2025年12月19日金曜日

ニッポン無責任時代と植木等:高度経済成長を加速させた「無責任」の哲学的解体と映像的ダイナミズム

ニッポン無責任時代-映画-amazon
 

ニッポン無責任時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニッポン無責任時代
監督 古澤憲吾
脚本 田波靖男松木ひろし
製作 安達英三朗渡辺晋
出演者 植木等ハナ肇重山規子
音楽 神津善行
主題歌 『無責任一代男』 『ハイそれまでョ』
撮影 斎藤孝雄
編集 黒岩義民
配給 東宝
公開 日本の旗 1962年7月29日
上映時間 86分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 3億5000万円
次作 ニッポン無責任野郎
テンプレートを表示
ニッポン無責任時代』(ニッポンむせきにんじだい)は、東宝1962年に製作した日本映画

概要

カラー、東宝スコープ主題歌は『無責任一代男』、『ハイ、それまでョ』。 クレージー映画の記念すべき第1作。当時『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)で人気を上げたクレージーキャッツ、中でも『スーダラ節』が大ヒットしていた植木等をメインに[1]、“お姐ちゃんシリーズ”で知られていたお姐ちゃんトリオ中島そのみ重山規子団令子)を絡ませた作品だった。従来のサラリーマン喜劇と異なる破天荒な主人公を描いた本作品は予想外の好評となり、1971年公開の『日本一のショック男』(監督:坪島孝)まで、30作が制作される事となる[1]。 本作は、もともとは社長シリーズの企画にも携わっていた当時、東宝文芸部社員だった田波靖男が、会社に忠実なサラリーマン物のアンチテーゼとして「無責任社員」というストーリーを書き上げていた。フランキー堺の主演映画の企画として売り込んだがボツになり、そのままにしていたところプロデューサーの安達英三郎からクレージー・キャッツの「スーダラ節」のヒットにあやかって映画を作りたいと話を持ちかけられ、このストーリーを出したところ賛同され、クレージー・キャッツのメンバーを割り振る形でシナリオにしたものだった。のちに古沢憲吾監督の意向で脚本家の松木ひろしが手を入れる形になるが、基本は田波靖男が単独で執筆したものだった[2]

ストーリー

正体不明の無責任男・平均たいら ひとしは、バーで太平洋酒が乗っ取られそうな話を聞くと、太平洋酒社長・氏家勇作に「太平洋酒を乗っ取ろうとする者がいる」とコネをつけ、太平洋酒の総務部に入社した。そして均に任された仕事は、大株主の富山社長を買収する事。早速富山に会い、小切手1つで見事に成功し、係長に出世。ところがバーの女・京子から「黒田物産の黒田有人社長が富山から株を買った」と知らされショック! それもそのはず、乗っ取り屋として知られる黒田は山海食品社長・大島良介を後ろ盾にしていたのだ。かくて富山に裏切られた均はクビになるが、バーで出会った黒田に気に入られ、再び太平洋酒に復帰、部長となった。やがて太平洋酒はビールを売る事となり、均は北海物産の石狩熊五郎社長とのホップ売買契約を任される。均はお色気攻撃で契約する事に成功するが、黒田に「お色気など言語道断」と叱られ、会社の金を使い込んだと責められて又クビに。ならばとばかり均は会社を去るが、氏家前社長の息子・孝作と偶然出会う。孝作は大島社長の娘・洋子と駆け落ちをしていたのだ。一方娘のゆくえを心配した大島に、均は「娘の居場所を教えるから、氏家を復帰させろ」と要求。その結果、氏家は太平洋酒の社長に復帰を果たすが、その代償として均は、太平洋酒の実質的な支配者となった大島から放逐されてしまう。しかしその1年後。孝作・洋子の結婚式に、均がとんでもない姿でやって来た……!!

