もちろんです😊
ここでいう「サガン」は、フランスの作家 フランソワーズ・サガン Françoise Sagan のことですね。
サガンは「若くして『悲しみよ こんにちは』を書いた美少女作家」というイメージが強いのですが、実際にはそれだけではありません。
むしろ面白いのは、**「若さ・恋愛・退屈・孤独・自由・お金・老い」**を、ものすごく軽やかな文体で書きながら、その底にはかなり冷たい人間観察があること。
そして映画好きのhiroppy123さんには、先ほどの『ジョゼと虎と魚たち』とのつながりもかなり面白いと思います😊
📚 まず「サガンの代表作」といえば
まず外せないのが、この4作です。
🥇 『悲しみよ こんにちは』(1954)
これはもう、サガンの代名詞。
18歳の少女が書いた小説が世界的ベストセラーになったという、出版史上でもかなり異例の事件です。
🥈 『ある微笑』(1956)
『悲しみよ こんにちは』の次に読むならこれ。
恋愛を「純愛」としてではなく、人間の気まぐれや残酷さとして描くサガンの本質がよく出ています。
🥉 『一年ののち』(1957)
大人の恋愛、夫婦、浮気、倦怠。
サガンの得意分野がかなり濃くなってきます。
⭐ 『ブラームスはお好き』(1959)
個人的には、サガン初心者にも非常におすすめ。
恋愛小説なのに、
「好きな人と一緒にいれば幸せなのか?」
という、かなり苦い問いを突きつけてきます。
👑 まず『悲しみよ こんにちは』が凄すぎる
原題は、
Bonjour tristesse
直訳すると、
「こんにちは、悲しみ」
です。
このタイトルだけでもサガンらしい。
普通なら、
「悲しみよ、さようなら」
と書きたくなる。
でもサガンは、
「こんにちは」
と言ってしまう。
つまり、
悲しみは追い払うものではなく、人生の中に普通に存在するもの。
という感覚なんです。
😳 雑学① 18歳で書いた
これが最大の伝説です。
『悲しみよ こんにちは』が出版されたのは1954年。
サガンは当時18歳。
しかも単に「18歳の新人作家」ではありません。
作品が大ヒットし、
一気に世界的な文学界のスターになった。
これがとんでもない。
現在で例えるなら、
大学生が書いた処女小説が世界的ベストセラーになり、その作者本人まで一夜にしてセレブになる
ようなもの。
💰 雑学② 「サガン」という名前もペンネーム
本名は、
フランソワーズ・クワレ。
「サガン」は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に登場する人物名から取ったペンネームです。
つまり彼女は最初から、
文学少女だった。
しかも単なる恋愛小説好きではなく、
プルーストを読んでいた18歳。
ここがちょっと恐ろしい(笑)。
📖 そして『悲しみよ こんにちは』は、実は「少女の恋愛小説」ではない
ここが重要。
主人公セシルは17歳。
父親と南仏で夏を過ごす。
そこへ父親の恋人アンヌが現れる。
セシルはアンヌを嫌い、
「この女性が父親と結婚してしまったら、自分の自由がなくなる」
と考える。
そして、ある計画を思いつく。
……ここからが怖い。
セシルは単なる「恋する少女」ではなく、
人間関係を観察し、操作する側
なんです。
つまり、
「少女が大人になる物語」
というより、
「少女が、人間の残酷さを知ってしまう物語」
なんですよね。
🧠 サガンの天才的なところ
サガンは、
「私は悲しいです」
と書かない。
代わりに、
人物を行動させる。
誰かが誰かを愛する。
嫉妬する。
退屈する。
嘘をつく。
そして、その結果として、
悲しみが発生する。
これがサガンの文章の強さ。
感情を説明しすぎない。
だから読者が、
「ああ、この人は本当は寂しいんだ」
と自分で気づく。
🍸 雑学③ サガン本人の人生が、作品以上に「サガン」だった
ここから業界話です(笑)。
サガンは、
酒
車
ギャンブル
恋愛
社交界
スピード
を愛したことで有名。
特に車好き。
1950年代のフランスで、
若い女性作家が高級車を乗り回し、夜遊びをして、ギャンブルをする。
これは当時のフランス社会にとって、かなりセンセーショナルでした。
そのためサガンは、
「文学界の不良少女」
のようなイメージまで持たれるようになります。
🚗 そして有名な「アストンマーティン事故」
サガンといえば、車。
1957年、彼女はアストンマーティンで大事故を起こします。
なんと高速運転中に事故。
重傷を負い、一時は生死をさまようほどでした。
この事故は、その後の彼女の人生にも大きな影響を与えます。
そして面白いのは、
作家が文学だけでなく、私生活そのものまで「物語」になってしまった
こと。
🎰 ギャンブルも凄かった
サガンはカジノも好きでした。
そして、かなり大きな金額を賭けたことで知られています。
彼女にとってお金は、
貯めるものというより、人生を楽しむためのもの
だったようなところがあります。
これが後々、
「大成功した作家なのに、なぜか金銭的に苦しくなる」
という、サガン人生の奇妙な部分につながっていきます。
💎 でも、ここを「奔放なセレブ」で終わらせるとサガンを見誤る
実は彼女はかなり繊細。
サガンの小説には、
「自由に生きたい」
という欲望と、
「でも一人では寂しい」
という感情が同時にあります。
ここが非常に重要。
彼女の人物たちは、
恋人がいる。
お金がある。
美しい場所にいる。
車もある。
なのに、
退屈している。
そして、
退屈している自分にまた退屈している。
(笑)
これがサガン文学の「沼」です。
❤️ 『ブラームスはお好き』は、その沼が凄い
1959年の作品。
主人公ポールは39歳の女性。
そこに、
25歳の若い男性シモン
が現れる。
彼はポールに夢中になる。
普通なら、
「年下の男性との恋!」
となります。
ところがサガンは、
そんな単純な話にしない。
ポールは、
自分を愛してくれる若い男
と、
長年付き合っている、でも自分を完全には満たしてくれない男
の間で揺れる。
つまり、
「愛されること」と「愛すること」は、同じではない。
という話なんです。
これ、今読んでも全然古くない。
🎼 ちなみにタイトルが「ブラームスはお好き?」
これも洒落ています。
相手に、
「ブラームスはお好き?」
と聞く。
一見、どうでもいい会話。
でも、その一言が、
恋愛の入り口
になる。
サガンって、こういう、
「何気ない会話の中に人生の大問題を入れる」
のが上手いんですよね。
🎬 そして映画業界とのつながりが凄い
『ブラームスはお好き』は映画化されています。
英題は、
Goodbye Again
1961年の作品。
主演は、
イングリッド・バーグマンとアンソニー・パーキンス。
つまりサガン文学は、
ハリウッド級のスターが演じる恋愛映画
にもなった。
ここから、
文学 → 映画 → スター
というサガン作品のもう一つの魅力が見えてきます。
🇯🇵 そして日本でサガンが愛される理由
実は日本ではサガンの人気がかなり根強い。
なぜか。
僕は、
「日本人がサガンの“静かな孤独”を理解しやすいから」
だと思います。
サガンの作品には、
派手な事件より、
誰かと一緒にいるのに寂しい
という感覚がよく出てくる。
これは日本文学にもかなり親和性があります。
🐟 そして『ジョゼと虎と魚たち』に戻ってくる
ここが、先ほどの映画とつながります😊
『ジョゼと虎と魚たち』のジョゼは、
サガンの小説を読んでいる女性
として描かれています。
なぜジョゼがサガンを読むのか。
これ、ものすごく重要。
ジョゼは、
自由に外へ出られない。
だから、
本の中で恋愛し、世界を旅し、自分では経験できない人生を想像する。
そしてサガンの世界は、
「自由だけど孤独」
な人物でいっぱい。
ジョゼ自身も、
身体的には自由ではないけれど、精神世界では自由。
だからサガンとの相性が抜群なんです。
📚 『ジョゼ』でサガンが出てくる意味
ジョゼがサガンを読むのは、
単なる「文学好き」という設定ではありません。
サガンの小説には、
恋愛=幸福
という単純な考えがない。
恋愛しても、
嫉妬する。
別れる。
傷つく。
孤独になる。
それでも人を愛する。
ジョゼは、そういう世界を知っている。
だから彼女は、
「恋愛すれば人生が全部幸せになる」
とは思っていない。
むしろ、
「恋をしたら、もっと傷つくかもしれない」
ということまで分かっている。
それでも恒夫を好きになる。
ここがジョゼというキャラクターの深さなんです。
🌹 サガンを一言で言うなら?
