として機能している。  

2. 茹でた豆の象徴性:日常性と混沌の対比

  タイトルの「茹でた豆」(Boiled Beans)は、画面に散乱しており、混沌としたイメージに日常的でありながら不穏な要素を加えている 。ダリは、この豆の存在について、「その無意識の肉(戦争の恐怖)を、メランコリーで粉っぽい野菜なしに飲み込むことは想像できない」と説明している 。  
この発言は、豆が単なる食料ではなく、戦争の苦難に直面したスペイン市民が、内なる恐怖と混乱を受け入れるために必要とした「必要不可欠なもの」(sustenance)の象徴であると解釈できる 。しかし同時に、豆は「腐敗」(decay and putrefaction)の象徴とも解釈され 、戦争がもたらす暴力と苦しみのメッセージを強化している。  
さらに深掘りすると、茹でた豆は庶民の安価な食料であり、当時のスペインが世界恐慌後の深刻な経済危機 に苦しんでいたことを鑑みると、豆は経済基盤の崩壊と人々の貧困を背景に持つ。このことから、政治的混乱と内戦の恐怖が、単なるイデオロギー対立だけでなく、経済的貧困という日常生活の基盤にまで深く根差していたことを示唆する多層的な解釈が可能となる。  
 

3. 萎えた男根の形態とフロイトへの言及

  巨像の股の部分に垂れ下がった「萎えた男根の形」(limp phallic shape)は、ダリの柔らかい形態の典型的な例であり、内戦がもたらす生命力、繁殖力、そして未来への希望の「腐敗と死」を暗黙的に示唆する 。  
極めて重要な点として、画面左下隅には、ダリが傾倒したジークムント・フロイトの小さな肖像画が、巨像のねじれた手を注意深く検査しているように描き込まれている 。これは、ダリがこの政治的悲劇を、あくまで精神分析的な視点から解釈しようとする意図を明確に示しており、作品の持つ心理的深さを決定づけている。  
 

III. 経済学的視点からの分析:体系的な「自己破壊」の考察

   

A. 大恐慌時代とシュルレアリスム:現実逃避と社会批判

  1930年代は、第一次世界大戦の惨禍とファシズムの台頭、そして世界恐慌という、社会システムの信頼が根底から揺らいだ時代であった。シュルレアリスムは、この現実からの幻想的な逃避を提供しつつ、同時に、社会の暴力や戦争の脅威に対する批判的なイメージを、無意識や神話的な怪物を通して具現化する媒体となった 。  
アメリカでは、ダリのようなヨーロッパの主要なシュルレアリストの影響を受けながらも、より明確な政治的・社会的メッセージを込めた「社会シュルレアリスト」たちが登場した 。ダリの「内乱の予感」も強い政治的メッセージを有しているが、その解釈は終始、フロイト的な無意識の領域に留まり、政治的イデオロギーへの明確なコミットメントを避けていた。  
 

B. 「内乱の予感」における経済学的メタファー:国家システムの崩壊と「市場の失敗」

   

1. ケインズ経済学と「内乱の予感」のテーマ的関連性

  「内乱の予感」が描かれた1936年は、ジョン・メイナード・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を出版し、市場経済の自己調整能力に対する信頼が崩壊していた時期と一致する。 ケインズ理論は、大恐慌下で明らかになったように、自由放任主義的な市場が非効率な均衡(高失業率)に陥る「市場の失敗」 に対処するため、国家の積極的な介入を主張した。ダリの絵画が描く「巨像の自食作用」(自己破壊)は、政治的な対立が合理性を失い、国家の生産的な資源や社会資本(Social Capital)を消耗し尽くす状態、すなわち経済システムが自壊している極限の「市場の失敗」の視覚化されたメタファーとして機能する。国民が互いを破壊し合う内戦は、経済的観点から見て、最も非効率的で破滅的な行為に他ならない。  
 

2. マルクスおよびシュンペーターの「創造的破壊」との対照

  経済学における「創造的破壊」(Creative Destruction)の概念は、もともとマルクス経済学が資本主義のプロセスを説明する際に、富の蓄積と絶え間ない「殲滅」(Vernichtung)が連動していると指摘したものに由来する 。内戦による無意味な破壊は、このマルクス的な「富の殲滅」の究極の形であり、イデオロギー対立と経済的混乱が資本主義が生み出す対立と崩壊の必然性を強烈に示唆している。  
一方で、ヨーゼフ・シュンペーターは「創造的破壊」を、資本主義が新しいイノベーションによって古いものを陳腐化させ、進化・再構築するエンジンと捉えた 。国家の政治的自滅を描いたダリ自身が、その後のキャリアで商業的な「創造的破壊」を通じて自身のブランド価値を再構築し、国際的な名声と財産を築いたことは、まさにシュンペーター的なダイナミクスを個人的に体現したものであり、集団的崩壊(内乱)と個人的再生(商業化)の劇的な対照を構成する。  
 

C. 政治的日和見主義と経済的リアリズム

  ダリの政治的な態度は極めて変遷に富んでおり、一貫したイデオロギーを持つというよりは、自身の芸術活動の安定と経済的生存を優先する日和見主義者であったと分析される 。彼は若い頃こそアナーキズムや共産主義に傾倒していたが 、スペイン内戦勃発時には戦火を避け、フランスへ亡命した。さらに第二次世界大戦が勃発し、ドイツがフランスに侵攻すると、彼はさらに資本主義国のアメリカへ避難した 。  
戦後、ダリはフランコ独裁政権が支配する故郷カタルーニャに戻り、フランコを支持する言動をとるに至り、激しい批判を浴びた 。シュルレアリストの指導者アンドレ・ブルトンは彼をグループから追放し、作家ジョージ・オーウェルは彼を「ネズミのように逃げた」と厳しく非難した 。  
ダリの生涯は、彼の作品が描いた国家規模の体系的な自己破壊(集団的な「市場の失敗」)の真っ只中を生き抜き、私的な経済戦略(商業主義)によって成功を収めた物語である。ダリは、イデオロギー的混乱を避け、自身の創造的・経済的生存(芸術的資本化)を優先した。彼は、社会全体が崩壊に向かう中、芸術家という個人としては、伝統的な美術市場を破壊し、自身のブランド価値を再構築するシュンペーター的な「創造的破壊」の道を極めたのである。 この二重のダイナミクスを以下の表にまとめる。 自己破壊の二重のダイナミクス:政治的寓話と芸術家の商業化
次元 内乱の予感 (作品:国家の運命) サルバドール・ダリ (芸術家:個人的戦略) 理論的関連性
破壊の対象 国民国家、社会資本、身体の統合 芸術的希少性、シュルレアリストの規律 体系的な失敗 / 市場の失敗 (Keynesian Failure)
破壊の動機 政治的・イデオロギー的対立 経済的利益の追求、名声の最大化 無意識下の衝動 / 合理的経済人仮説
結果 暴力と混乱、長期独裁政権 グループからの追放、世界的なブランド確立 マルクス的殲滅 / シュンペーター的創造
 
 

IV. 芸術業界の視点:ブランド・ダリの経済学

   

