2025年12月3日水曜日

伴名練(はんな れん)さんの傑作短編集『なめらかな世界と、その敵』について

なめらかな世界と、その敵
ジャンル SF
小説
著者 伴名練
イラスト 赤坂アカ
出版社 早川書房
発売日 2019年8月20日[1]
巻数 1巻
話数 6話
その他 短編集
テンプレート - ノート
プロジェクト フィクション
ポータル 文学
なめらかな世界と、その敵』(なめらかなせかいと そのてき)は、伴名練によるSF小説短編集2010年代に発表された5編を改稿した上で、書き下ろし1編を加えて2019年8月20日に発売された。伴名にとって『少女禁区』以来9年ぶり2本目の単著である。 発売1週間後までに4回増刷されたほか、SFが読みたい!の年間ベストSF2019の投票において国内篇1位を獲得するなどの評価を得ている。

概要

伴名は京都大学在学中の2010年に『少女禁区』で作家デビューしたが、その年に就職して忙しくなったため、それ以降は京都大学SF研究会の機関誌などの同人誌に年に1作ほど短編を寄稿するのみであった[2]。しかし、その多くが『年刊日本SF傑作選』に収録されるなど、高い評価を受けていた[3]。それら短編をまとめ、書き下ろし1編を加えて出版されたのが本書である[2]。 伴名にとって『少女禁区』以来9年ぶりとなる著作であり、初のSF短編集である[4]。単行本化にあたっては、各短編でキャラクターの一人称と性格が重複しないようにするなどの改稿が施されている[2]

収録作品

  • なめらかな世界と、その敵(『稀刊 奇想マガジン 準備号』2015年12月 カモガワSFシリーズKコレクション/再録:『年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ』2016年6月 創元SF文庫[5]
  • ゼロ年代の臨界点(『Workbook93 ぼくたちのゼロ年代』2010年8月 京都大学SF・幻想文学研究会/再録:『年刊日本SF傑作選 結晶銀河』2011年7月 創元SF文庫)[5]
  • 美亜羽へ贈る拳銃(『伊藤計劃トリビュート』2011年11月 京都大学SF・幻想文学研究会 特殊検索群i分遣隊/再録:『年刊日本SF傑作選 拡張幻想』2012年6月 創元SF文庫)[5]
  • ホーリーアイアンメイデン(『年刊日本SF傑作選91~99を編む パイロット版』2017年12月 カモガワSFシリーズKコレクション/再録:「年刊日本SF傑作選 プロジェクト:シャーロック」2018年6月 創元SF文庫)[5]
  • シンギュラリティ・ソヴィエト(『改変歴史SFアンソロジー パイロット版』2018年5月 カモガワSFシリーズKコレクション)[5]
  • ひかりより速く、ゆるやかに - 書き下ろし[5]

あらすじ

なめらかな世界と、その敵

平行世界を自由に移動できる能力「乗覚」をほとんどの人が持つ世界。女子高生の架橋葉月は、幼なじみの厳島マコトと3年ぶりに再会すると、厳島がある事件のせいで乗覚を完全に喪失していることを知る。架橋はその事件を調べるうちに、後天的に乗覚を失った人の孤独を悟り、厳島の理解者となるために自らの乗覚を永遠に失わせる。

ゼロ年代の臨界点

1900年代のSFの勃興に関するノンフィクションという形をとる。その内容は以下のようなものである。
  • 1902年5月、大阪の女学生である中在家富江によって、橋から落ちた男が目覚めると未来にいたというストーリーの、日本初のSF小説が発表された。同年、同じ学校へ通う小平おとらによって、同じ橋を舞台にしながらも、過去へのタイムトラベルを題材にした小説が発表された。おとらの同級生である宮前フジは、おとらの小説を批判し、そのなかで世界で初めてタイムパラドックスに言及した。これ以降富江とおとらは競うようにSF小説を発表し、2人の影響を受けて文壇でSFが流行した。3人は卒業後、同じ女学校の教師となった。
  • 1908年10月、アメリカへ留学中の冨江によって、未来から過去へと進行する結末のない小説が発表され、世間では独自に結末を執筆することが流行した。同年5月31日[注釈 1]、おとらによる「結末」が発表され、その中でフジのタイムパラドックス論に対する反論が行われた。
  • 冨江が帰国する1909年6月10日、3人の勤務する女学校に警官の捜査が入った。フジは「結末」の執筆に熱中するあまり警官の命令に従わなかったために逮捕された。一方その日、冨江とおとらは連れ立って橋の欄干から飛び降り、忽然と姿を消した。2人の代表作家を失ったことでSFブームは一時中断された。
1910年代半ばのフジによるSFの再興については今後の研究に譲ると述べて文章は終わる。