僕なら、
「幸福よりも、幸福が終わる瞬間を書く作家」
と表現します。
サガンの人物は、
幸福になりそうになる。
恋が始まる。
旅行へ行く。
夏を過ごす。
若い男と出会う。
でも、その瞬間から、
「いつか終わる」
という影が見えている。
だから美しい。
📖 初めて読むなら、この順番がおすすめ
もしhiroppy123さんが「サガン、ちょっと読んでみようかな😊」という感じなら、
🥇 ①『悲しみよ こんにちは』
まずこれ。
サガンの原点。
18歳の少女がどうしてこれを書けたのか、という驚きを味わう。
↓
🥈 ②『ブラームスはお好き』
次にこれ。
サガンの「大人の恋愛」が分かります。
↓
🥉 ③『ある微笑』
少し意地悪なサガンを楽しむ。
↓
⭐ ④『一年ののち』
恋愛と倦怠という、サガンの得意分野がさらに濃くなる。
☕ そして、サガンは「名言」より文章の温度を楽しむ作家
ここはちょっと大事です。
サガンって、
名言を探して読む
より、
文章全体から「この人、人生を分かってるな……」
と感じるタイプの作家です。
特に、
夏
海
車
酒
煙草
恋愛
ホテル
夜
音楽
こういうものが出てくると、
「ああ、サガンだな」
となる(笑)。
でもその華やかな表面の下には、
「人間は誰かと一緒にいても孤独」
という、とても冷たい視線がある。
🎬 最後に、ここまでの映画3本とサガンをつなげると……
これが個人的には一番面白いところです😊
『うさぎドロップ』
→ 他人と暮らすことで「家族」になる。
『川っぺりムコリッタ』
→ 他人と食事することで「孤独」が少し薄まる。
『ジョゼと虎と魚たち』
→ 恋愛によって世界が広がる。でも、恋愛は人を必ずしも救わない。
そして、
サガン
→ そもそも、人間は誰かを愛しても完全には孤独から逃れられない。
こう並べると、かなり面白いんです。
そして『ジョゼ』のジョゼがサガンを読んでいるのは、偶然ではなく、
「自由になりたい。でも自由になったら傷つくことも分かっている」
という彼女の人生観を象徴しているように思えます。
だから、もし『ジョゼと虎と魚たち』が好きなら、まずは**『悲しみよ こんにちは』→『ブラームスはお好き』**の2冊を読むのがかなりおすすめです。
たぶん読んだ後に『ジョゼ』をもう一度観ると、**「あ、ジョゼがサガンを読んでいた意味ってこういうことか」**と、映画の見え方が一段変わりますよ😊
もちろんです😊
おそらく マルセル・プルースト Marcel Proust のことですね。
プルーストといえば、なんといっても巨大な長編小説、
『失われた時を求めて』
です。
ただ、「世界文学史上の超大作」「長すぎる」「難しい」というイメージだけで敬遠すると、かなりもったいない作家です。
というのもプルーストがやったことは、ものすごく簡単に言えば、
「人間の記憶って、どうやって突然よみがえるんだろう?」
を、文学で徹底的に実験したこと。
そして面白いことに、先ほどのサガン、さらに『ジョゼと虎と魚たち』まで、意外なところでつながってきます。
📚 まず「プルーストの名著」といえば、ほぼ一択
🥇 『失われた時を求めて』
原題は、
À la recherche du temps perdu
1913年から1927年にかけて刊行された、全7篇の巨大な長編です。
構成は、
- 『スワン家のほうへ』
- 『花咲く乙女たちのかげに』
- 『ゲルマントのほう』
- 『ソドムとゴモラ』
- 『囚われの女』
- 『逃げさる女』
- 『見出された時』
というもの。
そして、これが本当に長い(笑)。
「世界最長級の小説」としてしばしば話題になりますが、単純にページ数を競う作品ではありません。
一人の人間の意識そのものを、小説の中に丸ごと入れようとした作品
と考えると分かりやすいです。
☕ 雑学① あの「マドレーヌ」は、実は文学史上の超有名シーン
プルーストといえば、
紅茶に浸したマドレーヌ
です。
主人公がマドレーヌを紅茶に浸して口にする。