キャスト

主題歌・挿入歌

全て作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶
「やせがまん節」
均が夜、氏家家に行く場面で流される、映画オリジナル曲。後に『スーダラ外伝』で歌われる。なお予告編では「やせがまん節」だが、OPクレジットでは「やせ我慢節」と表記された。
ドント節
氏家家に行った均が、孝作からギターを奪って歌う。
スーダラ節
2番を使用。下宿へ帰った均が、階段を上がりながらはずれ馬券を投げ捨て、背広を掃除しながら歌う。
五万節
バーで孝作・洋子のペアを見た均が、「いいなあ、学生時代は」と呟くと、まずアカペラで1フレーズ歌い、「あっそれ!」の掛け声と共にBGM付きで、同じバーの客である大塚・佐倉・青木・安井と共に歌う。歌詞は全て映画オリジナル。
ハイそれまでョ
黒田社長の就任会の席上で均が歌い、大塚・佐倉・青木・安井がバックダンサーを務める。1番と3番を使用したが、どちらも後半部が一部歌詞が替わってる。一見ステージと思いきや、実は就任会の席上という、古澤映画特有の演出。なお予告編では「ハイそれまでョ」だが、OPクレジットは「ハイそれ迄よ」と表記。
無責任一代男
本作の主題歌。全2回流され、2回目は孝作・洋子の結婚式で祝辞代わりに均が歌い、大塚・佐倉・青木・安井が踊る。

ロケ地

均と氏家社長が出会った場所として使われた「青山斎場」のある「青山霊園」

逸話など

  • 本作公開の後、大島渚は本作と『ニッポン無責任野郎』の二本立て上映を一回半(どちらかを二回)鑑賞し、小林信彦(当時の筆名は中原弓彦)に「どうしてあんなに面白いんだろう」と語ったという[4]
  • 2011年に東京・シアタークリエにて舞台公演された『ニッポン無責任新世代』では、主演の原田泰造は植木が演じた「平均」の孫という設定の「百均(くだら・ひとし)」という役で登場した。

同時上映

喜劇 駅前温泉
脚本:長瀬喜伴 / 監督:久松静児 / 主演:森繁久彌 / 東京映画作品
駅前シリーズ』第4作。以後1967年1月の『クレージーだよ天下無敵』(監督:坪島孝)と『喜劇 駅前満貫』まで計8回にわたって、クレージー映画と『駅前シリーズ』のカップリングが行われる。

脚注

注釈

  1. ^ この撮影時に触れた古澤演出の印象、監督とのエピソードなどの記述がある[3]

出典

  1. a b 電撃ホビーマガジン編集部 編「プロジェクト東宝チャンピオンまつり 祭り囃子は遠くに」『ゴジラ 東宝チャンピオンまつり パーフェクション』KADOKAWAアスキー・メディアワークス)〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2014年11月29日、122頁。ISBN978-4-04-866999-3
  2. ^ 田波靖男『映画が夢を語れたとき』広美出版事業部、1997年7月、「第二章 無責任男の出現」参照
  3. ^ 児玉の著書『負けるのは美しく』(集英社。単行本(2005年):ISBN 9784087747744、文庫(2008年):ISBN 9784087462760
  4. ^ 小林信彦・著『日本の喜劇人』より[要ページ番号]
植木等のニッポン無責任時代という映画やその背景について、ChatGPTらしいだじゃれや、      雑学や業界話を交えながら、解説してください。
 

いいテーマですね。
では――
「責任は重いが、映画は軽やか。軽やかだが、実は重い」
そんな矛盾を抱えた一本として、
**植木等『ニッポン無責任時代』(1962)**を、
だじゃれ少々・雑学多め・業界話たっぷりでいきましょう。


① タイトルからして不真面目で真面目

「無責任」=責任放棄? いいえ、責任転位です

まずタイトル。

『ニッポン無責任時代』

この「無責任」、
今の感覚だと

「適当なやつが得する社会」

ですが、当時は少しニュアンスが違います。

戦後日本は

  • 上司が責任を取らない

  • 組織は巨大

  • 現場は疲弊

  • でも誰も止められない

そんな時代。

つまり

「責任はあるのに、誰の責任でもない」

これを一言で言うと?

👉 無責任(責任が“消えている”)

植木等のキャラは、
責任を取らない人間ではなく、
**「責任という幻想を軽く裏返す存在」**なんですね。


② 植木等=サラリーマン界のトリックスター

真面目に不真面目、不真面目に真面目

植木等演じる主人公は、

  • 口は軽い

  • 態度は軽い

  • しかし発言は核心を突く

いわば

会社組織に現れた“道化(トリックスター)”

神話でいうなら

  • 北欧神話のロキ

  • ギリシャ神話のヘルメス

ただし日本風に言うなら…

👉 「飲み会で一番ふざけてるのに、翌日なぜか出世してる人」

ChatGPT的だじゃれで言えば:

無責任じゃない。
責任を“無”に還元してるだけ。
つまり“無責任=責任ゼロ地点”。


③ 背景:高度経済成長期という「空気が走っていた時代」

1960年代初頭の日本は、

  • 高度経済成長まっただ中

  • 終身雇用神話が成立

  • 会社=家族

  • 上司=父親

しかしその裏で…

  • 誰も全体像を理解していない

  • とにかく「イケイケ」で進む

  • 数字は伸びるが、意味は不明

この空気を一言で言うと?

👉 「ノリで国が動いている」

だからこの映画、
ただのコメディに見えて、

「ノリで動く日本社会そのもの」を、
ノリで肯定し、ノリで破壊している

という高度な芸当をやってます。


④ 東宝&クレージーキャッツの“業界的革命”

業界話を少し。

当時の東宝は、

  • 黒澤明(重厚)

  • 成瀬巳喜男(人間ドラマ)

という「真面目路線」が主流。

そこに現れたのが
クレージーキャッツ+植木等

  • 音楽+映画

  • ギャグ+社会風刺

  • サラリーマン喜劇

これは当時としては

👉 「会社の会議で急にジャズが流れ始めた」

レベルの異物感。

しかし観客は大喝采。

なぜか?

真面目すぎる日本に、
「ふざけても生きていい」
という免罪符を与えたから。


⑤ 名セリフと哲学

「わかっちゃいるけど、やめられない」

植木等の世界観は、

  • 正論を言わない

  • でも正論を壊す

  • 理屈より空気

  • 空気よりテンポ

これ、実は禅的です。

👉 考えるな、笑え。
笑えば世界は少しズレる。

現代風に言うなら:

  • KPIを真面目に追う人ほど壊れる

  • でも植木等はKPIそのものを笑い飛ばす

ChatGPT流まとめだじゃれ:

無責任時代は、
実は“責任を一人で抱えない時代”。
だから植木等は、
責任を分散処理するマルチスレッド人間だった。


⑥ 現代との比較:今こそ再評価される理由

今の日本:

  • コンプラ地獄

  • 説明責任過多

  • 炎上社会

  • 正しさのインフレ

この状況で見ると、 『ニッポン無責任時代』は

👉 「正しさ疲れへのワクチン」

植木等は言います(言ってないけど言ってる):

「そんなに全部背負うなよ。
人生、ちょっと軽く行こうぜ」


⑦ 最後に一言(無責任に締めます)

この映画の最大のメッセージは:

真面目だけでは社会は回らない。
不真面目だけでも社会は壊れる。
だから“軽やかな不真面目”が必要なんだ。

責任を取らない男ではなく、
責任という重力を一瞬だけ無効化する男。

それが
植木等=ニッポン無責任時代


もし次に行くなら、

  • 『日本一のホラ吹き男』との比較

  • 植木等とタモリ・ビートたけしの系譜

  • 「無責任」と「老荘思想」の接続

あたりも、かなり面白く掘れますよ。

植木等のニッポン無責任時代という映画やその背景について、Grokらしいだじゃれや、      雑学や業界話を交えながら、解説してください。

植木等のニッポン無責任時代という映画やその背景について、Geminiらしいだじゃれや、      雑学や業界話を交えながら、解説してください。

ニッポン無責任時代と植木等:高度経済成長を加速させた「無責任」の哲学的解体と映像的ダイナミズム

1962年(昭和37年)7月29日、日本の映画史、ひいては戦後文化史を語る上で避けて通れない一作が産声を上げた。東宝製作、古澤憲吾監督作品『ニッポン無責任時代』である 。本作は、渡辺プロダクションと東宝が戦略的にタッグを組み、当時ジャズ喫茶やテレビ番組で爆発的な人気を博していた「ハナ肇とクレージーキャッツ」を銀幕へと本格的に送り出した記念碑的コメディである    

本報告書では、植木等が演じた主人公「平均(たいら・ひとし)」という特異なキャラクターがいかにして誕生し、なぜ当時の国民に熱狂的に迎え入れられたのかを、社会的背景、演出技法、そして植木等の個人的な背景である浄土真宗の思想という三つの軸から徹底的に分析する。また、当時の映画業界の力学や、撮影現場での秘話、そして現代にも通じる「無責任」という概念のポジティブな転換についても言及していく。