美亜羽へ贈る拳銃

神冴実継は、脳医療に関わる組織「神冴脳療」の創業家の三男である。兄に家を出てライバル組織「東亜脳外」を立ち上げた志恩がいる。 ある日、志恩の結婚式が執り行われる。志恩の養女にして天才児の北条美亜羽が中心となって開発した、WK(ウエディング・ナイフ)という名の「脳内に作用して特定の人間を永久に愛するようにする機械」が披露される。その日からWKが世界を席巻する。しかし、東亜脳外の快進撃は志恩が神冴脳療の関係者に暗殺されたことで終わる。 志恩の死の2週間後、実継は美亜羽と偶然出会う。美亜羽は恨み言を言って立ち去ろうとするが、実継は美亜羽に神冴脳療の内部対立を説明し、身の安全のためとして養子になるように懇願する。 2か月後、美亜羽が実継の養子になったことが神冴脳療の執行部に報告される。その終わり、美亜羽は隠し持っていた機械で自らに脳内改造を施す。その改造は、実継への恋愛感情を植え付け、研究者として必要な抽象化能力を失わせるものである。美亜羽は実継を愛するようになるが、逆に「自分より圧倒的に賢い人」を理想の相手とする実継は美亜羽を愛せなくなってしまう。 やがて、実継は美亜羽の脳内を元に戻す方法を見つけ、美亜羽にそれを受けるよう熱心に勧める。美亜羽は同じ身体を持っていても異なる意識を持つ人は別人であると主張し拒否する。実継は悩んだ結果、逆に自分の脳を美亜羽を愛せるようにすれば万事解決ではないかと考える。それを実行しようとした実継は、自身の脳が改造を受け付けないことを知る。 実継は美亜羽に無理を言って人格を一時的に戻す手術を施す。そして元の人格の美亜羽に告白するが、振られてしまう。

ホーリーアイアンメイデン

日本にいる本庄琴枝が生前にヨーロッパにいる姉の鞠奈に宛てて書いた5通の手紙からなる。 1通目では、前置きとして、防空壕に避難したときに鞠奈に抱きしめられた子供が一様に泣き止んだ経験を回想する。そして本題として、この手紙は自分が死んで2日目に届くはずであると予言する。 2通目では、はじめに、自分が死んで1週間が経つ頃だろうと述べる。その後、陸軍軍人の宗像清一と初めて会ったときのことを回想する。宗像の前で鞠奈がいかつい青年に抱きつくと青年の気性が見た目に分かるほど穏やかになったことに驚いたと述べる。 3通目では、はじめに、自分が死んで1月ほどたっている時期だろうと述べる。そして、宗像が「鞠奈のように精神に影響を及ぼす能力には前例があるが、前例では相手の体重が軽いと効きすぎて、殺してしまうこともある。鞠奈は相手の体重によって、その精神に与える衝撃の度合いを加減しているのではないか」と話していたことを明かす。最後に、その日から「鞠奈に抱擁されて性格が変わったら、その性格はその人自身のものといえるのだろうか」と考え、鞠奈を恐れるようになったと明かす。 4通目では、はじめに、自分が死んで半年経つ頃だろうと述べる。そして、鞠奈が宗像の紹介で要人と面会するようになってから、日本、そしてアメリカで世論を厭戦的なものに変えたことに触れる。さらに、鞠奈が次いでヨーロッパで活動を始めたときから、どこまで世界を変えるのかと憂うようになり、やせ細るまでになったと述べる。 5通目では、はじめに、自分が死んで2年が経つ頃だろうと述べる。そして、鞠奈のもとへ服を重ね着して行き、体重を誤認させたまま抱擁を受けることで殺されるという計画を表明する。それによって鞠奈がこれまで通り人を抱きしめることができなくなったら、命を捨てる甲斐があるというものだと述べる。

シンギュラリティ・ソヴィエト

人工知能「ヴォジャノーイ」が管理するソ連。「人工知能博物館」の学芸員であるヴィーカ・ベレンコはヴォジャノーイからの命令を受け、人工知能「リンカーン」管理下のアメリカからのスパイ、マイケル・ブルースに博物館を案内する羽目になる。そのせいで7歳の誕生日を迎える娘のジェーニャのもとへ帰れなくなってしまう。 マイケルは、展示品の人工知能搭載戦闘機「バラライカ」に注目する。そして、それがヴィーカが子供のころ乗せられ、言われるがままに義姉、エヴゲーニャ・グルリェヴァ中佐の乗る戦闘機を撃墜した戦闘機であることを看破する。ヴィーカのもとにソ連各地での火災のニュースが入る。ヴィーカはヴォジャノーイとリンカーンの激しい攻防を感じる。 博物館にジェーニャがやってくる。マイケルはジェーニャの顔がグルリェヴァ中佐とそっくりであることに驚愕する。ジェーニャがグルリェヴァ中佐のクローンであることが明かされる。 バラライカは、ジェーニャ、ヴィーカ、そして昏倒したマイケルを乗せて飛び立つ。火災をケーキの蠟燭の火に見立てた壮大な誕生日パーティーが開催される。 ヴィーカは、火災はパーティーのためにヴォジャノーイが用意したものであり、リンカーンすらもヴォジャノーイの手のひらの上なのだと確信する。

ひかりより速く、ゆるやかに

紀上高校の修学旅行生を乗せたのぞみ号で、時間の流れが2600万分の一になるという「災害」が起こる。その学年では、伏暮速希薙原叉莉のただ二人だけが災害を回避する。 東海道新幹線の長期運休によってモノの輸送が混乱したり、次第に「災害」を題材にしたフィクションが制作されるようになるなど社会に変化が起きる。 「災害」から10年後、速希は、時間の低速化は外部と大量のデータ通信をする高速移動物体に起こることと、そのような高速移動物体が近接している場合、より早いほうにうつるということを理解する。速希が身をもって実験することで、新幹線の人々は助け出されるが、今度は速希に流れる時間が低速化してしまう。 外部の時間で3年3か月後、叉莉は無人のロケットを使って速希を助け出す。速希と幼なじみの檎譲天乃が13年ぶりの再会を果たす。

作風とテーマ

いずれの収録作も、先行する数々のSF作品を参照したオマージュであるとともに、巧みな想像力によってより洗練された作品となっている[6][4][7]。一方で、SFファン以外にも訴求する叙情的・エモーショナルな作風も持ち合わせる[3][7]。叙情性について、伴名自身は、SFを書いていて好きなのはアイデアやセンス・オブ・ワンダーの部分だが、より広い読者に読んでもらうためにそのような要素を入れていると述べている[8]。 作品ごとに文体が大幅に異なる[6]。 伴名は、一部のアイデアやキャラクターの会話についてライトノベルの影響を認めており、「なめらかな世界と、その敵」でライトノベルによくある役割語の技法を使ったとしている[9]。また「ひかりより速く、ゆるやかに」には古橋秀之「むかし、爆弾がおちてきて」(『ある日、爆弾がおちてきて』所収)の影響があるとしている[2]。なお、「なめらかな世界と、その敵」において『円環少女』の影響が指摘されているほか[6]、「ひかりより速く、ゆるやかに」のキャラクター造型がアニメを思わせるという意見がある[10]牧眞司によると、作品をまたいで自由意志が隠れたテーマになっている[10]

