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了解です。
スタインベック『怒りのぶどう』を**作品論・レトリック分析・当時の政治的文脈(共産主義批判/誤解)**まで含めて、雑学と業界話を交えつつ整理します。
1. 『怒りのぶどう』とは何か(超要約)
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発表:1939年
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舞台:世界恐慌下のアメリカ、ダストボウルで土地を失った農民(オクラホマなど)がカリフォルニアへ流浪
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主人公:トム・ジョード一家
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主題:
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貧困と構造的暴力
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人間の尊厳
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「個人」から「共同体」への倫理的変化
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📚 業界話
この作品は文学作品でありながら、アメリカ史・社会学・経済史の教科書としても扱われる珍しい小説です。アメリカの高校・大学では「政治的に危険だが外せない本」として議論され続けています。
2. 主題の核心:「怒り」は誰のものか?
タイトルの「怒り(wrath)」は、個人の怒りではありません。
The grapes of wrath are filling and growing heavy, growing heavy for the vintage.
これは**聖書(ヨハネ黙示録)**からの引用です。
重要ポイント
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怒っているのは「貧者」ではない
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抑圧された構造そのものが、報いを熟成させている
👉 スタインベックは
「暴力を正当化」ではなく「暴力が生まれる条件」を描いた
3. よく言われる批判
「共産主義的プロパガンダでは?」
当時も今も、こう言われました。
なぜそう見えたのか?
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労働者の連帯を肯定的に描く
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資本家・銀行を「顔のない怪物」と描写
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私有財産より人間の生存を優先する倫理
📌 ただし重要なのは:
スタインベックは共産主義者ではない
彼自身は
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マルクス主義者でも
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革命思想家でもない
むしろキリスト教的ヒューマニズムに近い。
4. 問題のレトリック
「共産主義者は人殺しが許されるのか?」
これは非常に重要な問いです。
結論から言うと:
👉 『怒りのぶどう』は「殺しを許す」論ではない
作中の暴力描写は:
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常に 防衛的
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常に 悲劇的
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決して英雄化されない
トム・ジョードの変化
トムは最初、個人の復讐に傾きかけるが、最終的にはこう語る:
Wherever there's a fight so hungry people can eat, I'll be there.
これは革命宣言ではなく倫理宣言です。
5. 「人殺しが許されるか?」という問いのトリック
この問い自体がレトリックの罠です。
なぜか?
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「共産主義者=殺人肯定」という前提を置く
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個人倫理と政治思想を混同する
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構造的暴力(飢餓・搾取)を不可視化する
📌 スタインベックが問いかけているのは逆:
「人が死ぬ制度は、誰の責任か?」
6. 業界話:なぜこの本は危険視されたか
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発売当時、カリフォルニア州で焚書運動
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農業団体・地主層からの圧力
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FBIがスタインベックを「左翼同調者」として調査
🎬 映画版(1940年/ジョン・フォード監督)では
原作よりもトーンを穏健化
→ ハリウッド検閲(ヘイズ・コード)の影響
7. スタインベックの立場を一言で言うなら
「思想より、腹が減っている人を先に見る」
彼はこうしたタイプです:
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マルクスより聖書
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革命より共感
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正義より生存
8. 現代との接続(雑学)
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アマゾン倉庫労働問題
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ギグワーカー
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移民労働
👉 構造はほとんど変わっていない
だから『怒りのぶどう』は今も
「危険で、古びない本」
9. まとめ(短く)
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『怒りのぶどう』は共産主義小説ではない
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「人殺しが許されるか?」を肯定しない
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問題にしているのは制度が人を殺す構造
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怒りは暴力ではなく、倫理への警告
もし次に進むならおすすめテーマは:
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「スタインベック vs オーウェル(政治と文学)」
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「マルクスと聖書の奇妙な一致点」
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「なぜアメリカ文学は“貧者”を描くと危険になるのか」
どれ、掘りますか?
ジョン・スタインベックの代表作『怒りのぶどう』(原題: The Grapes of Wrath)は、1939年に出版された小説で、アメリカ文学の古典として知られています。この作品は、1930年代の大恐慌(Great Depression)とダストボウル(Dust Bowl)と呼ばれる土壌劣化による大災害を背景に、オクラホマ州の貧しい小作農民一家、ジョード家がカリフォルニアへ移住する過酷な旅を描いています。ピューリッツァー賞を受賞し、後にノーベル文学賞を受賞したスタインベックの最高傑作の一つです。以下では、その主題を中心に、共産主義関連のレトリックや批判、さらには雑学や出版業界の裏話などを交えながら解説します。
本の概要と主題
物語の中心は、ジョード家が干ばつと機械化農業の進展で農地を失い、豊かなカリフォルニアを目指して西へ向かうロードノベル形式です。主題としては、まず資本主義の搾取と社会的不正義が挙げられます。スタインベックは、銀行や大農場主が小作農民を追い出し、移民労働者を低賃金で酷使する様子を克明に描き、資本主義システムの失敗を批判しています。 例えば、機械(トラクター)が人間の労働を奪うシーンは、産業化の非人間性を象徴します。また、家族の絆と人間性も重要なテーマで、過酷な状況下でジョード家が互いを支え合う姿が、希望の源泉として描かれます。さらに、集団主義や連帯の重要性が強調され、個人の力では解決できない問題を、労働者同士の結束で乗り越えようとするメッセージが込められています。 これが後述する共産主義的な解釈につながるポイントです。
本のタイトルは、賛美歌「共和国讃歌(Battle Hymn of the Republic)」の歌詞から取られており、「神の怒りのぶどうが踏み潰され、復讐のワインが醸される」というイメージで、社会的不正に対する「怒り」を象徴しています。雑学として、タイトルはスタインベックの妻、キャロルが提案したそうです。
ここで本の表紙イメージを参考に:
共産主義の要素と関連レトリック
『怒りのぶどう』は、明確にマルクス主義や社会主義の影響を受けています。スタインベックは、労働者の搾取を資本家階級の罪として描き、主人公トム・ジョードの有名な独白(「一人の魂がみんなの魂の一部」)では、集団主義的な思想が表現されます。これは、個人の闘いが全体の闘いにつながるという、マルクス主義の「階級闘争」に通じるものです。 ただし、スタインベック自身は共産党員ではなく、むしろ人道主義者で、貧困層の現実を報道するジャーナリスト的な視点から書いています。彼はサンフランシスコ・ニュース紙の委託で移民キャンプを実際に訪れ、取材に基づいて小説を執筆したんです。
一方で、当時のアメリカは反共産主義(アンチ・コミュニズム)の風潮が強く、この本は「共産主義プロパガンダ」として激しく批判されました。 例えば、カリフォルニアの農場主団体(Associated Farmers of California)は、本を「社会主義者の嘘」として非難し、実際に本を燃やす事件まで起こりました。 保守派からは、スタインベックを「ユダヤ人でシオニスト-共産主義の利益のために動く男」と中傷するレトリックも使われました。 質問にある「共産主義者は人殺しが許されるのか?」のようなレトリックは、当時の反共産主義プロパガンダの典型で、共産主義を「暴力的で道徳を無視するイデオロギー」として描くものです。小説の文脈では逆で、資本家が移民を飢えさせ「間接的に殺す」行為を批判しているのに、批判者たちはそれをひっくり返して「共産主義者が革命で人を殺すのを正当化する」と攻撃したわけです。 マッカーシズムの時代(1950年代)には、FBIがスタインベックを「共産主義の脅威」として監視し、家を張り込ませるほどでした。 皮肉なことに、ソ連でも一時的に禁止されたんですよ。理由は、貧困描写が資本主義批判に役立つはずなのに、移民が車を持っている描写が「アメリカの貧乏人も豊か」と見なされたからだそうです。
雑学と業界話
執筆の裏話として、スタインベックはこの長編をわずか100日で書き上げました。1日あたり約10,000語という驚異的なペースで、手が痛くなるほどタイプしたそうです。 出版業界では、発売直後からベストセラーになったものの、カンザス州などで「不適切な言葉遣いや性的描写」で禁止令が出ました。 宗教的な批判も強く、キリスト教保守派からは「神を冒涜している」との声が上がりました。
映画業界の話では、1940年にジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演で映画化され、アカデミー賞を2部門受賞しましたが、スタインベック本人は「原作のエッセンスが薄れた」と不満だったそうです。 スペインのファランヘ党(ファシスト)政権下では、反資本主義として禁止された一方、反ファシストの文脈で評価されるなど、国際的に複雑な反応がありました。 現代でも、この本は労働運動や移民問題の象徴として引用され、出版から85年以上経った今も売れ続け、累計1400万部以上です。
ダストボウルの移民の様子をイメージで:
この作品は、単なる物語ではなく、社会変革を促す力を持っています。もしさらに詳しい部分(例: 特定の章の分析)が知りたい場合、教えてください!
ジョン・スタインベック『怒りのぶどう』:大恐慌の叙事詩における権力、抵抗、そして人間性のレトリック
ジョン・スタインベックが1939年に発表した『怒りのぶどう』は、単なる文学的作品の枠を越え、アメリカ合衆国の歴史、社会、そして倫理観を根底から揺さぶった文化的噴火であった。この作品は、大恐慌下における「オーキー」と呼ばれる移民労働者たちの苦難を描くと同時に、資本主義、民主主義、そして人間の尊厳に関する深い哲学的・政治的問いを投げかけた 。スタインベックは、個別の家族の物語をマクロな社会構造の変動と織り交ぜることで、当時のアメリカが直面していた組織的な機能不全を浮き彫りにしたのである 。本報告書では、この傑作の背後にある歴史的背景、スタインベックが用いた独自の修辞学(レトリック)、出版を巡る激しい論争、そして今日に至るまでの文学界における評価の変化を、業界裏話や瑣末な逸話を交えながら、多角的に考察する。
生態学的崩壊と歴史的坩堝:ダストボウルの真実
『怒りのぶどう』の物語の舞台となるのは、アメリカ史上最悪の環境的・経済的惨事の一つとされる「ダストボウル」である。これは単なる気候変動ではなく、長年の過剰耕作と極度の干ばつ、そして強風が重なり、南西部平原地帯の表土が失われたことによって引き起こされた生態学的崩壊であった 。1930年代、コロラド、カンザス、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコの各州にまたがる1億エーカー以上の土地が、視界ゼロの黒い嵐に覆われた 。
この惨禍は、大規模な人口移動を引き起こした。1930年から1940年の間に、ダストボウル地域の男性世帯主の33.5パーセントが州外へと移住し、特にオクラホマ州などの一部の農村地域では人口の40パーセントが流出した 。2.5メートルもの高さに達したと言われるダストの嵐が去った後、農民たちを待っていたのは銀行による抵当権の実行という非情な現実であった。
ダストボウル移住に関する統計データ(1930–1940)
| 項目 | 統計値 | 歴史的文脈 |
| 平原地帯からの総移住者数 | 約250万人 |
アメリカ史上最大規模の国内移住 。 |
| ダストボウル州の郡間移住率(男性世帯主) | 50%以上 |
地域経済の完全な崩壊を示唆 。 |
| カリフォルニア州への流入者数 | 約20万人 |
農業労働力の過剰供給と賃金低下を招いた 。 |
| 最大の砂嵐被害面積 | 1億エーカー以上 |
表土の喪失による農業の不可能化 。 |
| 綿花収穫の賃金(カリフォルニア) | 1日75セント〜1.25ドル |
生存最低線以下の労働条件 。 |
スタインベックはこの惨状を「怪物の出現」として描いた。銀行は利益を呼吸し、空気ではなく数字を吸って生きる怪物であり、個々の行員の意思を超えて農民を土地から追い出す 。同時に、農業の機械化がこの悲劇を加速させた。トラクターは1台で12から14家族分の仕事をこなし、人間から土地との直接的な繋がりを奪い去ったのである 。
取材の原点と業界の裏側:『収穫するジプシー』とトム・コリンズ
『怒りのぶどう』がこれほどまでにリアルな質感を持っているのは、スタインベックが徹底したフィールドワークに基づき執筆したからである。1936年、彼は『サンフランシスコ・ニュース』紙の依頼で、カリフォルニアの中央平原における移民労働者の実態を調査し、全7回の連載記事「収穫するジプシー(The Harvest Gypsies)」を執筆した 。
この調査において重要な役割を果たしたのが、連邦再定住局(後の農地担保公社、FSA)が運営する移民キャンプの管理人、トム・コリンズであった 。スタインベックはコリンズと共にキャンプを回り、労働者たちが都市のゴミ捨て場から拾ってきた廃材で家を建て、泥の中で飢えに苦しむ様子を目の当たりにした 。
コリンズはキャンプ内で起きた出来事を詳細な報告書としてまとめており、スタインベックはこれらの報告書を小説の素材として大いに活用した 。事実、小説に登場する「ウィードパッチ・キャンプ(Arvin/Weedpatch camp)」は実在するFSAのキャンプであり、スタインベックはそこで自治と尊厳を保とうとする労働者たちの姿に希望を見出したのである 。出版業界の逸話として、スタインベックは執筆中、あまりの惨状への怒りと自らの筆力の限界に苛まれ、日記に「自分の無知と無能さに打ちのめされている」と綴っていたことが知られている(後に『Working Days』として出版) 。
構造的革新:挿入章(インターカラリー・チャプター)の心理学的レトリック
『怒りのぶどう』の文学的特徴として、ジョード家の物語(ナラティブ・チャプター)の間に、当時の社会状況や風景を叙情的に描く「挿入章(インターカラリー・チャプター)」を配置したことが挙げられる 。これはスタインベックが計算して用いた一種の「心理学的トリック」であった 。
スタインベック自身、これらの章が「ペース・チェンジャー」として機能し、読者の感情を揺さぶった後に知的なレベルで情報を導入するための手法であったと説明している 。読者は、ジョード家という特定の家族への共感を深めると同時に、挿入章を通じて「これは何千もの家族に起きている普遍的な悲劇である」という認識を植え付けられるのである 。
この構造は、個人の受難を社会全体の構造的暴力へと結びつける強力なレトリックとして機能した。例えば、中古車販売の欺瞞や銀行の非情さを描く挿入章は、ジョード家が直面する困難の背後にある「目に見えない力」を可視化する 。この手法は、当時のプロレタリア文学の枠を超え、現代の環境移民や気候変動による移動を論じる際にも参照されるほど、時代を超越した説得力を持っている 。
「共産主義者は人殺しが許されるのか?」:暴力と抵抗のレトリック
作品の出版当時、最も激しい論争を呼んだのは、その政治性と暴力の描写であった。スタインベックは、大農場主や当局による「テロリズムの体系」に対抗する労働者の姿を描き、それが保守層から「共産主義的プロパガンダ」であるとの非難を浴びたのである 。
特に、主人公トム・ジョードの行動を巡る倫理的問いは、当時の読者にとって極めて刺激的であった。トムは正当防衛とはいえ殺人を犯して仮出所中の身でありながら、最終的に再び殺人を犯し、逃亡者となる 。ここには、ユーザーが指摘した「共産主義者は人殺しが許されるのか?」という、反対派が好んで用いた極端なレトリックが投影されている。
しかし、スタインベックの描く「暴力」は、イデオロギーに基づく殺戮ではなく、生存を懸けた絶望的な抵抗であった。労働組合を組織しようとした元牧師ジム・ケイシーが自警団によって惨殺される場面は、その暴力の連鎖がどこから始まっているのかを如実に示している 。スタインベックのレトリックにおいて、真の「殺人者」は個人の労働者ではなく、飢えた人々を放置し、組織的な暴力(ブラックリスト、スパイ、自警団の暴行)を行使するシステムそのものであると位置づけられている 。
政治的対立とレトリックの分類
| 対立軸 | 用いられたレトリック・ラベル | 背景となる論理 |
| 農場経営者・自警団 |
「赤のプロパガンダ」、「共産主義者の扇動」 。 |
労働条件の改善要求を国家転覆の試みとすり替える 。 |
| スタインベック・労働者側 |
「怒りのぶどう」、「怪物の銀行」 。 |
飢えと剥奪が生み出す不可避な怒りと団結を正当化する 。 |
| FSA(連邦政府キャンプ) |
「赤の巣窟(red-infested)」 。 |
政府による人道支援を社会主義的な介入として攻撃する 。 |
| 保守的批評家 |
「卑猥」、「道徳的に堕落」 。 |
冒涜的な言葉遣いや過酷な現実描写を盾に禁書化を図る 。 |
スタインベックは、エマソンの「オーバーソウル(超霊)」の概念をジム・ケイシーの口を借りて語らせ、「全ての人間には一つの大きな魂がある」という人間中心のスピリチュアリティを提示した 。この思想は、個々の「殺生」という倫理を超えた、集団としての生命維持という高次の正義へと読者を導く。したがって、作中の暴力は「許されるかどうか」という個人的な道徳の次元ではなく、不正な法に対する「自然法の発露」として描かれているのである 。
禁書と焼却:カーン郡における「戦い」