時代背景:高度経済成長の狂騒と「所得倍増」の影

1962年という時代は、日本が池田勇人内閣による「所得倍増計画」を掲げ、まさに国家規模で「モーレツ」な成長を遂げようとしていた過渡期にあたる 。岩戸景気の余韻が冷めやらぬ中、テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」が一般家庭に普及し、国民の生活水準は劇的に向上した。しかし、その一方で、労働現場では厳しい規律と滅私奉公を美徳とする戦前からの価値観が根強く残っており、サラリーマンたちは組織の歯車として、終わりのない労働に疲弊していた側面も否めない    

このような「責任」という名の重圧に押しつぶされそうになっていた大衆の前に、忽然と現れたのが、「責任持たないカンケイない!」と公言する平均(たいら・ひとし)という男であった 。このキャラクターの登場は、当時の社会心理学的な観点からも非常に興味深い事象である。   

サラリーマン像のコペルニクス的転回

それまでの日本映画におけるサラリーマンは、真面目にコツコツと働き、上役の理不尽に耐え忍ぶことで、ようやく平穏な生活を手に入れるという「忍耐の象徴」であった 。東宝の看板シリーズであった『三等重役』や、初期の『社長シリーズ』においても、ユーモアはあれど、根底には会社という組織への絶対的な忠誠心が存在していた    

しかし、平均(たいら・ひとし)は、その価値観を根底から覆した。彼は、実力でも努力でもなく、ただの「タイミング」と「口八丁手八丁」の要領だけで、大企業の役員にまで登り詰めていく    

項目 従来のサラリーマン映画(社長シリーズ等) ニッポン無責任時代(平均型)
主人公の美徳

誠実、忍耐、忠誠心 

要領、C調(調子がいい)、ドライ 

会社との関係

運命共同体としての愛社精神 

自身の利益と楽しみのための「踏み台」 

出世のメカニズム

長年の功績、上司への配慮 

偶然のコネ、ハッタリ、運 

人生の目的 家族の幸せ、老後の安定

現代を楽しく生きる、無責任な自由 

  

この表からも明らかなように、平均というキャラクターは、当時の日本人が「心の底では望んでいても、決して表に出せなかった願望」を具現化した存在だったのである    

平均(たいら・ひとし)の造形と植木等の身体性

植木等が演じた「平均(たいら・ひとし)」という名前は、言うまでもなく「平等(びょうどう)」への皮肉、あるいは「平均的な日本人」という概念のアンチテーゼとして名付けられている 。このキャラクターを構築する上で、植木等の驚異的な身体能力と、ジャズミュージシャンとしてのリズム感は欠かせない要素であった。   

C調(ハ長調)の軽やかさと「無責任」の語源

劇中で多用される「C調」という言葉は、ジャズの世界で最も平易なキーである「ハ長調(C Major)」に由来し、転じて「お調子者」「軽薄」といった意味を持つ当時の若者言葉(隠語)であった 。植木等は、この「C調」を単なる性格描写に留めず、歩き方、笑い方、そして喋りのテンポにまで落とし込んだ。彼が歩くだけで、画面全体が軽やかなスウィングを刻み始めるのである。   

また、「無責任」というタイトルについて、当時の製作陣は「あまりに不謹慎ではないか」という議論を重ねたと言われている 。しかし、結果としてこの言葉は、既存の重苦しい「連帯責任」や「滅私奉公」のシステムに対する、強力な解放の呪文として機能することになった 。まさに「無責任」こそが、当時の最先端の「誠実さ」であったというパラドックスが成立したのである。   

脚本の変遷:香典泥棒から「無責任男」へ

本作の制作過程において、非常に重要な「キャラクター修正」が行われたことが判明している 。当初の脚本では、平均は「葬儀場に潜り込んで香典を盗むコソ泥」という、より犯罪的なキャラクターとして設定されていた    

しかし、これに異を唱えたのが他ならぬ植木等本人であった。彼は古澤憲吾監督に対し、「泥棒のような反社会的な人間は演じたくない。あくまで『無責任』であっても『悪党』ではない男にしたい」と強く訴え、設定を変更させたという 。この修正により、平均は「法に触れないギリギリのラインで既存の価値観を笑い飛ばすトリックスター」へと昇華されたのである。   

劇中に、私服の刑事が平均を執拗に尾行するシーンが残されているのは、この初期設定の名残である 。警察官の目から見れば「怪しい男」だが、観客の目から見れば「ただの自由な男」という二重構造が、キャラクターに奥行きを与えている。   