すると突然、
昔の記憶が洪水のようによみがえる。
これが有名な、
「プルーストのマドレーヌ」
です。
ただし、ここを、
「マドレーヌを食べたら昔を思い出しました」
だけで終わらせると、プルーストの凄さが半分しか分かりません。
🧠 プルーストが発見した「記憶の不思議」
普通、記憶というと、
「覚えているものを思い出す」
ですよね。
たとえば、
「小学校の校舎を思い出してください」
と言われたら、意識的に思い出そうとする。
これはプルーストがいうところの、ざっくり言えば意志的な記憶。
ところが、
昔食べたお菓子の味。
ある香水の匂い。
雨上がりの道路の匂い。
昔の家の空気。
こういうものを突然感じた瞬間、
「うわっ、昔の記憶だ!」
と、意図せず記憶が戻ってくることがあります。
これが面白い。
つまり、
「思い出そう」とするより、「身体が先に思い出す」ことがある。
プルーストはこれを文学の中心に据えたんです。
🧁 だから「マドレーヌ文学」と呼びたくなる
プルーストの凄さは、
「記憶は頭だけにあるのではない」
と文学で描いたこと。
味覚。
嗅覚。
触覚。
音。
光。
こういう感覚が、
過去と現在を突然つなげる。
これ、今の脳科学・心理学の観点から読んでも面白いんですよね。
もちろんプルーストが現代神経科学を知っていたわけではありません。
でも、
「感覚刺激が強烈な記憶を呼び起こす」
という人間の経験を、驚くほど精密に文学化した。
😳 雑学② 実はプルースト、かなりの「引きこもり作家」
ここ、業界話として面白いです。
プルーストは晩年、
ほとんど部屋から出ない生活
を送っていました。
しかも有名なのが、
コルク張りの部屋
パリの自宅の寝室をコルクで覆い、外界からの音を遮断して執筆していた。
そしてベッドに横になりながら、
大量の原稿を書き、書き直し、追加し、また書き直す。
この生活が、作品そのものの巨大さにつながっていきます。
✍️ 雑学③ プルーストは「推敲の鬼」
『失われた時を求めて』は、最初から現在の形だったわけではありません。
プルーストは、
文章を何度も何度も書き直す。
そして面白いのが、
「追加」
です。
本が一度印刷されても、
「ここにもう少し書きたい」
となる。
すると、校正刷りに大量の加筆。
いわゆる**「紙片」**を貼り付けるような形で文章を増やしていった。
そのため、プルーストの原稿は、
紙の上に文章が増殖していくような状態
になっています。
まさに、
「終わらない小説」
(笑)。
📖 そして『失われた時を求めて』は「ストーリー」だけ追うと辛い
ここは初心者にかなり重要です。
「何が起こるの?」
と考えて読むと、
「……まだパーティーの話してる?」
となります(笑)。
プルーストの面白さは、
事件よりも、
「人間が何を考えているか」
にあります。
たとえば、
誰かが誰かを好きになる。
↓
その人の一言が気になる。
↓
その一言を何度も考える。
↓
「もしかして嫌われた?」
↓
いや、そうではないかもしれない。
↓
でも、やっぱり気になる。
↓
昔のことを思い出す。
↓
別の人のことを思い出す。
……
これが延々続く。
でも、これって実は、
人間の頭の中そのもの
なんですよね。
❤️ 雑学④ プルーストは「恋愛小説」としても凄い
『失われた時を求めて』は、
実はものすごく恋愛と嫉妬の小説でもあります。
特に有名なのが、
「スワンの恋」
シャルル・スワンという男性が、
オデット
という女性に夢中になる。
そして、
嫉妬する。
ここからがプルースト。
「彼女は今どこにいる?」
「誰と会っている?」
「なぜあの人と話した?」
「自分のことを愛しているのか?」
と、スワンの意識がどんどん暴走していく。
😱 つまり「恋愛=幸福」ではない
プルーストの恋愛観はかなり冷たい。
人を愛すると、
相手のことを知りたくなる。
でも知れば知るほど、
疑う。
疑えば疑うほど、
もっと知りたくなる。
そして、
