自分の事を言っているのではないけれど、世の中には苦しみがそこいら中にひそんでいるらしい・・・
苦 (仏教)
仏教における苦(く、duHkha、दुःख)とは、サンスクリット語の「ドウクハ」に由来する。「ドウクハ」は「豆法」と音写され、苦と訳された。
「ドウクハ」の「ドウ」(duH = dus)は、「悪い」という意味、「クハ」(kha) は「運命」「状態」の意味であるから、苦とは、もともと悪い状態、悪い運命というような意味をもっていたが、一般に身心を逼悩することをいうとされる。すなわち、精神と肉体とが悩みに逼迫されている状態である。このうち、精神の苦について、憂・愁・嫉妬などをあげている。また、肉体的な苦は種々の病などであるという。
哲学的意味の苦
「仏教では、この世は『苦』であると説く」と聞くと、日本語の"苦"を思い浮かべてしまうのが普通である。しかし釈迦の説く「苦」は、現代語の
「苦」とは別物であることに注意が必要である。具体的には、肉体的な苦痛と、精神的な苦痛とがあるが、仏教で説く「苦」とは「思うようにならない苦しみ」
という程の意である。ここでは、その精神的な苦痛を哲学的意味の苦と表現している。したがって、覚りを得たからといって、病気や肉体的な苦痛が無くなる訳
ではない。古い仏典には、肉体的な苦痛に耐える釈迦が描かれているし、釈迦が病死したことは間違いないとされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6_%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29 より・・・
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