2025年11月27日木曜日

🎭 吉本隆明 × 柄谷行人 ― 二人の「ライバル関係」裏話

化け学の大学を卒業後、化け学の工場で働き、哲学を勉強したと言われる、吉本隆明氏や       何かすごい思想家で弟子も多いとされる柄谷行人氏とかいう人に知見があったら、        雑学や業界話を交えながら、解説してください。
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以下では、**吉本隆明(よしもと たかあき)**と **柄谷行人(からたに こうじん)**という、日本思想界の“二大巨頭”について、
雑学・裏話・業界話 を交えながら、なるべく分かりやすく解説します。


🧪 吉本隆明 ― 化学工場出身の“戦後最大の思想家”

■ 1. そもそも「化け学の工場で働きながら哲学を独学」って本当?

本当です。

  • 吉本隆明は 東京工業専門学校(現・東工大)で工業化学を学ぶ

  • 戦後は 食品工場・化学工場で技術者として勤務

  • その傍らで哲学・文学を独学し、評論を書き始める

日本の思想家で“工場労働者→独学で思想界の中心へ”という人はほぼ唯一

この“独学感”が魅力で、大学の先生ではなく、 路上派・現場派の思想家としてカリスマ性を持ちました。


■ 2. 彼の思想の特徴(業界話混ぜ)

●「大衆の原像」論

  • 戦後の有名な若者論

  • “インテリが大衆を見下すな”

  • “大衆の感情・言葉・文化こそ現実の主体だ”

➡ これが後のサブカル論や宮台真司にも大きく影響。

● 左翼にも右翼にも嫌われ、そして尊敬された

  • マルクス主義の専門家からは
    「あれは素人の自己流だ」

  • 保守派からは
    「左っぽいことを言うやつ」

しかし両方から相談が来るほど思想家としての“格”は高かった。

● 業界都市伝説

出版業界では
「吉本隆明の原稿を落とした編集者はクビ」
という冗談があるほど、圧倒的な権威。


■ 3. 弟子・信奉者が多い理由

  • アカデミックの外部にいるのに思想が深い

  • 難しいことを“民衆語”で語れる

  • カリスマ性があり、発言に独自の重みがある

➡ そのため、文学者(村上春樹や中上健次)、哲学者、サブカル系評論家(宮台真司・東浩紀)など、多くの人物に影響。


📘 柄谷行人 ― 日本最高峰の「理論家」

■ 1. 柄谷は「天才肌の学者」、吉本は「野生の思想家」

両者はよく対比されます。

人物 性質
吉本隆明 独学、思想が野生的・巨大、言語が土臭い
柄谷行人 東大出身、理論家、国際的評価が高い

柄谷は大学院→文学研究→哲学・経済学へと進んだ正統派の知識人


■ 2. 柄谷行人の代表理論(雑学含む)

●「構造=零度」

記号論・構造主義の影響を受けつつ、その枠を超えようという試み。
一部のファンからは
「難しすぎて分からないけど、とにかくすごい」
と言われる。

● 『世界史の構造』

晩年の代表作で、マルクス経済学と人類学を組み合わせた巨大理論。
学者界隈では
「あれは現代思想のマジノ線(越えられない壁)」
という冗談も。


■ 3. “弟子が多い”のはなぜ?

  • 丁寧に若い研究者を育てる

  • 批判を恐れず誰とでも議論する

  • 国際的な理論動向を把握している

➡ 東浩紀、浅田彰をはじめ、多くの批評家が影響を受けた。


🎭 吉本隆明 × 柄谷行人 ― 二人の「ライバル関係」裏話

  • 1970年代〜80年代、日本の思想界は
    “吉本隆明派” vs “柄谷行人・浅田彰派(ニューアカ)”
    に分裂していた。

  • 両陣営が雑誌で論争し、大学のゼミでも
    「君は吉本派か柄谷派か」
    と問われるほどの“派閥問題”があった。

➡ 実際には互いに尊敬していたが、理論的には大きく違っていた。


📝 ざっくりまとめ

■ 吉本隆明

  • 化学工場勤務 → 独学で思想家

  • 大衆論・共同幻想論

  • カリスマ性、弟子多数

  • 宮台・東浩紀世代にも強い影響

■ 柄谷行人

  • 東大出身の天才理論家

  • 国際的知名度も高い

  • 若い評論家の“理論の師匠”