相手を愛しているというより、自分の中で作った「相手のイメージ」を愛している
可能性が出てくる。
これ、現代の恋愛にもそのまま当てはまりますよね。
🕵️ 「SNS時代の恋愛」を100年前に書いているような部分がある
これ、かなり面白いです。
スワンの嫉妬を現代に置き換えると、
「既読がついた」
「Instagramにはログインしている」
「なのに返信がない」
「誰と食事している?」
「なぜこの人をフォローしている?」
みたいな話になってしまう(笑)。
プルーストの時代にはSNSなんてありません。
でも、
「相手の行動から愛情を推測しようとして、勝手に苦しむ」
という人間心理は同じ。
だから100年以上前の小説なのに、恋愛部分だけ妙に現代的なんです。
🌈 雑学⑤ プルースト自身の恋愛・性的少数者としての経験も重要
ここは少し慎重に扱いたいところですが、プルーストの作品を読む上で重要です。
プルーストは男性との関係を持ったことが知られており、作品では男性同士の欲望や同性愛を、
隠された社会・秘密・嫉妬
などと結びつけて描いています。
特に『ソドムとゴモラ』では、同性愛をめぐる人物関係が大きなテーマになります。
当時のフランス社会では、現在とは異なる社会的・法的状況がありました。
だからプルーストの作品には、
「人には他人に見せられない秘密がある」
という感覚が非常に強い。
これは恋愛だけでなく、
社交界そのもの
の描写にもつながっています。
🎩 そして「社交界小説」としても凄い
プルーストは、
上流社会の人間関係
を猛烈に観察しています。
誰が誰を招待した。
誰が誰と話した。
誰が誰を無視した。
誰がどの家柄なのか。
誰がどんな服を着ている。
誰がどのサロンに出入りしている。
……
現代風に言えば、
「超高級SNSの人間関係を、本人の脳内まで含めて描いた小説」
みたいなもの(笑)。
🏛️ 「社交界」=巨大なゲーム
プルーストの世界では、
パーティー=ただのおしゃべり
ではありません。
誰と仲良くするか。
誰を避けるか。
誰の家に招かれるか。
誰が誰を評価しているか。
これによって、
自分の社会的な位置
が決まる。
つまり、
社交界そのものが「ゲーム」。
そして人間は、
自分がゲームの中でどの位置にいるのか
を常に気にしている。
この観察眼が恐ろしい。
📚 そしてサガンとの意外なつながり
ここで、先ほどの話につながります😊
サガンは、
プルーストを非常に愛読していた。
そして、サガンのペンネーム「サガン」自体も、プルーストの『失われた時を求めて』に登場する人物名から取ったものです。
つまり、
プルースト
↓
サガン
↓
『ジョゼと虎と魚たち』
という文学の系譜ができる。
これ、かなり面白いですよね。
🐟 ジョゼがサガンを読む理由も、さらに深くなる
ここまで来ると、『ジョゼと虎と魚たち』の見方も変わります。
ジョゼがサガンを読む。
サガンがプルーストを読む。
そしてプルーストが、
「記憶・恋愛・嫉妬・欲望・孤独」
を徹底的に描く。
ジョゼ自身も、
恋愛に憧れながら、恋愛が人を幸せにするだけではない
ことを知っている。
だからジョゼの本棚にサガンがあるのは、
「文学好きの女の子ですよ」という小道具ではなく、彼女の精神世界を説明する装置
としてかなり意味があります。
🕰️ プルーストの最大のテーマ「時間」
そしてタイトルに戻りましょう。
『失われた時を求めて』
「失われた時間」というのは、
単純に、
「昔に戻りたい」
という意味ではありません。
むしろ、
「自分が過ごしてきた時間には、どんな意味があったのか?」
という問いです。
若い頃は、
「今がすべて」
だと思う。
でも年齢を重ねる。
すると、
「あの時は気づかなかったけど、あの出来事にはこんな意味があったんだ」
と分かる。
つまり、
過去は、未来から振り返ることで初めて意味を持つ。
これがプルーストの核心の一つです。
💡 だから「失われた時間」は、本当に失われているのか?
