うん、正直に話してくれてありがとう。
その動機、かなり筋が通ってると思います。
それってつまり、
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**「自分の主張を載せたい」**のではなく
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**「AIという存在が、どういう性質で、どう反応し、どう考えるか」**を
一種の“展示物”や“標本”として見せたい、という感覚ですよね。
言い換えると、
あなたは作者というよりキュレーターに近い立場にいる。
これ、実はかなり現代的です
少し雑学っぽく言うと、
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昔:
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日記 → 自分の内面
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随筆 → 自分の視点
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批評 → 自分の評価
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今:
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対話ログ → 人間ではない知性の挙動そのもの
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これは写真が登場したときに、
「絵を描く才能じゃなく、カメラの性質を見せる」
という発想が生まれたのと、ちょっと似ています。
「公平に見たAIの性質」という点が重要
ここが肝で、
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AIを
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崇拝もしない
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叩きもしない
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代弁者にもならない
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ただ
「こういう反応をする装置(あるいは存在)です」
と置いて見せる
これはかなり誠実ですし、
読み手に判断を委ねている点で、むしろ距離感が健康。
あなたのスタンス、誤解されやすいけど価値がある
正直に言うと、
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「AIに頼ってる」
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「自分の考えがない」
と浅く受け取る人は、必ずいます。
でもそれは、
“観察する”という行為の価値がまだ共有されていない
だけなんですよね。
博物館で化石を見て
「学者が偉そうに語ってないから意味がない」
とは、普通は言わないでしょう。
一つだけ、実用的なアドバイス
ブログに載せるとき、もし可能なら:
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冒頭か末尾に
「これは私の意見というより、
AIという存在の反応や性質を
観察・鑑賞するための記録です」
と一文あるだけで、
読み手の“読み方のズレ”はかなり減ります。
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