古澤憲吾と映像革命:ダイナミズムとズームの魔術

『ニッポン無責任時代』の成功は、監督である古澤憲吾の「狂気」に近い演出スタイル抜きには語れない 。彼は「ダイナミズムの古澤」と呼ばれ、静止画のような美しい構図を重んじる当時の映画界の伝統を、暴力的なまでのズームとスピーディな展開で破壊した    

「古澤イズム」の技術的構成要素

  1. 狂熱のズーム・ショット: 古澤監督は、ズームレンズを単なる寄りの道具ではなく、感情の爆発を表現するアクションとして使用した 。平均が驚くシーン、あるいは決意するシーンで、カメラは物理的な重力を無視するように被写体へ「突進」する 。これは、後のアニメ演出にも多大な影響を与えたと言われている。   

  2. ミュージカル・シーンの突然変異: 唐突に歌い出し、オフィスや街中で群舞が始まる演出は、ハリウッド・ミュージカルへのオマージュでありながら、極めて日本的な「お祭り騒ぎ」の変奏であった 。特に、平均が社内を練り歩きながら「無責任一代男」を歌うシーンは、労働空間を一瞬にして祝祭空間へと変貌させる力を持っていた    

  3. 色彩の暴力: カラー映画としての特性を極限まで活かし、ビビッドな原色を多用した美術設定は、高度経済成長期の「ギラギラした欲望」と「明るい未来」を視覚的に象徴していた    

古澤演出は、当時の批評家からは「品がない」「騒がしいだけだ」と揶揄されることもあったが、大衆は、この「理屈抜きに血が騒ぐ」映像体験に熱狂した 。まさに、映像の「植木等化」が、古澤憲吾というフィルターを通じて実現されていたのである。   

ロケーションの象徴性:大和呉服橋ビル

平均が潜り込む「太平洋酒」の社屋として撮影に使用されたのは、東京駅八重洲口近くに存在した「大和証券ビル(大和呉服橋ビル)」である 。1956年に竣工されたこの近代的ビルは、当時のニッポンのビジネス界の最前線を象徴する場所であった    

古澤監督は、この「本物の近代建築」の中で「偽物のサラリーマン」である平均を暴れさせることで、現代社会の滑稽さを浮き彫りにした 。ちなみに、このビルは古澤監督のお気に入りで、その後の「日本一の男」シリーズでもたびたび登場し、ファンからは「クレージー映画の聖地」として親しまれている 。まさに、ロケ地も「等(等しく)」扱われていたわけである。   

浄土真宗と「凡夫」の肯定:植木等の内なる葛藤

『ニッポン無責任時代』を語る上で、最も深く、かつ感動的なエピソードは、植木等の実像とキャラクターの間のギャップ、そして彼を支えた父・植木徹誠の教えである    

真面目すぎるコメディアンの悲哀

植木等本人は、劇中の平均とは正反対の、極めて繊細で生真面目な人物であった 。彼は、自身をスターに押し上げた「スーダラ節」の歌詞、「分かっちゃいるけどやめられねぇ」を初めて見た際、激しいショックを受けたと回想している    

「こんなふざけた歌を歌って、日本中の子供たちが真似をしたら、日本はダメになってしまう。自分の人生もこれでおしまいだ」    

ディック・ミネに憧れ、二枚目のジャズシンガーを目指していた彼にとって、無責任男という偶像は、自身の美学を真っ向から否定するものであった 。ヒットすればするほど、彼は「こんな歌が流行する社会は悲しい」と思い悩み、精神的に追い詰められていった    

父・徹誠の言葉:親鸞聖人の教えとの共鳴

この窮地を救ったのが、三重県の浄土真宗真宗大谷派の僧侶であった父・徹誠であった 。徹誠は、悩む息子に対し、意外な言葉をかけた。   

「等よ、この歌詞は素晴らしい。これは親鸞聖人の教えそのものだ」    

徹誠はこう説いた。「人間というものは、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけないと分かっていながら、ついやってしまう。それが人間の本当の姿であり、それを浄土真宗では『凡夫(ぼんぶ)』と呼ぶのだ。『分かっちゃいるけどやめられない』というのは、自分の弱さを認めた人間の、最も誠実な告白ではないか。これを歌うことは、決して不謹慎なことではない。むしろ、救いなのだ」    