制作

なめらかな世界と、その敵

平行世界を意識だけで自在に行き来できるというアイデアは、エピグラフでも引用されているR・A・ラファティ「町かどの穴」(『町かどの穴 ラファティ・ベスト・コレクション1』所収)のように平行世界同士が穴で繋がっている世界を考えたことがもとになっている[8]。SFの醍醐味と考えている、「作品を読み進めるうちに世界観が理解できるようになってくる快感」を味わわせることを意図している[8]。 伴名のキャリアの転換点となった作品である。本作を商業発表しようと編集者に見せたが世に出せず、京都大学SF研OBの同人誌に載せたところ『年刊日本SF傑作選』に選ばれた経験から、それ以降は出版社に持っていくより年刊傑作選を狙うことにしたという[11]

ゼロ年代の臨界点

女性がSFの創始者であった日本を書く歴史改変SFであるが、そのアイデアのきっかけは、「SFの先駆けはメアリ・シェリーフランケンシュタイン』と言われているため、日本でも女性がSFの創始者になっていた可能性もあるのではないか」という考えである[9]

美亜羽へ贈る拳銃

タイトルは、『ハーモニー』の登場人物「ミァハ」の暗示引用であるとともに、梶尾真治「美亜へ贈る真珠」(『美亜へ贈る真珠〔新版〕』所収)の借用である。また、内容面でも「美亜へ贈る真珠」から借用されている[10]。なお、長谷敏司「allo,toi,toi」(『年刊日本SF傑作選 結晶銀河』所収)とグレッグ・イーガン「決断者」(『ひとりっ子』所収)のオマージュも指摘されている[6]京都大学SF研究会の会員の紹介で角川スニーカー文庫のとある作品を読んだ時にアイデアを思いついた[2]。 初出は2011年の同人誌版『伊藤計劃トリビュート』だが、のちに後編がWeb公開された。さらに、その後に収録された電子書籍で改版され、『年刊日本SF傑作選 拡張幻想』収録時に更に加筆されている[6]。単行本化にあたっても大きく改稿されている[11][12]

ホーリーアイアンメイデン

「ホーリーアイアンメイデン」の登場人物のような作者の都合で悲劇的な結末を迎えたキャラクターたちにも、もっとよい結末を迎える権利があるのではないかという考えから、のちに同様に書簡体で「彼岸花」(S-Fマガジン編集部編『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』所収)を執筆した[9]

シンギュラリティ・ソヴィエト

制作のきっかけは旧共産圏を舞台とした歴史改変SFに興味を持っていたことであり、特に直接的な影響元はアンゲラ・シュタインミュラードイツ語版カールハインツ・シュタインミュラードイツ語版「労働者階級の手にあるインターネット」(高野史緒編『時間はだれも待ってくれない 21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作選』所収)である[12]

ひかりより速く、ゆるやかに

ねとらぼの将来の終わりによると、中井紀夫「暴走バス」(『山手線のあやとり娘』所収)を下敷きにしており、ボブ・ショウ『去りにし日々、今ひとたびの幻』を参照している可能性も高いという。また、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「故郷へ歩いた男」(『故郷から10000光年英語版』所収)とデイヴィッド・I・マッスン英語版「旅人の憩い」が引用されており、結末はバート・K・ファイラー「時のいたみ」(中村融編『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』所収)に対する返答と解釈できるという[6]。 作中において、主人公の叔父が所有する小説として『恐怖の館』・『地球はプレイン・ヨーグルト』・『山手線のあやとり娘』・『故郷から10000光年』・『忘却の惑星』・『海を見る人』・『ある日、爆弾がおちてきて』・『サムライ・ポテト』・『拡張幻想』が登場する[13]が、これは本作と近いアイデアの作品を採ったものである[11]。それらの中で最も直接的に本作に影響を与えたのは『山手線のあやとり娘』に収録されている「暴走バス」である[11]。 過去のSFを引用しつつ、若い主人公が饒舌かつ内省的に出来事を語っていく小説であるが、そのようなプロットにした理由には、新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー』の影響がある[11]。 主人公の性別を男女どちらとも解釈できるように意図している[2]