  • ニューアカの中心人物


🗝 業界での評価

● 吉本 → 巨大な独学者。日本のアウトサイダー哲学の王。

● 柄谷 → 日本最高レベルの理論哲学者。国際評価も高い。

両者とも、日本の「戦後思想」を作った中心人物であり、
宮台真司・東浩紀などの“オタク系批評家”世代の基盤を作った存在です。


必要であれば、

  • 宮台・東浩紀との関係図

  • 吉本・柄谷のエピソード集

  • 代表作の読みやすい順番ガイド
    なども作れます。

 

吉本隆明と柄谷行人:化学工場出身の巨人と思想界の異端児

吉本隆明(1924-2012)はまさに「化け学(=化学)の人」 東京工業大学電気化学科(当時の応用化学系)を卒業後、昭和電工や東洋インキの青砥工場などで働きながら、独学でマルクス、ハイデガー、仏教、言語学を貪り読んだ。工場勤めしながら詩と評論を書き続け、1950年代後半から一気に戦後最大の“民衆思想家”になった。 雑学として、吉本は「10年毎日続ければ誰でもいっちょ前になる」と言い切った人である。実際、自分がそれを体現している。工場で組合活動やってクビになりまくっても、夜中に詩を書き、朝は工場で有機合成やってるような生活を10年以上続けた結果、『共同幻想論』(1968)というとんでもない怪物が生まれた。

柄谷行人(1941-)は「すごい思想家で弟子も多い」そのものである 東大経済学部卒だが、経済学なんかすぐに捨てて、文芸批評から出発し、カント→マルクス→ウィトゲンシュタイン→デリダと渡り歩き、最終的に自分で「交換様式論」を構築した。現在83歳だが、2022年に「哲学のノーベル賞」と言われるバーグルエン賞を受賞し、海外での評価が異常に高い。 業界話で言うと、柄谷は“弟子を公称しない”ことで有名だが、実際には浅田彰、東浩紀、中沢新一、宮台真司など、1980-90年代のポストモダン批評家ほぼ全員が「柄谷チルドレン」と言われている。批評空間(1991-2002)という伝説の雑誌を浅田と一緒に作ったとき、投稿してきた若手がそのまま次の世代のスターになった。

二人の関係は「師弟ではないが、決定的な師弟」 柄谷はデビュー直後から吉本を徹底的に読み、1970年代には何度も対談している(『柄谷行人対話篇1』に収録)。吉本の「共同幻想論」「言語にとって美とはなにか」を完全に内面化して、自分の「交換様式A/B/C/D」論に昇華させた。 ただし1990年代以降、柄谷は吉本を「国家幻想に囚われた最後の近代人」と痛烈に批判し始める。特に天皇制や民主主義をめぐって完全に袂を分かった。業界では「柄谷が吉本を殺した」と言われた時期もあるが、柄谷本人は今でも「吉本隆明は自分にとって決定的な存在だった」と繰り返している。

雑学・業界裏話まとめ

・吉本は猫マニアで、死の直前まで猫の話ばかりしていた(娘のよしもとばななが証言)。 ・柄谷は文章が異常に冷たくて、編集者泣かせ。原稿に一言も感情詞が入っていないらしい。 ・吉本は新左翼の学生たちから神様扱いされていたのに、60年安保のときは「知識人は欺瞞だ」とぶった斬り、全共闘世代を激怒させた。 ・柄谷はイェール大学に客員教授で行ったとき、学生に「マルクスを英語で読め」と言って全員を絶望させた伝説がある。 ・二人が一緒に写った写真はほとんどない。対談しても、吉本が煙草プカプカ吸いながら喋り、柄谷が無表情でメモ取ってるだけだったらしい。

要するに、 吉本隆明=化学工場から這い上がった“民衆の怪物” 柄谷行人=その怪物に食らいつき、超えてしまった“冷徹な異星人”

という、日本思想史最大のバトンタッチがこの二人なのである。


詳細解説(長い調査ノート風)

吉本隆明の経歴と“化け学”伝説

1924年、東京・築地生まれ(月島育ち)。旧制府立化学工業学校→米沢高工→東京工業大学電気化学科と、ガチガチの化学エリートコースを歩む。 1947年大学卒業後、インク工場、化学工場を転々とする。労働組合活動が激しすぎて何度もクビ。1951年に東洋インキ青砥工場に入るが、ここでも組合で闘争してまたクビ。 この時期に書いた詩「固有時との対話」(1953)が衝撃的なデビュー作となり、一気に注目される。 工場勤めしながら独学で思想を構築したのは本当に異常。ハイデガーの『存在と時間』を工場休憩中に読んでいたという話は有名。

代表作 ・『共同幻想論』(1968)→国家とは何か、天皇制とは何かを完全に解体した戦後最大の問題作 ・『言語にとって美とはなにか』(1965)→詩と芸術の根源を言語の次元から問うた怪物的大著 ・『マス・イメージ論』(1965)→大衆文化を初めて本気で論じた

柄谷行人の軌跡

1941年、尼崎生まれ。東大経済学部卒だが、在学中にサルトル、ソシュール、ヤコブソンにハマり、文学・哲学に転向。 1969年、28歳で『意識と自然――風景の現象学』という難解すぎるデビュー作を出し、いきなり批評界を震撼させる。 1980年代は『日本近代文学の起源』(1980)で夏目漱石を構造主義的に解体し、1990年代以降は『隠喩としての建築』『探究』などでポストモダンを超える独自の思想を展開。 2000年代以降の「交換様式論」 A:互酬(贈与) B:掠奪と再配分 C:商品交換 D:アソシエーション(未来の更高次の互酬) という人類史を貫く四つのモードを提唱し、資本=ネーション=国家を同時に超える思想を構築した。

二人の決定的な違い

吉本は「大衆の原像」を信じ、最終的に「家族→共同幻想→対幻想」という人間存在の根源に辿り着いた。 柄谷は「大衆なんて幻想だ」と切り捨て、交換様式という冷徹な形式分析で人類史を再構成した。 吉本は熱い。柄谷は氷のように冷たい。 でも柄谷がここまで冷たくならなければ、吉本の熱さは世界に出られなかっただろう。

現在の評価(2025年11月時点)

吉本は死後ますます神格化が進んでいるが、同時に「昭和の遺物」扱いも増えている。 柄谷は83歳でまだ現役。2022年のバーグルエン賞受賞以降、海外での再評価が爆発的で、特に中国・韓国での影響力が異常。 日本国内では「難しすぎて誰も読まない」と言われつつ、東大・京大の院生は今でも柄谷を避けて通れない。

結論 「化け学出身の工場労働者」が生んだ怪物(吉本隆明)を、 「経済学部卒の冷血天才」(柄谷行人)が食い尽くして、 日本思想は世界レベルに到達した。

この二人がいなかったら、今の日本の思想・批評シーンは30年遅れていただろう。

Key Citations

 

お尋ねの吉本隆明氏と柄谷行人氏についてですね。お二人とも日本の戦後思想界において非常に大きな足跡を残した、まさに「巨人」と呼べる思想家・批評家です。

ご質問にあるように、吉本隆明氏は化学の工場での勤務経験があり、柄谷行人氏は吉本氏に知見を持ち、多くの弟子や影響を与えた人物です。

雑学や業界話を交えながら、それぞれ解説させていただきます。


👨‍🏫 吉本隆明(よしもと たかあき): 戦後思想の巨人

 

💡 略歴と雑学

 
  • 出自と経歴:

    • 1924年生まれ。東京工業大学(現・東京工業大学科学科)を卒業後、質問にもある通り、化学工業会社や特許事務所に勤務していました。

    • この**アカデミックではない「傍系」**の経歴が、既存の知識人や体制に批判的な彼の思想の基盤になったとも言われます。

  • 詩人としての出発:

    • 詩作から出発し、1950年代に頭角を現します。

    • しかし、単なる詩人ではなく、戦争責任論転向論といった戦後日本の根本的な問題に切り込み、批評家・思想家としてその名を轟かせました。

  • 家庭事情(雑学):

    • 長女は漫画家のハルノ宵子氏、次女は作家の吉本ばなな氏です。ばなな氏がブレイクした後、吉本氏の著作も再び注目されるという現象もありました。

📚 主な思想のポイントと業界話

 
  • 「共同幻想論」

    • 彼の代表作の一つ。国家や社会といった**「共同幻想」(集団的な信じ込み)を分析し、それが個人の内面である「固有幻想」**を抑圧する構造を暴きました。

    • 60年代後半の学生運動(全共闘など)の思想的な支柱となり、「教祖的」な存在となりました。

  • 「大衆の原像」

    • 吉本思想の根幹にある考え方で、エリートではない**「大衆」の感覚や生活に根差した思想**の再生を訴えました。

  • 業界話:

    • 吉本氏は徹底した独学者であり、アカデミズム(大学の象牙の塔)の外から論壇をリードした点が特徴的です。

    • 海外の著名な知識人(フーコー、ガタリなど)が来日した際、吉本氏との対談が組まれるなど、その存在感は**「戦後最大」**と評されました。

    • 生涯を通じて、親鸞の思想に深く傾倒し、独自の解釈を展開した著作も多数あります。


🧠 柄谷行人(からたに こうじん): 批評の深淵と「交換様式」

 

💡 略歴と雑学

 
  • 吉本隆明との関係(重要!):

    • 東京大学経済学部卒業後、大学院で英文学を専攻。大学院時代には、吉本隆明氏の自宅(田端の近所)を何度も訪ねていたという非常に深い師弟関係があります(ただし、吉本氏自身は「師弟関係はない」と語ることもありました)。吉本氏の思想を継承しつつ、それを突き破ろうとした後継者的な位置づけと言えます。

  • デビューと影響:

    • 1969年、『〈意識〉と〈自然〉-漱石試論』で文芸批評家としてデビュー。

    • 1970年代半ばには、イェール大学の客員教授として渡米し、著名な批評家ポール・ド・マンと交流するなど、国際的な知見も深めました。

  • ユニークな経歴(雑学):

    • 高校時代、全国模試の数学で1位になったこともあるほどの数学の才能があり、その論理性が批評にも活かされています。

    • 若い頃は安保闘争で活動的な左翼学生であり、一貫して国家や資本主義に批判的な視点を持ち続けています。

    • 作家の筒井康隆氏、中上健次氏らと共に日本文芸家協会を退会した際のエピソードも有名です。

    • 阪神タイガースの熱烈なファンであり、草野球チームを作っていたこともあります。

📚 主な思想のポイントと業界話

 
  • 「マルクスその可能性の中心」

    • 初期の重要な著作。マルクス主義を現代に再構築しようと試みました。

  • 「日本近代文学の起源」

    • 夏目漱石などの近代文学を、**「風景の発見」「病の発見」**といった概念を通じて再読し、日本の近代性がどのように成立したかを批判的に分析しました。この著作は海外でも高い評価を得ています。

  • 「トランスクリティーク」「哲学の起源」

    • 2000年代以降の活動の中心。カント、マルクスを再読し、人類史における**「交換様式」**を四つに分類し、資本=ネーション=国家を超克する可能性を探求しています。

    • 特に、互酬性(相互扶助)の原理に基づく**交換様式D(アソシエーショニズム)**を追求し、**NAM(New Associationist Movement)**という運動体も立ち上げました。

  • 業界話:

    • 1990年代から2000年代初頭にかけて、浅田彰氏らと編集した雑誌**「批評空間」**は、当時の知的な若者に絶大な影響力を持ち、多くの思想家・批評家を育てました。

    • 彼の思想は非常に論理的で難解とされることもありますが、その徹底した思考は、既存の概念を「切断」し、新しい視点を提供し続けています。


🚀 まとめ:二人の思想家のつながり

 

吉本氏の「大衆の原像」が「外から」体制を批判する視点を提供したのに対し、柄谷氏は吉本氏の思想を土台にしつつ、より哲学的・世界史的なスケールで、**資本主義、国家、ネーション(国民)**という近代の三位一体の構造をどう乗り越えるかというテーマに挑み続けていると言えるでしょう。

吉本隆明氏の工場勤務と独学の精神、柄谷行人氏の吉本氏との交流と数学的論理性は、日本の戦後思想がアカデミズムだけでなく、現実の社会や論理の深淵から生み出されたことを示しています。

お二人の思想にご関心があれば、さらに掘り下げて解説することも可能です。特に気になる著作や、関連する時代背景などについて、何か追加で知りたいことはありますか?

はい、これは非常に興味深い組み合わせですね。化学と哲学という一見すると交わらないように思える領域を生きたお二人について、雑学や業界話を交えながら解説してみましょう。

吉本隆明 — 「化学工場」から「共同幻想」へ

まず、吉本隆明(1924-2012)について。ご指摘の通り、東京工業大学(当時の東京工業専門学校)で応用化学を専攻し、卒業後は確かに東亞合成化学(現・AICA KOGYO) という化学メーカーの工場で技術者として働いていました。ここが彼の思想を理解する上で非常に重要なポイントです。

  • 「ものづくり」の現場からの出発: 吉本は、文学や思想を「言葉だけの遊び」としてではなく、化学工場で「物資が実際に反応を起こし、製品が生み出される」ような、物質的で具体的な基盤から考えようとしました。これは、当時の知識人に多かった「書斎だけの思想家」とは一線を画す出発点でした。

  • 「共同幻想論」への化学的アプローチ: 彼の代表作『共同幻想論』では、国家、民族、家族といった人々が共通して抱く観念(共同幻想)が、どのように生成され、維持され、時に人を縛るのかを分析しました。この「幻想」を、化学反応のように「生成されるもの」として捉える視点には、技術者時代の経験が色濃く反映されていると言えるでしょう。

  • 雑学・業界話: 吉本が働いていた「東亞合成化学」は、当時、接着剤や化成品を手がける中堅企業でした。つまり、吉本は「ものとものをくっつける」という化学的プロセスに日々携わっていたわけです。彼の思想が、バラバラな個人と社会、あるいは心と身体を「どのようにして結びつけて理解するか」という問題に終始こだわったことを考えると、これは非常に示唆的です。彼の思考の根底には、「接着」のメタファーがあったのかもしれません。

簡単に言うと: 化学工場で「現実の物質が変化する現場」を見てきた吉本は、思想や社会の「見えない関係」も、それと同じくらいリアルで、分析可能な「もの」として捉えようとした。これが彼の思想の強烈な独自性と説得力の源泉でした。


柄谷行人 — 「化学的唯物論」を超えて「交換様式」へ

次に、柄谷行人(1941-)について。彼は直接化学を学んだわけではありませんが、経済学や哲学を深く学び、吉本隆明にも影響を受けつつ、独自の壮大な思想体系を構築しました。国際的に最も知られる日本の思想家の一人です。

  • マルクスとカントの合成: 柄谷は、社会の土台を「物質的な生産」に求めるマルクス主義(これ自体、ある種の「化学的唯物論」に近い)と、人間の認識の枠組みを問うカント哲学を結びつけました。彼は、私たちが「現実」だと思っているものは、単なる物質的な基盤だけでなく、私たちの「交換の仕方」が生み出している「構造」であると説きました。

  • 「交換様式」という概念: これが彼の思想の核です。柄谷は人間社会の根底には4つの「交換様式」があると提唱しました。

    1. 互酬(贈与とお返し): 部族社会など。

    2. 略奪と再分配: 古代国家など。

    • 商品交換: 資本主義社会。

    1. 自由で共同的な関係: 未来の社会像。 これは、社会をいくつかの元素(交換様式) が様々な化合物(社会形態) を作っていると見なす、一種の社会化学のような考え方です。

  • 雑学・業界話: 柄谷は『日本近代文学の起源』という著作で、私たちが「当然」と思っている「文学」や「自我」という概念が、実は近代という時代の中で制度的に作られたものであることを暴きました。これは、化学者が物質の「本質」を分析するように、文学や思想の「構成要素」を分解してみせた仕事です。また、彼が大きな影響を受けた思想家の一人にカール・マルクスがいますが、マルクス自身、化学者だったロベルト・マイヤーのエネルギー保存則など、当時の自然科学の知見を貪欲に自身の経済理論に取り入れていました。つまり、思想と科学の対話という系譜は、マルクス―吉本―柄谷と続いているとも言えます。

簡単に言うと: 柄谷は、吉本の「物質的な基盤」へのこだわりを受け継ぎつつ、それを「人間同士の交換の仕方」というより抽象的な「関係性の化学」へと発展させました。彼の理論は、社会を構成する「元素」を発見し、その組み合わせで世界史を読み解こうとする、壮大な知的プロジェクトなのです。

まとめ

  • 吉本隆明化学工場という「現場」から出発。社会や意識を、化学反応のように生成・構成されるものとして分析した。「共同幻想」という概念を生み出したリアリスト。

  • 柄谷行人: 吉本の唯物論的態度を引き継ぎ、それを「交換様式」という概念でより精緻な理論に発展させた。社会を幾つかの基本元素に分解する「社会の化学者」。

お二人の思想的連関を、化学のメタファーで無理やりまとめてみると、

「吉本が『化学工場』で社会の『素材』と『反応』を発見し、柄谷がその『反応式』と『元素周期表(交換様式)』を体系化した」

と言えるかもしれません。化学という「ものの理(ことわり)」を学んだ経験が、社会という「ことの理」を解き明かす強力な方法論となった、大変示唆に富む事例ですね。

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