1939年4月の出版直後から、『怒りのぶどう』はアメリカ中で嵐を巻き起こした。同年5月には全米ベストセラーの1位となり、1940年を通じてトップ10に留まり続けたが、それと並行して激しい弾圧も始まった 。特に、物語の舞台となったカリフォルニア州カーン郡では、農場主たちの怒りが爆発した。
1939年8月21日、カーン郡の監督委員会は4対1の採決で、同書を公立図書館や学校から撤去することを決定した 。その理由は「言葉遣いが下品であり、地域の住民を低俗で無知な人間として不当に描いている」というものであった 。この決定から3日後、ベーカーズフィールドの歩道で、農場経営者のビル・キャンプらの立ち会いのもと、実際に書籍が焼却された 。
この騒動の中で、カーン郡の主任司書であったグレッチェン・クニーフの行動は特筆に値する 。彼女は当局からの圧力に対し、「本の禁止は無意味で愚かなことだ」と勇敢に抗議し、図書館の役割は思想の検閲ではなく、情報の提供にあると主張した 。最終的にこの禁書処分は1941年に解除されたが、このエピソードはアメリカ文学史における表現の自由を巡る象徴的な事件として語り継がれている 。
映画化と業界話:フォードとザナックの対立
出版からわずか1年後の1940年、ジョン・フォード監督による映画版『怒りのぶどう』が公開された 。ヘンリー・フォンダがトム・ジョードを演じたこの作品は、アカデミー賞を受賞するなど高い評価を得たが、製作過程では深刻な政治的配慮と「業界の妥協」が行われていた。
まず、映画は保守層からの妨害を避けるため、『ハイウェイ66(Highway 66)』というダミーのタイトルで極秘裏に撮影が進められた 。プロデューサーのダリル・F・ザナックは保守的な共和党員であったが、自ら調査員を派遣してスタインベックが描いた惨状が事実であることを確認した後、製作を続行したという逸話がある 。
しかし、映画の「結末」については、スタインベック、フォード、ザナックの間で三者三様の意図が衝突した。
『怒りのぶどう』:小説と映画の結末の比較
| 媒体 | 結末の描写 | 意図・メッセージ | 政治的背景 |
| スタインベック(小説) |
シャロンのバラが、納屋で飢えた見知らぬ老人に母乳を与える 。 |
自己犠牲と生命の根源的な繋がり、救済の象徴 。 |
既存の法や道徳を超えた人間性の勝利を示す 。 |
| ジョン・フォード(映画当初案) |
トムが暗闇の中へ去り、ジョード家が再び移動を開始する 。 |
土地を失うことの悲劇性と、失郷者の孤独な戦いを強調 。 |
ニューディール政策への支持と、土地への愛着を表現 。 |
| ダリル・ザナック(映画公開版) |
母ジョードが「私たちは人民だ、永遠に生き続ける」と演説する 。 |
アメリカ的な不屈の精神と、楽観的なレジリエンスの強調 。 |
革命的な熱情を緩和し、観客に希望を与える「ハリウッド的結末」 。 |
フォード監督は、自身のアイルランド系移民としてのルーツから、土地を奪われることの痛みに深く共感していた 。一方、ザナックは映画があまりに過激(革命的)になりすぎることを恐れ、母ジョードによる力強い演説を追加することで、作品を「耐え忍ぶ人民の物語」へと着地させた 。また、小説の衝撃的なラストシーンである「授乳」の場面は、当時のハリウッドの検閲コード(ヘイズ・コード)では到底許容されないものであり、完全にカットされた 。
業界の評価と1962年ノーベル賞論争:エリート批評家たちの反発
スタインベックは一般読者から絶大な支持を得たが、文学界のエリート批評家たちとの関係は常に緊張を孕んでいた 。彼の文体は「通俗的(middlebrow)」であると見なされ、人間を動物的なレベルにまで還元して描く手法(ナチュラルリズム)は、一部の批評家から「感傷的なお涙頂戴(sentimental bathos)」であると冷遇されたのである 。
この亀裂が決定的なものとなったのが、1962年のスタインベックのノーベル文学賞受賞であった 。受賞のニュースが伝わると、『ニューヨーク・タイムズ』紙は社説で「ノーベル賞委員会は、主要な作品を20年以上前に発表し、すでに過去の作家となった人物に賞を与えた」と痛烈に批判した 。特に著名な批評家アルフレッド・ケイジンは、「このような凡庸な作家に最高の栄誉を与えるとは、委員会は間違いを犯した」とまで述べている 。