A. 「Avida Dollars」の起源と商業主義の爆発

  ダリの商業的才能は、彼の芸術的才能と並んで、20世紀美術市場における最も特異な現象の一つであった。シュルレアリスムの指導者アンドレ・ブルトンは、ダリの露骨な金銭への執着を批判し、彼の名を「Avida Dollars」(ドルの亡者)という皮肉的なアナグラムで呼んだ 。しかし、ダリはこの侮蔑的な呼称を逆手にとり、自身の奇抜なペルソナの一部として取り込むことで、効果的な自己ブランディングに利用した 。  
1940年から1948年まで滞在したアメリカ時代、ダリの商業活動は本格的に開花した 。彼は、映画(アルフレッド・ヒッチコックとのコラボレーション)やファッション(Vogue、Harper's Bazaar)など、多岐にわたる分野で需要を集めた 。  
特に、ダリは版画制作を好んで行った。彼は、キャンバスに数週間かけるよりも、版画原版にアイデアを刻み、何百枚もの「オリジナル・プリント」として複製を承認する方が遥かに効率的で高収益であることに気づいた 。彼は「毎朝食後、2万ドル稼ぐことから一日を始めるのが好きだ」と公言した 。しかし、ダリと彼の側近による過剰な版画制作と署名入りの紙片の流出(1974年には40,000枚の署名済み紙片が問題となった)は、彼の市場価値を危険に晒し、一部の評論家からは「自身の市場を殺した」とまで評された 。  
 

B. 多角的なメディア展開とブランド価値の最大化

  ダリは、伝統的なアート作品の制作にとどまらず、自身の奇抜なアーティスト・ペルソナを最大限に活用し、広告や商業デザインに積極的に参入した。彼の戦略は、芸術の世俗化と大衆文化への浸透を目的としていた。  

1. ファッションとデザインへの進出

  ダリは、エルザ・スキャパレリと共に香水瓶をデザインし、利益の一部を受け取った 。また、ヴォーグ誌ではイラストレーター兼クリエイティブディレクターとして活躍し 、1946年には、当時新素材であったナイロン製のストッキング(Bryans Hosiery)の広告を制作した。この広告では、セクシーなストッキングを履いた脚のコラージュが超現実的な風景の中に浮遊し、古典的なイメージと商業的な商品を融合させている 。彼の広告デザインは、シュルレアリストが当初目指した「既成概念の破壊」を、資本主義的な商品販売という文脈で実現した。  
 

2. テレビ広告とパフォーマティブ・アート

  彼の商業主義の極致は、彼自身が出演したテレビ広告に現れている。彼は、製品を宣伝するために、自身の不可思議なペルソナとシュルレアリスム的イメージを意図的に利用した 。  
  • Lanvinチョコレート: ダリは「私は狂っている、完全に狂っている...ランバン・チョコレートに!」と叫び、製品に彼の狂気的なイメージを付加した 。  
  • Datsun 610: 彼の代表作『記憶の固執』を思わせる超現実的な風景の中にDatsun車を登場させ、自ら乗客としてその機能を解説するコマーシャルに出演した 。  
  • Alka-Seltzer: モデルの腹部にマーカーでいたずら書きをする広告は、視聴者から暴行を想起させるとして苦情が寄せられ、撤回されたが、結果的に大きな話題を提供した 。  
ダリの商業的活動は、現代のセレブリティ・マーケティングの原型を確立したと言える。彼が芸術家として成功した「偏執狂的=批判的方法」、すなわち日常と非日常を混ぜ合わせることで新しい知覚を生み出す手法 は、商業広告においては、一般的な製品に彼の奇抜なイメージを付加し、消費者の日常に「非日常」を売り込む「ディスラプティブ(破壊的)な創造性」として転用された 。  
サルバドール・ダリの主要商業活動とブランディング戦略
時期 活動/コラボレーション 戦略的意義 関連スニペット
1940-1948 米国亡命、Vogue/Harper's Bazaarのカバーデザイン 芸術の世俗化、大衆文化への浸透
1941 バレエ『Labyrinth』の衣装・舞台美術デザイン 芸術ジャンルの横断、舞台芸術での名声確立
1964-1970s Osborneブランデー、Perrier、Lanvinチョコレート広告出演 既存の美術市場からの脱却、セルフ・パロディと商品化
1972 Datsun 610 TV広告出演 最新テクノロジーとシュルレアリスムの融合、ブランドの現代性
1974 40,000枚の署名済み紙片(版画詐欺問題) 「Avida Dollars」の極致、市場価値の意図的な破壊と自己の富の蓄積
 
 