ここがプルーストの美しいところ。
過ぎ去った時間は、
時計の上では戻ってこない。
でも、
ある匂い。
ある音。
ある味。
ある場所。
ある人。
によって、
突然、現在によみがえる。
つまり、
時間は失われたのではなく、記憶の中に別の形で保存されている。
そして文学によって、それをもう一度見つけ出せる。
だから、
「失われた時を求めて」
なんです。
🎬 これ、映画にもものすごく影響を与えている
プルーストは映画以前から存在する作家ですが、
「記憶をどう映像化するか」
という問題に、後世の映画監督たちは何度も挑戦しています。
たとえば、
現在の主人公
↓
ある音・匂い・場所
↓
突然過去へ
という構造。
これは現代映画でも非常によく使われます。
映像作品では、
色
音楽
環境音
カット
カメラ移動
などによって、観客の記憶を刺激する。
つまりプルーストが小説でやった、
「現在から突然、過去へ飛ぶ」
という技法は、映画と非常に相性がいいんです。
🏆 文学業界的に見ると「20世紀文学の巨人」
プルーストは単なる「有名なフランス作家」ではありません。
20世紀文学の流れを大きく変えた人物です。
それまでの小説では、
「何が起こったか」
がかなり重要だった。
プルーストは、
「その出来事を、人間の意識はどう経験したのか」
を徹底的に掘り下げた。
だから、
意識の流れ
記憶
時間
主観
心理
を重視する20世紀文学につながっていきます。
ジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフなどと並べて語られるのも、このためです。
😂 ただし、プルーストは「読むのが遅い作家」でもある
ここは現実的な話(笑)。
『失われた時を求めて』は、
「今日は50ページ読むぞ!」
と気合いを入れて読むより、
「今日はこの一段落だけ味わおう」
くらいの方が向いています。
なぜなら、
一つの文章の中で、
現在
↓
記憶
↓
人物の心理
↓
別の記憶
↓
社会への観察
↓
現在
と動くから。
普通の小説の速度で読むと、
「今どこにいるんだ?」
となります(笑)。
☕ 初心者には「全部読破」をおすすめしない
ここ、かなり大事です。
プルーストに興味が出たなら、
いきなり全7篇を制覇しなくてもいい。
まずは、
『スワン家のほうへ』
の中でも、
「コンブレー」
の部分を少しずつ読む。
そして、
「マドレーヌ」
の場面を味わう。
次に、
「スワンの恋」
へ行く。
これだけでも、
記憶+恋愛+嫉妬+社交界
というプルーストの主要成分をかなり味わえます。
📚 そして日本語訳の「業界話」も面白い
日本では『失われた時を求めて』に複数の翻訳があります。
有名なのは、
吉川一義訳
そして、
岩波文庫版の各巻
など。
さらに以前から、
井上究一郎訳
なども重要です。
プルーストの場合、翻訳によってかなり印象が変わります。
なぜなら、
一文が長い。
しかもフランス語特有の、
「一つの文の中に別の考えが入り、その考えの中にまた別の考えが……」
という構造を日本語にする必要がある。
翻訳者にとっては、
地獄のような仕事(笑)。
でも、その苦労があるから、
日本語でもプルーストの「意識の動き」を味わえる。
🌸 そして、プルーストを読む究極のコツ
僕なら、
「ストーリーを急いで理解しない」
これを一番おすすめします。
プルーストは、
「何が起きたか」
より、
「そのとき自分は何を感じていたのか」
を読む作家。
だから、
「この文章、なんか分かるな」
と思ったら、そこで止まっていい。
たとえば、
昔の街を歩いていて、突然、子供の頃の夏休みを思い出した。
これだけで、もうプルーストの世界です。
🎬 最後に、ここまでの作品を一本につないでみると……
これ、hiroppy123さんが今回、
『ジョゼと虎と魚たち』
→ サガン
→ プルースト
と進んできたので、かなり面白い流れになっています😊
プルースト
「人は記憶の中で過去を生き直す」
↓
サガン
「人は恋愛しても孤独から完全には逃れられない」
↓
『ジョゼと虎と魚たち』
「人は誰かと出会うことで、自分の世界を広げる」
↓
『悪人』
「人間を善悪だけでは割り切れない」
↓
『川っぺりムコリッタ』
「それでも、人は他人と食べ、暮らし、つながっていく」
こうして並べると、全部、
「人間とは何者なのか?」
という同じ巨大なテーマの、別々の角度に見えてきます。
そしてプルーストは、その一番根っこのところで、
「あなたが今ここにいると思っている“自分”は、本当に今だけの自分なのか?」
と問いかけてくる。
過去の恋愛、子供の頃の記憶、誰かの声、食べ物の味、街の匂い――
そういうものが突然よみがえったとき、「昔の自分」が現在の自分の中にまだ生きていることに気づく。
それを何千ページもかけて追いかけたのがプルーストです。
だから『失われた時を求めて』は、単なる「長いフランス文学」ではなく、
「人間の記憶そのものを小説にした作品」
と考えると、一気に面白くなりますよ😊
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