2026年8月13日木曜日

ハン・ガン、すべての、白い者たちの、小説、について

ハン・ガン、すべての、白い者たちの、小説、について、雑学や業界話を交えながら、解説してください、

ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』は、かなり変わった小説です。
「ストーリーを楽しむ小説」というより、小説・散文詩・エッセイ・追悼文の境界を溶かした作品と考えると、ぐっと面白くなります。

そして、この作品には「ハン・ガン文学がなぜ世界で評価されたのか」「翻訳者がどれほど重要なのか」「韓国文学の海外進出の裏側」といった、業界的な話もかなりあります。

※以下、作品の核心に触れるネタバレがあります。


まず、この小説は何をやっているのか

タイトルは『すべての、白いものたちの』。

原題は韓国語で 『흰』、英語版は The White Book です。

日本語版は2018年に斎藤真理子訳で河出書房新社から刊行されています。単行本は192ページで、本文にはなんと5種類の異なる紙が使われています。これは単なるオシャレではなく、「白にもいろいろな白がある」という作品のコンセプトを、本そのものの造本にまで持ち込んだものです。

つまり、

「白について書いた本」

ではなく、

「白という色を使って、死者と生者の境界を探る本」

なんですね。


① いちばん重要なのは「白=純粋」ではないこと

普通、「白」と聞くと、

  • 清潔
  • 純粋
  • 無垢
  • 新生

を連想します。

ところがハン・ガンの白は、そんな単純な「きれいな白」ではありません。

白には、

  • 生まれたばかりの赤ん坊
  • おくるみ
  • 産着
  • 白い息
  • 死装束

まで入ってくる。

つまり、

生まれる白と、死んだ後に残る白が、同じ色の中に存在する。

ここがものすごく重要です。

河出書房新社も本作を「生後すぐに亡くなった姉」をめぐる物語として紹介し、朝鮮半島とワルシャワの記憶を交差させています。

だから、この本の「白」は、

始まりでもあり、終わりでもある。


② 「姉」が、この作品の見えない主人公

主人公には、実際には会ったことのない姉がいます。

母親が語るところによれば、その姉は生まれてすぐ亡くなった。

つまり主人公は、

存在していた人間を記憶しているのではなく、「存在しなかった時間」を想像している。

ここが普通の追悼小説と違います。

たとえば、

「私は姉を愛していた」

とは言えない。

会っていないからです。

でも、

「もし姉が生きていたら?」

とは考えられる。

すると、

自分の人生は、死んだ姉の人生と紙一重だったのではないか?