C. 自己ブランディングの矛盾:芸術的完全性の代償

  ダリの商業的成功は、伝統的な芸術業界における「真正性」(Authenticity)と「完全性」(Integrity)の概念に、意図的に挑戦するものであった 。ブルトンによる「ドルの亡者」批判は、芸術的誠実性の喪失を意味するが、結果的にダリのイメージは世界的に浸透し、芸術作品の真贋問題を超越した「ダリ・ブランド」という独自の文化資本を築き上げた 。  
ダリは、自身の芸術的完全性を「犠牲」にすることで、アーティストとしてのブランドを市場で「不滅の存在」として確立した。彼が「内乱の予感」で集団的な自己破壊を描いたのとは対照的に、彼は個人的な経済的運命においては、徹底した「自己資本化」を追求したのである。  

V. 遺産と現代市場における永続性

   

A. 美術史上での評価:『ゲルニカ』との比較

  「内乱の予感」は、スペイン内戦を描いた同時代の作品の中でも、特に心理的な深さと予言的な力が高く評価されている。美術評論家のロバート・ヒューズは、ダリのこの作品について、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』(Guernica) よりも「スペイン内戦に触発された視覚芸術の単一作品として最も優れている」と評した 。  
この高い評価は、作品が内戦の政治的・感情的な予兆を、より深く、普遍的な人間の無意識下の恐怖として捉え、視覚化した点に由来する。作品は、フィラデルフィア美術館という世界有数の機関に収蔵されており 、ダリの主要な油彩画はセカンダリー市場で数百万ドルの価値で取引されるなど 、その恒久的な芸術的・市場的価値は確固たるものである。  
 

B. ダリのレガシーとデジタル時代

  ダリの商業的遺産は、現代の芸術市場においても影響力を保ち続けている。近年、Dalí UniverseはArtscapyと提携し、ダリの作品に基づいたNFT(非代替性トークン)コレクションを発行した 。  
このデジタル市場への参入は、ダリの商業的戦略の現代的な継続を意味する。NFTやブロックチェーン技術を利用した芸術作品の「所有権の分断化」(Fractionalization)は、一般のコレクターにも高価な芸術作品の所有を可能にするものであり 、これは、かつてダリが版画の大量生産を通じて行った「芸術の民主化/コモディティ化」の試みが、デジタルテクノロジーによってさらに拡大された形と解釈できる。  
彼の商業的過剰生産(版画)は批判の対象となったが、結果的に彼の芸術的レガシーは、物理的な制約から解放され、「ブランド」として永続することに成功した 。ダリのブランドは、常に商業的な革新(テクノロジーの活用)を通じて、新しい世代のコレクターにアプローチし続けており、彼は現代マーケティングにおける「創造的破壊」の先駆者としての地位を維持している。  
 

VI. 結論:二重の破壊の預言者

  「内乱の予感」は、サルバドール・ダリがそのキャリア初期において、政治的・精神的な体系が崩壊に向かう時代の恐怖を、比類のない精神分析的洞察力と卓越した技術をもって具現化した傑作である。この作品が描く国家の無意味な自滅(集団的「市場の失敗」)は、ケインズ経済学が対処しようとした時代の混乱とテーマ的に深く関連している。 この作品の分析から導かれる最も重要な結論は、ダリの「予言」が二重の性質を持っていたという点である。一つはスペイン内戦という政治的崩壊の予言であり、もう一つは、イデオロギーや社会システムが崩壊する混乱の時代において、芸術家が政治的・倫理的な立場を放棄し、商業的な自己ブランディングと大量生産を通じてのみ、その名声と経済的生存を確保できるという、現代の文化経済に関する予言であった。 ダリは、「内乱の予感」で集団的崩壊の恐怖を訴えながらも、自身のキャリアを通じて、集団的破壊の時代における個人的生存と自己資本化の最も成功したモデルを確立した。彼は、破壊を描く作品と、創造的破壊を極める商業戦略を通して、20世紀の体系的な矛盾を体現し、芸術と商業の境界を永久に曖昧にした、稀有な芸術家であった。

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