この父の「説法」により、植木等は自身の役柄に「宗教的な使命感」を見出した 。平均という男は、単なるお調子者ではなく、人間のどうしようもない業(ごう)を一身に背負い、それを笑いに変えて人々を解放する「菩薩」のような存在として、植木の中で再定義されたのである。   

反戦僧侶・植木徹誠の影

父・徹誠は、単なる宗教家ではなく、戦前・戦中を通じて徹底して戦争に反対し、治安維持法違反で投獄された経歴を持つ、凄まじい信念の人であった    

エピソード 内容 植木等への影響
反戦の信念

檀家の出征兵士に「なるべく弾の来ない場所を選べ」「相手を殺すな」と諭した 

国家の命令(責任)よりも個人の命を優先する思想 

平等思想

「平等」という言葉から、本名として「等」と名付けた 

権威に屈しない独立心と、万生への慈しみ 

偶像破壊

金ピカの仏像を物差しで叩き、「中身は木だ」と少年の等に教えた 

形骸化した形式や肩書きに惑わされない本質的な視点 

  

植木等が演じた「無責任男」が、どこか世俗を超越した爽快感を纏っていたのは、その背後にこうした峻烈な「個の自由」の思想が流れていたからに他ならない 。植木等の活躍は、ある意味で父・徹誠が果たせなかった「戦後の自由の謳歌」を、芸能という形で行っていたとも解釈できる。   

キャスティングの妙:クレージーキャッツとお姐ちゃんトリオ

本作を支えるのは、植木等の突出したキャラクターだけではない。ハナ肇とクレージーキャッツの面々、そして東宝が誇る女優陣による重層的なキャスティングが、コメディとしての完成度を極限まで高めている    

クレージーキャッツ:プロのジャズマンが織り成す笑い

1950年代、米軍キャンプを回り、超一流のジャズ演奏の合間に過激なコントを挟むスタイルで人気を博した彼らは、映画の中でもその「音楽的間合い」を遺憾なく発揮した    

  • ハナ肇(氏家勇作 社長役): クレージーのリーダーであり、平均の暴走を受け止める「器」の大きな社長を好演 。平均の無責任さに翻弄されながらも、どこか彼に魅了されてしまう権威の象徴として、コメディのアンカーを務めた    

  • 谷啓(谷田総務部長役): 「ガチョーン」で知られる稀代のコメディアンだが、本作では平均に居場所を奪われかける、気の弱い中間管理職を繊細に演じた 。彼のトロンボーンのような伸びやかなリアクションは、植木のスピード感に対する絶妙なカウンター・メロディとなった    

  • 犬塚弘、安田伸、石橋エータロー、桜井センリ: 太平洋酒の社員として脇を固め、アンサンブルとしての笑いを増幅させた 。彼らが一堂に会するシーンは、まるで緻密に計算されたジャズのセッションのような心地よさがある。   

お姐ちゃんトリオ:モダン・ガールたちの共演

当時の東宝で絶大な人気を誇った「お姐ちゃんトリオ」こと団令子、重山規子、中島そのみの出演は、映画に華やかさと、1960年代的な「自立した女性の強さ」をもたらした    

  1. 団令子(芸者・まん丸役): 平均と対等に渡り合い、株の売買や会社の乗っ取り劇にも深く関わるバイタリティ溢れる女性を演じた    

  2. 重山規子(社長秘書・佐野愛子役): 平均の正体を見抜きつつも、彼の生命力に惹かれていくクールな秘書役 。平均に「前の会社をクビになったから入社した」と正直に告白されるシーンは、二人の間の不思議な信頼関係を示している    

  3. 中島そのみ(マダム・麻田京子役): バー「マドリッド」の女主人として、夜の社交界に生きる大人の女性を演じた    

彼女たちは単なる「添え物」ではなく、平均という無責任男を手玉に取ることもある、非常にアクティブな存在として描かれている。これは、高度成長期における女性の社会進出や、消費の主役としての台頭を予見させる描写でもあった    