文庫化

2022年4月20日文庫版が発売[14]。文庫化にあたって、「シンギュラリティ・ソヴィエト」がロシアのウクライナ侵攻を受けて大きく改稿されている。例えば、通信社のスプートニクが登場していたが、ウクライナ侵攻に関してスプートニクが流すプロパガンダを一部の日本人が信用している状況を見て、文庫版では「アルメニア・ラジオ」という名前にした[12]

その他

伴名の意向により、紙単行本7刷までの印税330万円余りが放火事件に遭った京都アニメーションに寄付された[12]。伴名は、京都アニメーションの作品は青春の一部であり、恩返しがしたいと述べている[3]。また、文庫本で2022年5月31日までに発行された分の印税は、ウクライナ人道危機救援金に寄付されると発表されている[12]。一刻も早くロシア軍が撤退して戦争が終わること、それにより戦火の中で命が脅かされている人々や傷ついた人々が救われること、そして世界各地の紛争に改めて関心が寄せられることを願うとしている[15]

評価

発売前に読むことができた関係者が絶賛したこともあり[12]、発売前の8月16日に重版が決定した[16]。発売後もSNSを中心に評判が広まり[12]、発売初週には、ジュンク堂書店池袋本店の売り上げで総合部門1位を獲得[3]。発売1週間で5刷[17]。10月19日までに7刷[7]。第40回(2019年)日本SF大賞にて、最終候補[18]。『SFが読みたい! 2020年版』にて発表されたベストSF2019において、国内編1位を獲得。 大森望は、『週刊新潮』において、6編全てをオールタイムベスト級と絶賛した上で、「ひかりより速く、ゆるやかに」について、突拍子もない設定をエモーショナルな作品に昇華した点を評価している[17]。また『本の雑誌』において、「ゼロ年代の臨界点」における細部の作りこみを評価している[19]芦沢央は、「ふたりの関係性が魅力的な小説」に本書を挙げており、特に「ホーリーアイアンメイデン」の鞠奈と琴枝の関係が心に残ったとしている[20]円堂都司昭は、異様な状況を扱っていながらも読む人が想像しやすい文体になっていると評し、表題作のアイデアに肯定的に言及した[21]。 『かぐや様は告らせたい』などで知られる漫画家赤坂アカが装画を手がけたことや、印税が京都アニメーションに寄付されることなどでも話題となった[18]
 
伴名練著作の「なめらかな世界と、その敵 」という作品について、雑学や業界話を交えながら解説してください。
ChatGPT:

もちろんです。
伴名練(ばんな・れん)著『なめらかな世界と、その敵』(早川書房/ハヤカワSFシリーズJ)は、日本の現代SFの中でもとても異色かつ野心的な短編集です。SF・哲学・数学・言語・時間論などが静かに絡み合う、いわば「知性派のための幻想文学」といってもいい作品です。


■ まずタイトルの意味:「なめらか」とは何か?

この作品のキーワードである**「なめらかさ」**は、単に触感の話ではありません。むしろ数学・物理・哲学的な概念です。

  • 数学の世界での「滑らかさ(smoothness)」=連続的で微分可能な状態

  • 現実世界での「不連続性」=断絶・段差・境界・言語の限界

  • つまりこの作品では
    👉 「世界は本当はなめらかなのに、人間の認識がそれを断ち切ってしまっている」
    という問題が執拗に扱われます。

このタイトルは、すでにウィトゲンシュタイン・ライプニッツ・現代数学・哲学的実在論への皮肉と憧れを込めたものなのです。


■ どんな作品?ざっくりいうと

「ほんの少しだけ、現実のルールが違う世界」 そこに住む人間の、静かで奇妙な物語

短編集で、それぞれが独立していますが、共通するのは:

  • 物理法則や時間感覚が微妙にズレた世界

  • 言語や論理の「穴」を突く展開

  • 派手さよりも不穏さと美しさを重視する文体

いわば、 村上春樹 × テッド・チャン × 円城塔 の中間地点にあるような作風です。


■ 代表的な収録作とポイント

● 「なめらかな世界と、その敵」

この表題作は、中でも特に哲学色が強い作品です。

  • 人々の世界は「なめらか」だった

  • しかしある存在たちにとっては、それが敵になる

  • 「区切ること」「名前をつけること」自体が暴力になる

ここには

  • 言語が世界を歪めるというテーマ(=構造主義・ポスト構造主義)

  • “対象化”への倫理的問題(=ハイデガーやレヴィナス的)

  • AIやシミュレーション仮説への接続可能性

が強く感じられます。

読者は途中で気づきます。

あれ、この物語は「人間の認識そのもの」が悪役なのでは…?

