では、少し知的に、しかし距離感を保ちながら解説しますね。
**クラフト=エビング『性的精神病理(Psychopathia Sexualis)』**は、
精神医学・法医学・文化史の交差点にある、かなり“危うくも重要”な本です。
① まず誰か:クラフト=エビングとは
リヒャルト・フォン・クラフト=エビング
(1840–1902/オーストリア)
-
精神科医・神経学者
-
法医学(裁判と精神鑑定)の専門家
-
当時の最先端「精神病理学」を代表する人物
👉 重要なのは、
彼は猟奇趣味の人ではなく、国家・裁判・医療の側の人間だったという点です。
② 『性的精神病理』とは何か
1886年初版。
正式タイトルは
『Psychopathia Sexualis(性的精神病理)』
内容を一言で言うと:
「性に関わる逸脱・嗜好・行動を、病理として分類した巨大なカタログ」
-
サディズム
-
マゾヒズム
-
フェティシズム
-
同性愛(当時は病理扱い)
-
倒錯(perversion)とされた行為
などが、症例付きで大量に列挙されます。
③ 雑学①:なぜラテン語で書かれたのか
この本、わざと難解なラテン語で書かれています。
理由はシンプルで生々しい:
-
一般人に読ませたくなかった
-
「猥褻本」扱いされるのを避けたかった
-
医師・法曹だけが読む前提
👉 つまり
エロを隠すための学術語。
しかし皮肉なことに、
逆に「禁書的な魅力」を持ってしまいます。
④ 雑学②:「サディズム」「マゾヒズム」を作った人
この本で、クラフト=エビングは:
-
サディズム(サド侯爵から)
-
マゾヒズム(マゾッホから)
という言葉を医学用語として定義しました。
つまりあなたが昨日聞いていた言葉は、
ここが原点です。
⑤ 業界話①:精神医学の“分類病”
当時の精神医学は、
-
見つける
-
分類する
-
名前をつける
=博物学的医学の時代。
🧠 今で言えば:
DSM(精神疾患診断マニュアル)の
かなり粗く、価値観ベタ塗りの前身
クラフト=エビングは
「治す」より
「分ける」人でした。
⑥ 業界話②:実は“擁護者”でもあった
誤解されがちですが、彼は単なる弾圧者ではありません。
例えば同性愛について:
-
「生得的で、本人の責任ではない」
-
「犯罪として裁くべきではない」
という主張を、
法廷向けに論じていた。
👉 病理化はしたが、
処罰軽減のために病理という言語を使った側面もあります。
これは当時としてはかなり進歩的。
⑦ 危険な点:価値観の混入
一方で、現代から見ると問題点は明確です。
-
性=生殖が正義
-
それ以外は「退化」「異常」
-
女性は受動的であるべき、という前提
👉 つまり
科学と道徳が分離できていない
これが後に、
-
優生思想
-
性的少数者差別 に繋がる下地にもなりました。
⑧ フロイトとの関係(裏話)
若き日のフロイトは、この本を熟読しています。
-
性を“抑圧と無意識”の問題に移行させたのがフロイト
-
性を“分類と病理”で止めたのがクラフト=エビング
👉 精神医学は
ここでリスト化の学問から、物語化の学問へ分岐します。
⑨ 現代から見た評価
現在の精神医学では:
-
『性的精神病理』は学術史的資料
-
臨床的正しさはほぼ否定
-
しかし「言葉を作った功績」は巨大
🎬 映画・文学・心理描写では
いまだにこの本の影が見えます。
⑩ まとめ(あなた向けに一言)
あなたがこれまで聞いてきた
-
サディズム/マゾヒズム
-
危険な言葉
-
性と権力
-
病理と社会
これらの源流の一つが、この本です。
そして大事なのは:
クラフト=エビングは
「人を理解したかった」が、
「言葉が人を縛る危険」までは
見切れなかった。
ここに、
あなたが最近考えているテーマとも
深く重なる部分があります。
もし次に進むなら:
-
フーコー『性の歴史』(権力の視点)
-
フロイトとの決定的分岐
-
なぜ“分類したがる学問”は危険なのか
このあたりも、かなり面白く繋がりますよ。
とても良い並べ方です。
この三点は実は 一本の線 でつながっています。
少し長くなりますが、「雑学+業界話+思想史の核心」という形で解説します。
① フーコー『性の歴史』
――「性は抑圧された」のではなく、「語らされてきた」
● 一般的な誤解
よくある理解:
近代社会は性を抑圧してきた
→ フロイトはそれを解放した
フーコーはこれを 真っ向から否定 します。
● フーコーの逆転発想
フーコーの主張はこうです:
近代社会は
性を沈黙させたのではなく、
無限に語らせ、記録し、分類してきた
-
医師に語らせる
-
神父に告白させる
-
教師が観察する
-
親が管理する
-
国家が統計を取る
👉 これを彼は
「告白の装置」 と呼びました。
● 雑学:性は「知識」になった瞬間に権力になる
性が
-
秘密 → 罪
-
罪 → 病理
-
病理 → 統計・分類
と変換された瞬間、
国家・専門家が介入できる領域になります。
フーコー的に言えば:
知ること=支配すること
② フロイトとの決定的分岐
――「内面を掘るか」「構造を疑うか」
● 共通点
-
性が重要だと見抜いた
-
近代社会の偽善を感じていた
しかし、方向が違いました。
● フロイトの立場
フロイトはこう考えます:
性は抑圧され、
無意識に押し込められ、
症状として現れる
だから彼は:
-
個人の内面を掘る
-
欲望の物語を語らせる
-
治療という形を取る
👉 治すために語らせる
● フーコーの立場
フーコーはこう言います:
なぜ「語らせる」こと自体が
正しいと思われているのか?
-
語らせる装置そのものを疑う
-
誰が得をするのかを見る
-
医師や学者の位置を疑う
👉 語らせること自体が権力
● 業界話:精神医療の現場感覚
臨床ではこの二つは今も緊張関係にあります。
-
フロイト的:
「話せば癒える」 -
フーコー的:
「話させすぎるのは暴力では?」
どちらも正しく、どちらも危険。
③ なぜ「分類したがる学問」は危険なのか
――便利さと暴力はセット
● 分類のメリット
-
理解が早い
-
共有しやすい
-
対処しやすい
-
制度に落とし込める
医学・教育・行政に不可欠です。
● しかし危険はここから
分類には必ず:
-
正常/異常
-
標準/逸脱
-
治療対象/対象外
という線引きが生まれます。
👉 線を引いた瞬間、
「外側」が生まれる
● フーコー的に言えば
分類とは:
人を助けるための地図であり、
同時に檻(おり)でもある
● 雑学:DSMの業界裏話
精神医学の診断基準(DSM)は:
-
改訂ごとに病名が増減
-
社会的要請で変わる
-
保険制度と強く連動
👉 病気は
発見されるだけでなく、作られる
④ クラフト=エビング → フロイト → フーコーの一本線
整理すると:
-
クラフト=エビング
性を「分類」した -
フロイト
性を「物語」にした -
フーコー
性を「権力装置」として疑った
進歩ではなく、
視点のスライドです。
⑤ あなたの最近のテーマとの接点
あなたが関心を持っている:
-
言葉の危険性
-
ラベルが人を縛る感覚
-
声・評価・分類への警戒
これはまさに
フーコー的感覚です。
「これは理解か?
それとも管理か?」
この問いを持てること自体が、
分類の暴力から一歩距離を取れています。
⑥ まとめ(短く)
-
フーコー:
性は抑圧されていない、管理されてきた -
フロイト:
内面を救おうとしたが、装置を疑わなかった -
分類:
助けにもなるが、人を閉じ込める
最後にフーコー風に言えば:
問題は
「あなたは何者か?」ではなく
「誰が、それを決めているのか?」
とても良いテーマを掘っています。
また続けましょう。
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