音楽的考察:神津善行と萩原哲晶のサウンドトラック

『ニッポン無責任時代』において、音楽は映画の「伴奏」ではなく、映画そのものの「骨格」である    

「無責任一代男」のインパクト

主題歌「無責任一代男」は、神津善行の音楽監修のもと、作詞・青島幸男、作曲・萩原哲晶という黄金トリオによって生み出された    

この楽曲の最大の特徴は、イントロから全開のブラスセクションと、植木等の突き抜けるようなハイトーンの笑い声である。「俺はこの世で一番の、無責任と言われた男……」という歌詞は、一種の自己紹介でありながら、社会の全ての束縛を嘲笑する「自由宣言」でもあった    

また、劇中で挿入される「ハイ、それまでョ」も、物語の展開と完璧にシンクロしている 。失敗しても、あるいは計画が破綻しても、「ハイ、それまでョ」と一言唱えるだけで、全ての過去はリセットされ、次の瞬間には新しい遊びが始まる。この「リセット感覚」こそが、当時の停滞していた日本人の精神を蘇生させたのである。   

業界話と雑学:映画制作の舞台裏

本作には、映画ファンや業界人を唸らせる興味深いエピソードが数多く残されている。

渡辺プロダクションの戦略

当時、渡辺プロダクションの社長であった渡辺晋は、クレージーキャッツを単なる「芸人」ではなく「マルチエンターテインメント・スター」として売り出す戦略を立てていた 。本作の製作に安達英三朗とともに渡辺晋が名を連ねていることは、芸能事務所が主導して映画をヒットさせるという、現在のメディアミックスの先駆けであったことを物語っている    

助監督たちの証言:カオスな現場

BDのオーディオコメンタリーには、助監督の吉松安弘や記録の横山照子が出演し、当時の現場の熱気を語っている 。古澤監督の撮影は非常に速く、かつ即興性に満ちていたため、スタッフは常に全力疾走を強いられたという 。特にズームのタイミングなどは、カメラマンの直感に任される部分も多く、そのライブ感が映像に刻み込まれている。   

ノンクレジットのエキストラと「その後」

本作には、後にスターとなる俳優たちがエキストラとして出演していたことも知られている。例えば、若き日の児玉清が社員役でノンクレジット出演している 。また、同時上映の『喜劇 駅前温泉』の主演であった森繁久彌は、後のシリーズ作品で植木等と共演し、新旧のコメディアンのバトンタッチを象徴するようなシーンを見せることになる    

社会的影響と評価の変遷

『ニッポン無責任時代』が公開された直後、インテリ層や一部の教育者からは「若者に悪影響を与える」「不真面目を助長する」といった批判が相次いだ 。しかし、大衆の支持は圧倒的であり、映画は予想を遥かに超える大ヒットを記録した    

サラリーマンの救済

当時の観客の中には、「平均のように生きたいけれど、現実は厳しい。でも、映画館の中でだけは彼になりきって、明日への活力を得ることができた」と語る者が多かった 。これは、映画が提供する「健全な逃避」であり、一種のメンタルケアとしても機能していたと言える    

現代の視点から見れば、平均の行動は「ワークライフバランス」を極限まで先取りしたものとも解釈できる。会社に人生を捧げるのではなく、会社というシステムをいかに「利用」して自分の人生を豊かにするかという視点は、21世紀の現在においてますます重要性を増している    

クレージー映画の系譜

本作の成功を受け、東宝は『ニッポン無責任野郎』(1962年)、『日本一の色男』(1963年)、『日本一のホラ吹き男』(1964年)と、矢継ぎ早にシリーズを製作していく    

作品名 公開年 監督 植木等の役名 特徴
ニッポン無責任時代 1962 古澤憲吾 平均(たいら・ひとし)

シリーズ第1作。無責任男の原点 

ニッポン無責任野郎 1962 古澤憲吾 源等(みなもと・ひとし)

さらに傍若無人なパワーアップ 

日本一の色男 1963 古澤憲吾 光等(みつ・ひとし)

サラリーマン映画のパロディ的側面 

ホラ吹き太閤記 1964 古澤憲吾 木下藤吉郎

時代劇への進出。戦後最大のヒットの一つ 

  

これらの作品を通じて、植木等は「日本の高度経済成長を最も象徴する顔」となり、その笑い声は、ニッポンの活気のサウンドトラックとなった。

結論:永遠の「平均(たいら・ひとし)」

『ニッポン無責任時代』は、単なる古い喜劇映画ではない。それは、日本人が「高度経済成長」という未曾有の狂騒を生き抜くために必要とした、精神の解毒剤であった。

植木等が演じた平均という男は、一見すると自己中心的で軽薄に見えるが、その根底には、父・徹誠から受け継いだ「人間は誰しも愚かで、弱い。だからこそ、等しく許され、笑い飛ばされる権利がある」という、浄土真宗的な救済の哲学が流れていた。