という奇妙な感覚が生まれる。

「姉が死んだから自分が生まれた」という単純な因果関係ではありません。

むしろ、

自分が生きているという事実そのものが、会ったことのない死者によって縁取られている。

これがハン・ガンの恐ろしいところです。


③ なぜ舞台が「ワルシャワ」なのか

ここが文学的にかなり巧いところです。

主人公はワルシャワに滞在します。

ワルシャワは第二次世界大戦で徹底的に破壊され、その後再建された都市です。

つまり、

「死んだ街の上に、もう一度、生きる街を作った場所」

なんです。

そこで主人公は、自分の死んだ姉について考える。

すると、

個人的な喪失

都市の喪失

戦争による歴史的な死

それでも再建される生命

という巨大な連鎖ができる。

これがハン・ガンの作品の特徴です。

『菜食主義者』では身体と暴力、『少年が来る』では光州事件、『別れを告げない』では済州島の歴史へと向かっていきます。

個人の身体から、国家や歴史の暴力へ広がっていくんです。

2024年のノーベル文学賞も、まさにハン・ガンの「歴史的トラウマに立ち向かい、人間の生命の脆さを描く詩的な散文」を評価しました。


④ 実は「小説らしくない」のがポイント

『すべての、白いものたちの』を読んで、

「え? これ小説なの?」

と思った人は多いと思います。

それは正しい感覚です。

短い断章が次々に出てくる。

「雪」「おくるみ」「産着」「骨」「灰」……。

一つ一つは小さな文章なのに、それらが集まって大きな物語になる。

河出文庫版では、これを65の物語として紹介しています。

なので構造としては、

長編小説
+ 散文詩
+ エッセイ
+ 祈り
+ 追悼文

のようなものです。

文学研究的に言えば、「ジャンルの境界を曖昧にする作品」。

商業出版的に言えば、かなり勇気のいる本です。


⑤ 「白いものを列挙する」という、実はかなり変な発想

冒頭から主人公は「白いもの」を書き出していきます。

雪。

米。

おくるみ。

産着。

……。

これだけ聞くと、

「白いもの図鑑?」

みたいですよね(笑)。

でも、ここで面白いのが、物を列挙すること自体が記憶の作業になっていることです。

普通、人間は悲しい記憶を直接語れないことがあります。

「姉が死んだ。悲しい」

と書いてしまえば、あまりにも直接的すぎる。

だから、

「白い布」

「雪」

「骨」

「灰」

と、周辺から少しずつ近づいていく。

これはハン・ガンの文章術の核心の一つです。

直接言わないことで、むしろ読者の中に大きな感情を発生させる。


⑥ そして「白」は、実は真っ白ではない

ここがタイトルの「すべての」が重要なんです。

白は一色じゃない。

紙の白。

雪の白。

米の白。

骨の白。

死装束の白。

産着の白。

それぞれ違う。

だから「白」という抽象概念ではなく、

「すべての白いものたち」

なんです。

河出書房新社が日本版の造本で5種類の紙を使ったのも、この発想を本そのものに反映させたものです。

これは出版社の「装丁担当、めちゃくちゃ仕事してるな」という案件です。


⑦ ここから業界話:この本、実は「翻訳者」がめちゃくちゃ重要

日本語版の訳者は斎藤真理子

ハン・ガンを語るとき、翻訳者の存在を抜きにできません。

なぜならハン・ガンは、単純に「ストーリーが面白い作家」ではなく、

一文のリズム、余白、語感、反復、沈黙

そのものが文学だからです。

つまり翻訳すると、

「意味が合っていればOK」

ではない。

日本語にしたとき、

ハン・ガン特有の「息をするような文章の間」が残るか

が問題になります。

これは非常に難しい。


⑧ 英語圏では、さらに有名な「翻訳論争」があった

ハン・ガンの世界的ブレイクには、翻訳者Deborah Smithの存在が非常に大きい。

『菜食主義者』の英訳で、ハン・ガンとSmithは2016年の国際ブッカー賞を共同受賞しました。

ところが、その翻訳について韓国側からは、

「原文から離れすぎているのでは?」

という批判も出ました。

つまり、

良い文学翻訳とは、原文を一語一句忠実に移すことなのか?
それとも、外国語の読者に文学として届くように変換することなのか?

という、翻訳業界では昔からある大問題が、ハン・ガンをめぐってかなり派手に表面化したわけです。

これは面白い現象です。

ハン・ガン自身の文章が世界に出たことで、

「ハン・ガンとは誰か」だけでなく、「翻訳とは何か」まで議論された。


⑨ さらに面白いのが「国際ブッカー賞→ノーベル賞」という流れ

『すべての、白いものたちの』は、『菜食主義者』に続いて国際ブッカー賞候補になりました。

そして2024年、ハン・ガンはノーベル文学賞を受賞。

つまり出版業界的に見ると、

韓国国内の重要作家

翻訳

国際ブッカー賞

世界文学市場で認知

ノーベル文学賞

という、とても珍しい成功ルートを歩んだ作家です。

しかもハン・ガンは韓国初のノーベル文学賞受賞者。

受賞直後には韓国国内で本が一気に売れ、出版社や書店が対応に追われるほどの社会現象になりました。


⑩ 日本では『すべての、白いものたちの』が「意外な再評価」を受けた

面白いのは、日本では2018年にすでに翻訳されていたこと。

つまり、

ノーベル賞を取ってから日本で初めて紹介された作品ではない。

すでに読者や文学関係者から評価されていた。

ノーベル賞後には河出書房新社が緊急重版を決定し、海外文学としては異例の売れ行きになりました。

そして文庫版は2023年に発売されていたので、

「ノーベル賞で突然出てきた本」ではなく、数年前からじわじわ評価されていた本が、ノーベル賞によって爆発した

という構図です。

これは出版業界ではかなり重要です。


⑪ ちなみに、日本版の装丁がかなり凝っている

ここは本好きにはぜひ注目してほしいところ。

河出書房新社は、この本のコンセプトに合わせて本文用紙を5種類使っています。

普通の小説なら、

「紙を5種類にする意味ある?」

となります。

印刷・製本の工程も複雑になるし、コストも上がる。

でもこの本の場合、

紙そのものが作品の一部になる。

つまり、

ハン・ガン → 白について書く
翻訳者 → 白のニュアンスを日本語にする
装丁家 → 白を紙で表現する

という三段構えになっている。

これは「本という物体」まで含めて作品を作った例として面白いです。


⑫ ハン・ガン文学には「暴力」と「やさしさ」が同居している

ここが、ノーベル賞までつながるハン・ガンの大きな特徴です。

一見すると文章は静かです。

叫ばない。

説明しすぎない。

派手な展開も少ない。

なのに、読んでいると非常に重い。

なぜか。

身体の弱さを徹底的に見つめるからです。

赤ん坊。

死者。

傷。

皮膚。

骨。

食べること。

呼吸すること。

眠ること。

そういう「生物としての人間」から、歴史的暴力へとつなげる。

だから『すべての、白いものたちの』も、一見すると非常に静かな本なのに、実際には、

「人間はなぜ生き残ったのか」

という、とてつもなく大きな問いを抱えています。


⑬ この本を「死についての小説」とだけ読むと、少しもったいない

むしろ私は、

「生き残った人の小説」

として読むのが面白いと思います。

死んだ姉について書いている。

死者を追悼している。

戦争で破壊された街について考える。

でも最後に残るのは、

「だから死は悲しい」

だけではない。

むしろ、

死者がいるからこそ、生きている人間はどう生きるのか

という問いです。

だから白は「死」の色であると同時に、「まだ何色にもなっていない色」でもある。

白紙。

白い光。

雪。

新しいページ。

そこからまた何かが始まる。


⑭ ちょっと意地悪な見方をすると……

この作品は、

「ものすごく文学的なことを、ものすごく小さな文章でやっている」

本でもあります。

たとえば普通の小説なら、

姉の死によって主人公は喪失を感じ、それを乗り越えて……

と説明できます。

ハン・ガンは、それをやらない。

「白いもの」を一個ずつ置いていく。

すると読者の頭の中で、

白 → 赤ん坊 → 死 → 母 → 自分 → ワルシャワ → 戦争 → 歴史 → 生

と勝手につながっていく。

読者に「解釈させる」小説です。

だから人によって読後感がかなり違う。


⑮ そして、タイトルの「、」も面白い

日本語タイトルは、

『すべての、白いものたちの』

です。

「すべての白いものたち」ではなく、

「すべての、白いものたちの」

と読点が入っている。

しかも「の」で終わる。

この「の」が残っている感じがいい。

「すべての白いものたちの……何?」

という余白がある。

これは日本語タイトルとして非常に詩的です。

韓国語・英語・日本語で、それぞれタイトルの響きが少しずつ違う。

ここにも翻訳文学の面白さがあります。


最後に、この小説を一言で言うなら

私はこう捉えると一番わかりやすいと思います。

『すべての、白いものたちの』は、「死者を忘れないために、白いものを一つずつ拾っていく小説」です。

雪を拾う。

米を拾う。

布を拾う。

骨を拾う。

灰を拾う。

そして最後には、

「死者のために生きている自分」

まで拾い上げる。

だから、タイトルの「白いものたち」は単なるモチーフではありません。

世界に残された、死者の痕跡そのものなんです。

そしてハン・ガンが2024年にノーベル文学賞を受賞したことを知ったあとに読むと、この作品はさらに違って見えます。ノーベル賞の評価理由も、まさに彼女が歴史的トラウマと人間の生命の脆さを、詩的で実験的な文章によって描いてきたことにありました。

なお、2026年現在のハン・ガンはノーベル賞後も極めてメディア露出を抑えた作家で、最近のインタビューでも、文学・記憶・暴力・希望について語っています。

**『すべての、白いものたちの』→『少年が来る』→『別れを告げない』**と読むと、「ハン・ガンがなぜ“個人の痛み”から“国家の記憶”へ向かっていく作家なのか」がかなり立体的に見えてきます。

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