しかし、このような「業界の嫌がらせ」とも取れる批判の一方で、スタインベックの評価は世界的に高まり続けた。彼の作品が描く「組織的な抑圧に対する個人の尊厳」というテーマは、アメリカ国内の枠を超えて、共産圏を含む世界中の読者に共感を呼んだ。ソ連の観客が映画版を観た際、当局の意図(資本主義の弊害を見せること)に反して、「アメリカでは最も貧しい労働者でも車を持っているのか!」と驚愕したという有名な皮肉な逸話も残っている 。
雑学と知られざるエピソード:ジョード家の「持ち物」
作品の中で、母ジョードが家を離れる際、思い出の品々を燃やす場面がある 。ここで彼女が最後まで燃やさずにポケットに忍ばせたのは、博覧会土産の小さな犬の置物とイヤリングであった 。この細やかな描写は、物質的な豊かさを全て奪われた人間が、自らのアイデンティティと「過去の幸福の断片」をいかに死守しようとするかを象徴している。
また、スタインベックの「誠実さ」を巡る後年の議論も興味深い。彼の旅行記『チャーリーとの旅(Travels with Charley)』において、実は妻のエレインが旅の40パーセントを同行していたことや、しばしば豪華なホテルに宿泊していたことが後に判明している 。これに対し、一部の批評家は「スタインベックは事実を捏造した」と非難したが、研究者の多くは、彼が単なる「リポーター」ではなく、素材を文学的に構築する「作家」であったことを擁護している 。『怒りのぶどう』においても、彼は事実関係の調査(トム・コリンズの報告書など)を基にしながらも、それを読者の心を打つ「物語」へと昇華させるための修辞的な加工を惜しまなかった。
スタインベックと『怒りのぶどう』に関する瑣末な逸話
| 項目 | 内容・詳細 | 出典・文脈 |
| タイトルの由来 | ジュリア・ウォード・ハウの『共和国軍歌』の一節から。 |
出版時に楽譜と歌詞を巻頭に掲載することを希望した 。 |
| 初期の販売価格 | 1939年当時の定価は2.75ドル。 |
2週間でベストセラー1位に上り詰めた 。 |
| FSAキャンプの影響 | 映画版のキャンプ管理人役は、FDR(ルーズベルト大統領)に似た俳優が演じた。 |
政府の救済策が「開明的な資本主義」であることを印象付けるため 。 |
| ノーベル賞の反応 | 受賞の翌日のNYタイムズの社説タイトルは「Moral Vision」。 |
内容はスタインベックの選出を批判するものだった 。 |
| 出版社の期待 | 出版社のヴァイキング・プレスにとって、かつてない勢いで出荷された。 |
最初の1ヶ月だけで45,918部を記録 。 |
結論:不変の「怒り」と現代への共鳴
ジョン・スタインベックの『怒りのぶどう』が現代において再評価されている最大の理由は、同作が描いた課題が形を変えて現代社会にも存在し続けているからである。1930年代のダストボウル移住者は、今日の「気候変動移民」の先駆けとも言える存在である 。環境破壊によって生計を奪われ、境界を越えて移動を余儀なくされる人々の苦境は、スタインベックが描いたジョード家の物語と驚くほど重なり合う。
また、スタインベックが批判した「怪物の銀行」や「非人間的な機械化」は、現代のアルゴリズムによる経済支配やAIによる労働の代替という形に進化している 。富の偏在と階級の分断が深化する中で、「共産主義者は人殺しが許されるのか?」というかつての短絡的なレッテル貼りは、現代の政治的二極化におけるプロパガンダの構造と何ら変わっていない。
スタインベックは、個々の人間に「怒り」が芽生えるのは、それが正義を求める高潔なエネルギーであるからだと信じていた 。ジム・ケイシーからトム・ジョードへ、そして母ジョードへと受け継がれた「人民」の魂は、冷淡な資本の論理に対抗するための唯一の砦である。出版から80年以上を経てもなお、この作品が世界中で読まれ続けている事実は、私たちが未だに「怒りのぶどう」が熟すのを待つ世界に生きていることを示唆しているのである 。


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