平均の笑い声は、過酷な競争社会に生きる人々に対し、「どんなに失敗しても、ハイ、それまでョと言ってやり直せばいい。俺について来れば、なんとかなる」という、根源的な肯定を突きつけていたのである。

現代社会において、我々は再び、過剰な「責任」や「コンプライアンス」の重圧に晒されている。そんな今こそ、平均(たいら・ひとし)の「責任持たないカンケイない!」という軽やかな叫びが必要なのかもしれない。

植木等の名が示す通り、人生は「等しく」素晴らしいものであり、真面目に生きることも、たまには無責任に笑い飛ばすことも、どちらも大切な人間の一側面なのだから。まさに、「植木」だけに、その教えは今も我々の心にしっかりと根を張っているのである。

最後に、業界で語り継がれる植木等の言葉で本レポートを締めくくりたい。 「本当に面白いコメディアンというのは、舞台を降りた時に一番真面目な人間なんだよ」

その真面目さが生んだ「無責任」という最高の虚構は、これからも日本の映画史に燦然と輝き続けるだろう。

tohotheaterstore.jp
ニッポン無責任時代 Blu-ray(TBR36006D)|新着ブルーレイ・DVDカテゴリー
新しいウィンドウで開く
ja.wikipedia.org
ニッポン無責任時代 - Wikipedia
新しいウィンドウで開く
note.com
『ニッポン無責任時代』(1962年7月29日・古澤憲吾)〜『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963年7月13日・坪島孝) - note
新しいウィンドウで開く
bs11.jp
昭和喜劇シリーズ 映画「ニッポン無責任時代」 - BS11
新しいウィンドウで開く
www2e.biglobe.ne.jp
東京発京都行の新幹線ひかり号(っぽいNippon Speed Lineのゆかり号)を舞台にしたアメリカ映画「ブレット・トレイン」(デヴィッド・リーチ2022年)だ。 - BIGLOBE
新しいウィンドウで開く
researchmap.jp
1950年代及び60年代におけるサラリーマンイメージの変容過程 - researchmap
新しいウィンドウで開く
shin-bungeiza.com
ニッポン無責任時代 - 作品解説 - 新文芸坐
新しいウィンドウで開く
allcinema.net
映画 ニッポン無責任時代 (1962) - allcinema
新しいウィンドウで開く
tv.apple.com
‎ニッポン無責任時代 - Apple TV
新しいウィンドウで開く
note.com
「無責任一代男」という曲|カメヤマ - note
新しいウィンドウで開く
ja.wikipedia.org
植木等 - Wikipedia
新しいウィンドウで開く
note.com
『ニッポン無責任時代』:1962、日本|フルカワ モグラ - note
新しいウィンドウで開く
shogakukan.co.jp
生誕90年記念 ニッポンを元気にした男――植木等と渡辺プロダクションの映画 - 神保町シアター
新しいウィンドウで開く
tokyoasahi.com
「分かっちゃいるけどやめられねぇ」の父 弁護士白井劍
新しいウィンドウで開く
radichubu.jp
植木等「スーダラ節」のルーツは親鸞聖人の教えにあった! - RadiChubu-ラジチューブ-
新しいウィンドウで開く
ld-dvd-bluray.2-d.jp
クレージー・キャッツ アンソロジー - LD DVD & Blu-rayギャラリー
新しいウィンドウで開く
note.com
植木等に見る僧侶のユーモア(2007)|Saven Satow - note
新しいウィンドウで開く
nearestfar.exblog.jp
『馬鹿まるだし』と植木等のこと - Nearest Faraway Place - エキサイトブログ
新しいウィンドウで開く
ganjoji.com
願成寺メルマガ
新しいウィンドウで開く
note.com
「わかっちゃいるけどやめられない」という美しい真理の存在|不入斗ケイ - note
新しいウィンドウで開く
note.com
クレイジーキャッツの音楽史 第1回「初心者のためのクレイジーキャッツ入門」 - note
新しいウィンドウで開く
ja.wikipedia.org
ホラ吹き太閤記 - Wikipedia

0 件のコメント: