あぁ…この映画だけは最後まで観てほしい。人生の見え方が少し変わるかもしれません【映画紹介】
松山ケンイチ
もちろんです😊
『川っぺりムコリッタ』は、派手な事件が起きるタイプの映画ではないのに、観終わったあと妙に心に残る作品なんですよね。
今回は「映画の内容」だけでなく、松山ケンイチさんの役作り、荻上直子監督の演出、共演者との関係、タイトルの意味、撮影現場の裏話っぽい業界話まで含めて掘ってみます。
🌿 まず、この映画は「何の映画」なのか?
一言でいうと、
「孤独な人間が、他人と一緒に飯を食うことで、少しずつ生きることを取り戻していく映画」
です。
主人公・山田(松山ケンイチ)は、北陸の小さな町にやってきて、塩辛工場で働きながら古いアパート「ハイツムコリッタ」で暮らします。
ところが、本人は「人と関わりたくない」。
そこへ、
- 距離感がおかしい隣人・島田(ムロツヨシ)
- 大家の南(満島ひかり)
- 墓石を売る溝口(吉岡秀隆)
など、**「孤独だけど、完全には孤立していない人たち」**が入ってくる。
この「他人との距離が少しずつ縮まっていく」というのが映画の核心です。
🍚 雑学①「ムコリッタ」って何?
これ、タイトルの意味を知ると映画が一段深くなります。
ムコリッタ(牟呼栗多)とは、仏教に由来する時間の単位。
なんと、
1/30日=48分
とされています。
つまり「ハイツ・ムコリッタ」という名前は、ものすごく大げさに言えば、
「人生の中の、ほんの短い時間」
みたいなニュアンスを持っているんですね。
この映画って、大事件によって人生が劇的に変わるわけではありません。
ご飯を食べる。
風呂に入る。
誰かと話す。
牛乳を飲む。
そんな「48分にも満たないような小さな時間」が積み重なって、人生が少し変わっていく。
だからタイトルが、かなり作品そのものを象徴しています。
🎭 雑学② 松山ケンイチの山田は「しゃべらない演技」が重要
ここが俳優・松山ケンイチの面白いところです。
山田は、とにかく口数が少ない。
普通なら、
「主人公なのに、しゃべらなくて大丈夫?」
となります。
ところが松山さんは、しゃべらない代わりに「食べる」「見る」「間を取る」ことで人物を作っている。
特に食事シーン。
松山さん自身がインタビューで、食べながらセリフを言う場合、
「どのタイミングで口に入れるか」
まで事前に計算していたと話しています。
これ、映画好きにはかなり面白いポイントです。
🎬 実は「食べながら演技」は難しい
例えば、
「うん……そうだね」
というセリフがあったとして、
口いっぱいにご飯が入っていたら言えません(笑)。
逆に、食べ物を飲み込みすぎると、今度は**「食べている人間らしさ」が消える**。
だから、
食べる → 噛む → 飲み込む → 相手を見る → セリフ
という一連の動作まで演技として設計する必要がある。
しかも荻上監督の映画は、こういう日常の動きをかなり大切にする。
つまり『川っぺりムコリッタ』では、
「食事=小道具」ではなく「食事=演技」
なんです。
😂 雑学③ 松山ケンイチと荻上直子監督の出会いが面白い
これ、かなり好きなエピソードです。
松山さんは2017年、映画『聖の青春』でイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭に参加。
そこで荻上直子監督と食事をする機会がありました。
その前に松山さんは、荻上監督の『彼らが本気で編むときは、』を観ていて、ものすごく感動していたそうです。
そして荻上監督側は、その食事の席での松山さんの様子を観察していた。
これが山田役のオファーにつながっていきます。
松山さん自身、この出会いをなんと、
「合コンみたいでした(笑)」
と表現しています。
映画の出演オファーって、
「事務所から正式にオファーが来て……」
というイメージがありますが、実際にはこういう人間同士の出会いや、食事の場での印象から役が決まることもある。
そして、この映画の場合、
「食事の場で観察された俳優が、食事をする役を演じる」
という、ちょっと面白い因縁があるんですよね。
🌾 雑学④ 松山ケンイチは「山田になるため」に生活そのものを変えた
これも非常に興味深い。
松山さんは山田を演じるため、
「東京と田舎の両方で生活する」
という自身の生活経験も役に生かしていたそうです。
さらにインタビューでは、
目の前に畑があって、誰かと作物を育てる作業を共有して、隣近所と飯を食う
というような生活を経験しないと、山田役は難しいと思った、という趣旨の話もしています。
ここが松山ケンイチという俳優の面白さ。
彼って、単純に「セリフを覚えて演技する」タイプというより、
役の生活環境そのものを自分の身体に入れていく
ところがあるんです。
『デトロイト・メタル・シティ』のようなぶっ飛んだ役もできれば、『聖の青春』のように身体そのものを役に合わせることもできる。
そして『川っぺりムコリッタ』では、その方向性がものすごく静か。
だから、派手な演技をしていないのに妙にリアルなんです。
🍙 雑学⑤ 「ご飯を食べる映画」にした荻上直子
荻上直子監督といえば、
『かもめ食堂』
を思い浮かべる人も多いと思います。
荻上作品では、
食べ物が単なる背景ではなく、人間関係を作る装置
になっています。
『川っぺりムコリッタ』もまさにそう。
最初は「他人と関わりたくない」山田が、
誰かとご飯を食べる
ことで少しずつ変化していく。
だから、この映画の食卓って、
「おいしそう!」
だけではなく、
「この人たちは今、一緒に生きている」
ということを映しているんです。
🎬 業界話っぽく見ると「ものすごく贅沢なキャスティング」
個人的に映画業界的な視点で面白いのが、
松山ケンイチ
× ムロツヨシ
× 満島ひかり
× 吉岡秀隆
という組み合わせ。
一見すると「変なアパートの住人たち」ですが、俳優として見るとかなり豪華です。
しかも全員、演技の方向性が違う。
松山ケンイチ
「静」の人。
ムロツヨシ
「動」の人。
満島ひかり
静かなのに、目や間で感情を出す。
吉岡秀隆
一見柔らかいけれど、人物の背負っているものを感じさせる。
この組み合わせだから、
「普通の人々が普通に暮らしているだけなのに、なぜか映画になる」
んです。
🤝 そして松山×ムロは、実は再共演
松山ケンイチとムロツヨシは、2012年の大河ドラマ『平清盛』以来の共演でした。
つまり、
10年ぶりの再共演。
今回は「隣人」という関係です。
面白いのは、二人のキャラクターがかなり対照的なこと。
山田
→「そっとしておいてほしい」
島田
→「お隣さん、こんにちはーー!」
という(笑)。
この温度差が、映画のユーモアを作っています。
🏠 雑学⑥ 「ハイツムコリッタ」は、実は主人公そのもの
古いアパートって、映画では単なる舞台装置になりがちです。
でもこの作品では違う。
ハイツムコリッタそのものが、
「社会から少しこぼれ落ちた人たちが、一時的に集まる場所」
になっています。
だから住人たちは、
「仲良くなったから家族になる」
のではなく、
「たまたま隣に住んでいるから、一緒に飯を食う」
くらいの距離感なんです。
この「家族ではないけれど、完全な他人でもない」という関係が、この映画の非常に現代的なところだと思います。
⚰️ 雑学⑦ 「墓石屋」の吉岡秀隆がいる意味
吉岡秀隆演じる溝口は、墓石を売る仕事をしています。
これ、かなり重要です。
映画全体に、
「生きること」と「死ぬこと」
がずっと隣り合わせで存在する。
なのに、作品のトーンは暗くない。
むしろ、
ご飯を食べて笑う。
その隣に、
墓石がある。
この組み合わせが荻上監督らしいんです。
松山さんとムロさんも完成した映画を一緒に観たあと、二人ともすぐには言葉にできなかったと語っています。
「どんな映画だった?」と聞かれても簡単には説明できない。
松山さんが冗談めかして、
「塩辛工場で働いてる青年の話です」
と答えるしかなかった、というのも面白いエピソードです(笑)。
🧂 そして「塩辛工場」というチョイスが絶妙
普通、孤独な主人公が田舎に移住する映画なら、
「農業」
「漁業」
「旅館」
あたりを選びそうですよね。
そこで、
塩辛工場。
この「ちょっと地味」な仕事がいい。
塩辛って、
発酵・保存・時間
の食べ物でもあります。
この映画そのものが、
「人間関係も、急に完成するものではなく、時間をかけて馴染んでいく」
という話なので、個人的にはかなり象徴的に感じます。
※これは作品の公式な意図として断定するより、映画を観る側からできる面白い読み方ですね。
🎥 さらに業界的に面白いのが「富山ロケ」
本作は富山で、2020年9月上旬から10月上旬にかけて撮影されています。
そして北陸の空気感が、この作品ではものすごく重要。
東京のアパートだったら、
「都会で孤独な青年」
という映画になってしまう。
でも北陸の小さな町にすることで、
人が少ない
↓
静か
↓
でも隣人との距離は近い
↓
逃げてきたのに、逆に人間関係から逃げられない
という構造が成立する。
つまり「田舎」は背景ではなく、物語を成立させる装置なんです。
🌙 最後に、この映画の「隠れた凄さ」
『川っぺりムコリッタ』って、ハリウッド的な脚本構造とはかなり違います。
普通なら、
事件発生
↓
問題発生
↓
主人公が決断
↓
クライマックス
↓
大きな変化
となります。
でもこの映画は、
飯を食う
↓
風呂に入る
↓
誰かと話す
↓
また飯を食う
↓
ちょっと笑う
↓
少しだけ心が変わる
なんです。
だから「何も起きない」と感じる人もいる。
でも逆に言えば、
「人間の人生なんて、実際はこういう小さな出来事の積み重ねだよね」
という映画なんですよね。
そして松山ケンイチの演技も、その思想に合わせて、
「演技しているように見えないこと」
が最大の武器になっている。
😊 個人的に一番面白い見方
この映画をもう一度観るなら、
「山田が何をしゃべったか」ではなく、
「山田が誰と、どこで、何を食べたか」
を追ってみるのがおすすめです。
そうすると、
食事 → 人との距離
風呂 → 心の距離
アパート → 社会との距離
川 → 時間の流れ
みたいな構造が見えてきます。
そして「ムコリッタ=48分」というタイトルも、
人生の中では一瞬にすぎないような時間を、誰かと共有することの尊さ
として見えてくる。
派手ではないけれど、かなり計算された映画なんですよ😊
なお、この作品は荻上監督自身による書き下ろし長編小説を、自身で映画化したものでもあります。つまり「小説→映画」という一般的な翻案より、自分の文章を自分の映像言語に変換した作品。ここも映画好きには面白いポイントです。
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