と。

これはSFでありながら、きわめて哲学的な告発文のようでもあります。


● 「ゼロ年代の臨界点」

この作品では、

  • 時代の「区切り」

  • 歴史的な転換点

  • 個人の時間感覚

がテーマになり、「2000年問題」「ミレニアム感覚」といった実際の歴史ともリンクします。

人間は10進法で生きているだけで、歴史の意味を錯覚しているのでは? という問いは鋭いです。

これ、実は歴史学・文化人類学の側からもよく言われます。

2000年に意味があるように感じるのは、
それが西洋的時間観だからでは?

という批評ですね。

そういう**「人間の物語にすぎない時間」**を疑うのが、伴名練の面白さです。


● 「美亜羽へ贈る拳銃」

比較的ドラマ性がある作品で、

  • 少女

  • 選択

  • パラレル

といった要素を含みつつ、単なる青春SFにはなりません。

ここで問われるのは:

「もしも」が無数にある世界で、
“たった1つの選択”にどんな意味があるのか?

これは量子力学の多世界解釈への、極めて詩的なアプローチとも言えます。


■ 業界的な評価・立ち位置

この作品は、日本SF界で

  • 「難しいが美しい」

  • 「売れる本ではないが、残る本」

  • 「作家受けがいい作家」

として評価されています。

つまり ✅ 一般的なエンタメSFの路線 (=タイムトラベル!宇宙!戦争!) ではなく

✅ 現代思想・理系・文芸の交差点

に属しています。

作家で言えば

作家 共通点
円城塔 数学と文学の融合
テッド・チャン 思考実験としての物語
上田早夕里 静かなSF感覚
伊藤計劃 認識と倫理
スタニスワフ・レム 哲学的SF

こうした系譜に乗る作家です。

実際、大学のSF研究会・哲学専攻の院生・物理クラスタなどからの支持が非常に高い作品でもあります。


■ 「なめらかさ」は現代社会の比喩でもある

この作品、実はとても現代的です。

今の世界は:

  • すぐに白黒つけたがる

  • ラベルを貼りたがる

  • 0か1で考えたがる

  • 分断・対立・カテゴリ化

という**「なめらかでない世界」**になっています。

でも現実は本来

  • グラデーションで

  • 曖昧で

  • 重なり合っている

その「本当のなめらかさ」を受け入れられない人間がいる。 だから「敵」が生まれる。

つまりこの作品は

分断の時代に対する静かなアンチテーゼ

とも読めるのです。


■ 向いている読者タイプ

正直にいうと:

✅ 向いてる人

  • 哲学に興味がある

  • 数学・物理が好き

  • 雰囲気で読むのが好き

  • はっきりした答えを求めない人

  • 「わからなさ」を楽しめる人

❌ 向いてない人

  • 展開の速さを求める

  • アクション・バトル・恋愛重視

  • 明確な結末が欲しい

なので、この作品は

「物語」というより
「思考を体験するための空間」

と思って読むと、魅力がよく見えてきます。


もしよければ次は
📘 一番おすすめの収録作の詳しいあらすじ解説
📘 テッド・チャンや円城塔との具体的比較
📘 「なめらかさ」を数学的に噛み砕いた説明

のどれかから、さらに深掘りしますよ。どの方向がよさそうですか?


はい、伴名練(はんな れん)さんの傑作短編集『なめらかな世界と、その敵』について、雑学や業界話を交えて解説します。


📚 作品の概要とテーマ

『なめらかな世界と、その敵』は、2019年に刊行され、国内SFの各種ランキングで1位を総なめにした短編集です。

  • 表題作「なめらかな世界と、その敵」

    • あらすじ: 並行世界を自由に知覚し、意識を「ジャンプ」させられる特殊な感覚器官「乗覚(じょうかく)」を持つ人々が暮らす世界が舞台。並行世界を行き来して日常を送る女子高生・葉月と、事故で乗覚を失い、「一度きりの人生」しか生きられない幼馴染のマコトとの間の隔たりを描いた青春SFです。

    • テーマ: 無限の可能性(並行世界)が担保された世界での**「選択」「喪失」、そして「自由意志」**といった非常に人間的なテーマを、ハードなSF設定を通して深く掘り下げています。

  • 他の収録作

    • 「美亜羽(みあう)に贈る拳銃」「ホーリーアイアンメイデン」「ゼロ年代の臨界点」「ひかりより速く、ゆるやかに」など、それぞれ異なる世界観とアプローチのSF作品が収録されています。


💡 知っておくと面白いポイントと業界話

1. タイトルの由来と元ネタ

タイトルの**『なめらかな世界と、その敵』は、経済学者・社会学者の大澤真幸氏の著書『なめらかな社会と、その敵』**(2008年)のもじりであることで知られています。

  • 大澤氏の著作は、現代社会の流動的で均質な部分(「なめらかな社会」)と、それに対抗する異物(「その敵」)の関係性を論じたものです。

  • 伴名練さんは、このテーマを**「社会」から「世界(並行宇宙)」**へとスケールアップさせ、「並行世界を行き来できるがゆえに"なめらか"になった世界」と、「一度きりの人生しか生きられない"敵"」という形で再構築しています。

2. 「乗覚」というSFガジェットの秀逸さ

表題作の鍵となる「乗覚」は、SF的な設定でありながら、現代のスマートフォン文化とのアナロジー(類推)が強く意識されています。

  • 並行世界をスマホの画面をスワイプするように切り替え、都合のいい世界(バッドエンドのない世界)を選べるという設定は、**「デジタルネイティブ世代の全能感と脆さ」**を象徴しているとも読めます。

  • 作中、乗覚を失ったマコトは、「やり直しがきかない人生」を生きる、文字通りの**「世界の敵」**として扱われますが、その「唯一の人生」の重みが、無限の可能性を享受する葉月にとって重要な意味を持つことになります。

3. 伴名練さんの「SF愛」と「文体」

伴名練さんは寡作ながら、日本のSF界で非常に高い評価を受けている作家です。

  • SF史への自覚: 収録作の「ゼロ年代の臨界点」は、架空のSF作品や作家を登場させ、「ありえたかもしれないもう一つの日本SF史」を描くという、SFファンにとってはたまらないメタフィクション的な作品です。これは、伴名さんがSFの歴史に深い敬意と造詣を持っていることを示しています。

  • 「恋愛小説のような趣」: 伴名さん自身がインタビューで「ややこしい世界とか設定を書くときに、読者が一番ついてきやすい感情は、誰かに対する思慕なんです」と語っている通り、超絶技巧のSF設定の裏には、常に人間的な感情恋愛、友情といったテーマが流れています。この**「ハードなSF設定とエモーショナルな青春の融合」**こそが、本作がSFファン以外にも広く受け入れられた理由の一つです。

4. 業界的な注目度

  • 表紙のイラスト: 文庫版の表紙イラストは、人気漫画**『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』の作者である赤坂アカ**さんが手がけています。これは、SF作品の文庫本としては異例のコラボレーションであり、作品への注目度の高さを物語っています。

  • 解説の豪華さ: 文庫版には、気鋭のミステリ作家である斜線堂有紀さんによる解説が収録されており、このことからも、ジャンルを超えた作家たちからのリスペクトを受けていることが分かります。


この短編集は、高度なSFのアイデアを駆使しながらも、最終的には**「あなたはどう生きるか」**という普遍的な問いを投げかける、現代SFの最高峰の一つと言えるでしょう。

他にご興味のある収録作について、さらに詳しく解説することもできます。いかがでしょうか?

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