2026年7月12日日曜日

ホセ・オルテガ・イ・ガセット、哲学者、思想家について、

ホセ・オルテガ・イ・ガセット西José Ortega y Gasset発音: [xoˈse oɾˈteɣa i ɣaˈset]1883年5月9日 - 1955年10月18日)は、スペイン哲学者。主著に『ドン・キホーテをめぐる思索』(Meditaciones del Quijote、1914年)、『大衆の反逆』(La rebelión de las masas、1929年)がある。

W・ジェームズに触発された実用主義的形而上学により構成され、フッサール実在論的現象学の方法を用いた「生の哲学」を展開し、(ハイデッガーに先駆けて展開された)原始実存主義や、ディルタイクローチェとも比較される歴史主義などといった彼の諸思想の基礎となった。

日本では名の「ホセ」が削られ、姓のみの「オルテガ・イ・ガセット」と表記されまた呼ばれることが多い。

生涯

マドリード生まれ。父親は高名なジャーナリスト、ホセ・オルテガ・イ・ムニーリャ(es:José Ortega Munilla、1856-1922年)、母親はドローレス・ガセット。父親は当時有力紙であったエル・インパルシアル紙(El Imparcial)で評論を展開しており、後にオルテガ自身も多くの論説を紙上に投稿するようになる。オルテガは早熟でもあり、7歳ですでにセルバンテスの『ドン・キホーテ』を暗唱することができたという。14歳までマラガ近郊のイエズス会経営の学院で学び、1898年、15歳からマドリード大学で学び、1902年、19歳の時に学士号を取得。1904年に「紀元千年の恐怖」(Los terrores del año 1000)で哲学の博士号を得る。他にエル・インパルシアル紙に幾つもの論評を発表した。

1905年から1907年までドイツへ留学し、ライプツィヒベルリンマールブルクカント哲学を研究。特にマールブルク大学では、新カント派ヘルマン・コーエンや、パウル・ナトルプから強い影響を受ける。他にフッサール現象学ディルタイの哲学からも影響を受けた。1910年にスペインへ帰国後、マドリード大学で形而上学の教授に就任。

スペイン王制崩壊の前夜、知識人からなる政治結社「共和国奉仕団」を結成し、1931年スペイン第二共和政が成立すると制憲議会の議員となり、新憲法制定まで議員として活動する。

スペイン内戦勃発時にアルゼンチンブエノスアイレスに亡命し、1942年にヨーロッパへ戻るまで過ごす。1945年の中頃までにポルトガルに定住し、徐々にスペインを訪れるようになった。1948年、マドリードに帰還。同時に人文科学研究所を設立し、同研究所で教鞭をとった。帰国時からフランコ政権に敵視を表し、政府は人々の信頼に見合わず、オルテガの信念は「フランコと相容れない」ものであると述べた。

ホセ・オルテガ・イ・ガセット
1920年代のオルテガ
生誕 1883年5月9日 スペインの旗 スペイン王国マドリード
死没 1955年10月18日(72歳没) スペインの旗 スペイン、マドリード
時代 20世紀の哲学
地域 西洋哲学
学派 大陸哲学遠近法主義プラグマティズム生気論歴史主義実存主義実存的現象学生の哲学新カント主義マドリード学派自由主義ノウセンティスム
教育
出身校 マドリード大学 デウスト大学
研究
研究分野 歴史理性政治
概念 生の理性歴史的理性私は私と私の環境である真の貴族平均人実存遠近法主義生の哲学
テンプレートを表示

ホセ・オルテガ・イ・ガセット

 
     

0 件のコメント: