おそらく、思い浮かべている花は「デイジー(daisy)」だと思います。ただ、**「お墓のそばに咲く黄色い花」**という記憶だと、少し候補がいくつかあります。
デイジーはキク科です
デイジーは日本語では一般に「ヒナギク」を指します。 分類は、
キク科(Asteraceae)
です。
ただし面白いことに、英語圏では「daisy」という名前がかなり広く使われます。
- 白い花びら+黄色い中心のヒナギク
- 黄色い花の野生種
- アスター類
- ヒマワリに近い仲間
など、見た目が「太陽のような形」のキク科植物を、ざっくりデイジーと呼ぶことがあります。アメリカの墓地や道路沿いで見る黄色い花は、厳密にはデイジーではなく、ブラックアイドスーザン(ルドベキア)やキク科の野草の場合もあります。
なぜ墓地によく似合うのか?
デイジー類は昔から、
- 素朴
- 清らか
- 永遠の命
- 思い出
の象徴として詩や歌に登場します。
墓地に咲く花として印象的なのは、「豪華なバラ」よりも、むしろ野の花です。
アメリカでは戦没者を記念する日に墓を花で飾る習慣があり、デイジーのような野の花も墓を飾る花として描かれてきました。
デイジーにまつわる有名な風習
「好き、嫌い、好き…」
昔から有名なのが、
花びら占い
です。
英語では、
「He loves me, he loves me not」
(彼は私を愛している、いない)
と言いながら花びらを一枚ずつ取る遊びです。
日本でも「好き、嫌い」と花占いをした人が多いですね。
詩や歌の世界
デイジーは詩人に非常に好まれました。
例えばアメリカの詩人 エミリー・ディキンソン も、野の花やデイジーを題材にした詩を書いています。彼女の詩には、小さな花を「小さな命」「大自然の秘密」のように見る独特の視点があります。
また「黄色いデイジー(The Yellow Daisy)」という題名の詩や歌曲もあり、黄色い花は愛情や生命力の象徴として扱われています。
雑学:実は「一輪の花」ではない?
キク科の花の面白いところですが、デイジーの花びらに見える部分は、一枚一枚が「舌状花(ぜつじょうか)」という小さな花です。
つまり、あの黄色い中心部分も含めて、
何百もの小さな花が集まって、一輪に見えている
のです。
ヒマワリも同じ仲間です。
園芸・墓地管理の業界話
アメリカの墓地では、昔ながらの芝生墓地が多く、
- 低く育つ
- 手入れが少ない
- 毎年咲く
- 野性的な雰囲気がある
植物が好まれます。
そのため、バラのような管理が必要な花より、デイジー類や野草系の花が「記憶の風景」として残りやすいのです。
お話からすると、もしかするとあなたが見たのは、白いデイジーよりも黄色い中心が大きい「ブラックアイドスーザン(ルドベキア)」や黄色いアスター類かもしれません。
もし覚えていれば、
- 花びらは黄色一色でしたか?
- 真ん中が黒っぽい茶色でしたか?
- 背丈は膝くらいでしたか、それとも腰くらいまでありましたか?
それでかなり種類を絞れます。
なるほど、「実際に見た花」ではなく、本や物語の中で読んだ“アメリカのお墓のそばに咲く黄色い花”という記憶なのですね。 その場合、思い浮かんでいるものは、単なるデイジーではなく、文学的なイメージが混ざっている可能性があります。
デイジー(Daisy)は基本的にキク科です
デイジーはキク科(Asteraceae)の仲間です。
英語圏では「daisy」という言葉はかなり愛されていて、単なる植物名というより、
- 野原
- 少女らしさ
- 純真
- 思い出
- 亡くなった人を偲ぶ気持ち
の象徴として文学に登場します。
アメリカの詩人では、特にエミリー・ディキンソンがデイジーを好んで題材にしました。彼女は植物に非常に詳しく、自宅の庭で多くの花を育て、花の象徴性を詩に取り入れました。
お墓とデイジーの結びつき
英語には、
“pushing up daisies”
という有名な表現があります。
直訳すると「デイジーを押し上げる」ですが、これは少し皮肉な言い方で、
「土に眠っている」 「亡くなっている」
という意味で使われます。
つまり、墓の上に花が咲くという自然の循環を、少しユーモラスに表現した言葉です。
デイジーの有名な詩
ディキンソンには、
“The daisy follows soft the sun”
(デイジーは静かに太陽を追う)
という有名な詩があります。 デイジーが太陽を慕って追いかける姿を、人間の愛情や憧れに重ねています。
彼女の時代の「花言葉」の文化では、デイジーは
- 初恋
- 素朴な愛情
- 純粋さ
などと結びつけられていました。
ただし「黄色い花」なら別の可能性もあります
アメリカの墓地や草原の風景で印象的な黄色いキク科の花には、
- ブラックアイドスーザン(ルドベキア)
- 黄色いアスター類
- ゴールデンロッド(アキノキリンソウ)
などがあります。
特にブラックアイドスーザンは、黄色い花びらと黒っぽい中心部を持ち、アメリカの野原や道路脇で非常によく知られています。
業界話:アメリカの墓地と花
アメリカの古い墓地は、日本の墓地とは少し雰囲気が違います。
日本:
- 墓石
- 線香
- 供花
という文化が強いですが、
アメリカの古い墓地では、
- 芝生
- 大きな木
- 野の花
- 記念碑
という「公園」のような造りが多くあります。
そのため、春や夏になると自然に咲く小さな花が、「故人との思い出の風景」として語られやすいのです。
もしかすると、読まれた本の中では「黄色いデイジー」ではなく、“墓地の草むらに咲く小さな花=亡き人を思い出させる花”という文学的な描写だったのかもしれません。
ちなみに、その記憶の本は、雰囲気として アメリカ開拓時代の物語(西部劇・児童文学)でしたか? それとも詩集や文学作品に近いものでしたか? それによって、出てきた花をかなり絞れそうです。
はい、あります。おっしゃっているのは、おそらく **伊藤左千夫(いとう さちお)の小説『野菊の墓』**ですね。松田聖子さん主演で映画化された作品です。
『野菊の墓』とは
原作は歌人でもあった伊藤左千夫が明治39年(1906年)に発表した小説です。 明治時代の農村を舞台に、少年・政夫と従姉の少女・民子の、淡く純粋な恋と悲しい別れを描いた作品です。
有名な場面に、
「民さんは野菊のような人だ」
という政夫の言葉があります。
ここでいう野菊は、派手なバラや牡丹ではなく、野にひっそり咲く可憐な花として民子の人柄を表しています。
松田聖子さんの映画
1981年公開の映画版では、松田聖子さんが民子役で主演しました。これは聖子さんの映画初主演作で、澤井信一郎監督のデビュー作でもあります。
当時は「アイドル映画」と見られがちでしたが、実際には明治の風景、自然、家族制度、身分意識などを丁寧に描いた文芸作品でした。
「野菊」とはどんな花?
野菊というのは、特定の一種類の名前ではなく、日本の野山に咲くキク科の野生の菊の仲間を広く指す言葉です。
代表的には、
- ノコンギク
- ヨメナ
- リュウノウギク
などが含まれます。
つまり、前のお話のデイジー(キク科)とも、植物分類では親戚関係です。
キク科というのは非常に大きな一族で、
- ヒマワリ
- タンポポ
- デイジー
- ヨモギ
- 野菊
まで同じ仲間です。
花と文学の面白いところ
面白いのは、欧米ではデイジーが、
- 純真
- 少女らしさ
- 初恋
の象徴になりやすいのに対して、日本文学の野菊は、
- 素朴
- 控えめな美しさ
- 故郷
- はかなさ
というイメージが強いところです。
派手な花ではなく、「どこにでもある小さな花」に大きな意味を持たせるところが、日本の自然観らしいですね。
雑学:伊藤左千夫は実は牛乳屋さんでした
伊藤左千夫は歌人として有名ですが、若い頃は東京で牛乳搾取業(牧場・牛乳販売)を営んでいました。その後、正岡子規の門下に入り、短歌や文学の世界で活躍します。
当時の文学者には意外な経歴の人が多く、伊藤左千夫も「農村・自然・生活感」を知っていたからこそ、『野菊の墓』の土の匂いのする描写が生まれたとも言えます。
ちなみに、『野菊の墓』には歌も関係していて、松田聖子さんの映画では主題歌として「花一色〜野菊のささやき〜」が使われました。
最初に話されていた「アメリカのお墓のそばの黄色い花」の記憶と、今回の「野菊の墓」は、実は共通点があります。どちらも墓・記憶・故人への想いを、野に咲く小さな花で表現する文化なんですね。
とても興味深い一節を思い出されています。 おそらく藤原新也氏の写真集・エッセイ 『メメント・モリ―死を想え』 の終盤近くに出てくる有名な対比、
「墓につばをかけるのか、それとも花を盛るのか」
という趣旨の言葉ですね。
この本は1983年に刊行され、インドなどで撮影された強烈な死のイメージと文章を組み合わせ、「死を遠ざけすぎた現代人」へ問いを投げかけた作品です。
「つばを吐く」と「花を盛る」の意味
一見すると、
- 墓につばを吐く=冒涜、憎しみ
- 墓に花を供える=敬意、愛情
のように見えます。
しかし藤原氏の面白いところは、単純な善悪の話にしていないところです。
人間には、
- 死者を憎む気持ち
- 過去を否定したい気持ち
- それでも忘れられない気持ち
- 敬い、弔いたい気持ち
が同時に存在する。
つまり「つば」と「花」は、どちらも人間の感情の表現なのだ、という問いかけです。
なぜ「墓」なのか?
墓は単なる石ではなく、
「自分と死者との関係を映す鏡」
だからです。
例えば、
親の墓参りでも、
「ありがとう」 だけではなく、
「なぜあの時こうしてくれなかったのか」 「もっと生きていてほしかった」
という複雑な感情が出ることがあります。
藤原氏は、死を美化するだけではなく、死の前に立った時の人間の本音を見ようとしたのだと思います。
仏教・インド文化との関係
藤原新也氏は若い頃からインドを旅し、インドの死生観に強い影響を受けています。
インドでは、死は隠すものではなく、生活のすぐ近くにあります。
特にガンジス川沿いのバラナシでは、
- 火葬
- 遺灰を川へ流す儀式
- 修行者の死
などが日常の風景として存在します。
日本では病院や葬儀場に「死」を隔離する傾向がありますが、インドでは「生の続き」として死を見る文化があります。
藤原氏が衝撃を与えたのは、まさにこの違いでした。
葬儀業界の話をすると…
昔の日本の墓参りは、単に「先祖供養」だけではありませんでした。
墓は、
- 家族の記憶装置
- 地域の歴史
- 自分の存在確認
でもありました。
しかし現代では、
- 墓じまい
- 永代供養
- 樹木葬
- 散骨
など、「墓を持たない」選択も増えています。
葬祭業界では、以前の「立派な墓を建てる時代」から、「どう故人を記憶するかを選ぶ時代」へ変化していると言われます。
その意味では、藤原氏の問いは今でも新しいです。
「墓があるから死者を覚えるのか」 「覚えているから墓が必要なのか」
という問題につながります。
文学的に見ると
面白いのは、先ほど話されていた『野菊の墓』とも少しつながるところです。
『野菊の墓』では、野菊という小さな花が、亡くなった人への記憶の象徴になります。
藤原氏の場合は、
- 花を盛る=愛や記憶
- つばを吐く=怒りや断絶
という、人間の両面を見ています。
どちらも結局は、「死者と生者はどうつながるのか」という問いですね。
ちなみに『メメント・モリ』という言葉自体はラテン語で「死を想え」という意味で、西洋の中世美術でも重要なテーマでした。骸骨、枯れた花、時計などを描いて「人は必ず死ぬ、その上でどう生きるか」を問いかける伝統があります。
藤原新也氏は、その西洋的な「死の象徴」と、インドの生々しい死の風景を、日本社会へ投げ返した写真家だった、と見ることもできます。
この一節を覚えておられるのは、かなり印象に残る読書体験だったのではないでしょうか。『メメント・モリ』は、読む年代によって「怖い本」にも「救いの本」にも見える不思議な作品です。
大変興味深い言葉を挙げられました。 **「人は、犬に食われるほど、自由だ」**というコピーは、まさに藤原新也氏の世界観――『メメント・モリ』の延長線上にあるような、生と死、文明と自然、人間の傲慢さへの問いを含んだ表現です。
ただ、このフレーズについては、私が確認できる範囲では「サントリー広告として正式採用された作品・ボツになった広告写真」として確実に記録された一次情報は見つかりませんでした。サントリーは過去にも非常に尖った企業広告やコピーを展開してきましたが、この言葉は藤原氏の写真・文章世界と結び付けて語られることが多いようです。
この言葉の衝撃はどこにあるか
普通、広告コピーなら、
- 自由になろう
- 自分らしく生きよう
- 大自然を感じよう
という方向に行きます。
しかし、
人は、犬に食われるほど、自由だ
という言葉は、真逆です。
「自由」を快適さや成功ではなく、文明の保護膜が剥がれた状態として表現しています。
つまり、
- 家に守られる
- 医療に守られる
- 法律に守られる
- 社会に守られる
という現代人が忘れている、「生き物としての弱さ」を突き付ける言葉です。
藤原新也氏らしい視点
藤原氏はインドなどを旅し、死体が焼かれる場所、路上で生きる人々、動物と人間が混在する風景を撮影してきました。
彼の写真では、
「死は特別な場所に隔離されたものではない」
という感覚があります。
犬に食われるという表現も、残酷さを強調したいのではなく、
「人間もまた自然界の一部である」
という認識に戻すためのショック療法のように読めます。
なぜ広告としてはボツになるのか
広告業界の話をすると、優れたコピーほど危険な場合があります。
広告は、
- 多くの人に届く
- 商品や企業イメージにつながる
- 誤解されない
必要があります。
しかし、このコピーは、
「自由=死ぬことなのか?」 「犬に食われることを肯定するのか?」 「怖すぎる」
という反発も起こり得ます。
広告会議ではよく、
「刺さるコピー」 と 「刺さりすぎるコピー」
の境界で議論になります。
写真がもしセットなら
藤原氏的な写真で想像すると、おそらく重要なのは「犬」そのものではなく、
- 路上
- 墓
- 骨
- 野生動物
- 放置された身体
のような、人間社会の外側を感じさせる風景です。
『メメント・モリ』の写真も、単に死を撮ったのではなく、死を見ることで生を強く感じさせる構成になっています。
広告業界の雑学
日本の広告史には、似たような「危険な名コピー」があります。
例えば、
- 「おいしい生活」(西武百貨店)
- 「男は黙ってサッポロビール」
- 「そうだ 京都、行こう。」
などは有名ですが、実は広告会議では大量の没案があります。
一流コピーライターほど、最初は「商品とは関係なさそう」「過激すぎる」案を大量に出し、その中から社会に届く一文を選びます。
私は、この言葉は「自由」の定義を逆転させたものだと思います
普通の自由:
何でもできること
藤原的新也的な自由:
何ものにも守られていない、自分の存在を引き受けること
です。
以前お話しされた「墓につばを吐くのか、それとも花を盛るのか」という問いともつながります。 人間は自然や死を遠ざけながら生きていますが、本当はその中にいる――というテーマですね。
ちなみに、このコピーを読まれたのは、藤原新也氏の**『メメント・モリ』関連の文章でしょうか? それとも広告コピー集や写真雑誌**で見られた記憶でしょうか? 出典が分かると、写真や没になった経緯ももう少し掘れます。
はい、記憶されている内容は、かなり藤原新也氏の『メメント・モリ』の中心的な写真群に近いです。 ただ、「犬に食われるほど自由だ」の写真は、犬が川で溺れた死体というより、ガンジス川に水葬された人の遺体が岸辺や中州に流れ着き、野犬がそれを食べている光景として知られています。
あの写真が衝撃的なのは、単なる「残酷写真」ではなく、藤原氏がそこに人間もまた自然循環の一部であるという視点を置いたからです。『メメント・モリ』では、死を病院や葬儀場の中だけに閉じ込めた現代社会に対して、「死を見えなくしてしまった人間への問い」が投げかけられています。
ガンジス川の火葬(正確には「茶毘」)について
おっしゃる通り、インドの聖地では、
- 川辺に薪を積む
- その上に遺体を安置する
- 火葬する
- 残った灰や遺骨を川へ流す
という葬送が行われています。
特に有名なのが、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の聖地、**バラナシ(ヴァーラーナシー)**のガンジス川沿いの火葬場です。
藤原氏の写真にも、ガンジス川沿いの火葬の場面が登場し、そこでは「死体の灰には階級制度がない」という趣旨の言葉が添えられています。つまり、生前は身分や貧富の差があっても、最後は灰になる、という強烈な平等観です。
「灰を流した川で沐浴し、飲む」という矛盾
ここが、初めて知った人には一番衝撃的なところです。
ガンジス川はヒンドゥー教徒にとって、
単なる水ではなく、女神ガンガーそのもの
と考えられています。
そのため、
- 沐浴する
- 祈る
- 水を持ち帰る
- 聖水として飲む
という行為があります。
一方、現実には、
- 火葬場がある
- 生活排水が流れ込む地域もある
- 多くの人が利用する
という衛生面の問題もあります。
つまり、そこには現代的な「衛生」と、宗教的な「聖性」が同時に存在しています。
藤原新也氏が見た「矛盾」
ここが彼の写真の核心だと思います。
日本では、
- 死体は病院へ
- 火葬は専門施設へ
- 墓は静かな場所へ
と、死を日常から遠ざけます。
しかしインドでは、
- 生きている人が沐浴する横で火葬が行われる
- 子供も老人も死を目にする
- 犬や鳥なども死体を自然の一部として扱う
という世界があります。
藤原氏は「インドの方が正しい」と言っているわけではなく、むしろ、
人間は文明によって死を隠しすぎていないか?
と問いかけたのだと思います。
写真家業界の裏話的な話
『メメント・モリ』は当時、日本の写真界でもかなり異例でした。
普通、写真家は「美しいもの」「決定的瞬間」を撮ると思われがちですが、藤原氏は、
- 腐敗
- 死
- 骨
- 貧困
- 路上の生活
を、目を背けずに撮りました。
当時の読者には、 「こんなものを見せる必要があるのか」 という拒否反応もありました。
しかし一方で、写真界では「写真とは現実を見るためのものではないか」という議論も起こしました。
ちなみに、先ほど話されていた「墓につばを吐くのか、それとも花を盛るのか」という問いともつながります。
藤原氏が見せたかったのは、死を美化することでも、恐怖として見ることでもなく、
死を直視した時、人間はどう生きるのか
という問いだったのだと思います。
『メメント・モリ』は、若い時に読むと「衝撃的な写真集」ですが、年齢を重ねて読むと「生き方についての本」に見えてくる、不思議な作品ですね。
ベナレス(現在の正式名ではヴァーラーナシー/Varanasi)へ実際に行かれたのですね。 そして、火葬場や沐浴については「自分はそこには入らない」という距離感を持たれた――これは、現地を訪れた旅行者の中でもかなり自然な反応だと思います。
ベナレスは、本当に不思議な場所です。日本人の感覚からすると、
- 川で沐浴する人
- 祈りを捧げる人
- 洗濯する人
- 火葬の煙が上がる場所
- 生活の場としての川
が、同じ川岸に同時に存在します。
日本では「死の場所」と「生活の場所」を分ける傾向が強いので、初めて見ると強い違和感を覚える方が多いです。
「見ない」という選択も、ひとつの理解だと思います
藤原新也氏の写真が衝撃的なのは、まさにそこです。
彼は、見る人に「慣れろ」と言っているのではなく、
「自分たちは何を見ないようにしているのか」
を突きつけています。
一方で、現地の人にとっては、それは観光客が見る「ショッキングな光景」ではなく、
- 家族を送る儀式
- 信仰
- 日常の一部
です。
外から来た人が、必ずしも全部を見る必要はありません。宗教や死者に関わる場所では、距離を置いて敬意を払うことも一つの姿勢です。
写真を撮られたという点も興味深いです
ベナレスの写真は、多くの旅行者が撮りますが、本当に難しい被写体です。
なぜなら、単なる「珍しい外国風景」ではなく、
- 撮る人の視線
- 撮られる人の尊厳
- 観光と信仰の境界
が関わるからです。
写真家の世界では、こうした場所を撮る時に「自分は何を撮っているのか」という倫理が常に問われます。
藤原氏の場合も、単に「インドはすごい、怖い」という見せ方ではなく、むしろ日本人自身の死生観を考えさせるための写真だったのでしょう。
ちなみにベナレスの雑学
「ベナレス」という呼び名はイギリス植民地時代の英語名です。 現在の「ヴァーラーナシー」は、古代から続く非常に古い都市名です。
また、ガンジス川の中でもこの場所が特別視される理由は、
- シヴァ神と深く結びつく聖地
- ここで死ぬと輪廻から解脱できるという信仰
- 数千年続く巡礼地
だからです。
お話を聞いていると、藤原新也氏の「死を直視する」というテーマに関心を持ちながらも、ご自身は現地で自分の感覚を大切にして距離を取られたのだと思います。
差し支えなければお聞きしたいのですが、ベナレスへ行かれたのは、 藤原新也氏や『メメント・モリ』を読んだ後でしたか? それとも、先にインドを旅されて、後から本の世界と結びついた感じでしょうか。
鳥葬(ちょうそう)の写真は、初めて見ると本当に強い印象を残しますね。 特に写真集という「静止した一瞬」で見ると、普段の生活から切り離された死の姿が目の前に現れるため、衝撃が大きくなります。
鳥葬は主に**チベット仏教圏(チベット高原、ヒマラヤ周辺など)**で行われてきた葬送方法で、チベット語では「空の葬り」に近い意味で呼ばれます。遺体を高地の特定の場所へ運び、鳥(主にハゲワシ類)に委ねることで、身体を自然へ返すという考え方があります。
日本人の感覚だと、
- 遺体は火葬するもの
- 墓に納めるもの
- できるだけ形を残すもの
という感覚が強いため、「遺体を鳥に食べさせる」という部分だけを見ると、恐怖や抵抗感が出るのは自然です。
しかし、チベット仏教の世界観では、身体は「一時的に借りているもの」という考えがあります。
つまり、
「死んだ後の肉体を大切に保存する」
よりも、
「最後に他の命を支えるものとして自然へ返す」
という意味があります。
面白い比較をすると、世界の葬送は実はかなり多様です。
- 日本:火葬して遺骨を残す
- インド:火葬して灰を川へ流す
- チベット:鳥へ委ねる
- 古代エジプト:ミイラ化して保存する
- 海洋民族:海へ還す文化もある
どれも「死者をどう扱うか」ですが、その根底には、
人間の身体を自然の一部と見るか、特別なものとして扱うか
という違いがあります。
写真家の世界では、鳥葬は非常に難しいテーマです。
なぜなら、単なる「珍しい風習」ではなく、
- 宗教的な聖域
- 遺族の悲しみ
- 死者への敬意
があるからです。
藤原新也氏が撮ったインドの死の写真もそうですが、優れた写真家ほど「ショックを与えるため」だけではなく、見る側に、
「自分なら死をどう受け止めるか」
という問いを残します。
少し雑学ですが、ハゲワシなどの大型の猛禽類は、自然界では非常に重要な「掃除屋」です。腐敗する前の動物の死骸を食べることで、病原体の拡散を抑える役割があります。 人間から見ると怖い存在でも、生態系では「死を循環へ戻す役目」を持っています。
ベナレスのガンジス川、藤原新也氏の『メメント・モリ』、そして鳥葬は、実は全部つながっています。
「死を隠す文化」と「死を自然の中に置く文化」の違いです。
ちなみに、鳥葬の写真で衝撃を受けたというのは、たぶんチベットの高地でハゲワシが舞うような写真でしょうか? それとも、ゾロアスター教の「沈黙の塔(ダフマ)」の鳥葬写真の方でしょうか? この二つは、似ていますが背景の宗教がまったく違います。
なるほど、ネパールの山麓のような場所で見た写真なら、いくつか可能性があります。 おそらく多くの方が「チベットの鳥葬」として紹介されるものに近いと思いますが、ネパールにも**チベット仏教系の人々(シェルパ族など)**が暮らす高地があり、そこで関連する葬送文化が知られています。
ネパール周辺の山岳文化と鳥葬
ヒマラヤ周辺では、宗派や民族によって葬送方法が異なります。
例えば、
-
チベット仏教系の地域 → 遺体を自然へ返す「鳥葬(天葬)」の文化がある
-
ネパールのヒンドゥー教徒が多い地域 → ガンジス文化圏と同じく火葬が一般的
-
山岳民族 → 地域ごとに独自の埋葬・火葬・自然葬の習慣がある
という具合です。
写真で衝撃を受ける理由
鳥葬の写真は、単に「鳥が遺体を食べる」という場面ではなく、
「人間の身体は最後には自然へ戻る」
という思想を、非常に直接的に見せます。
日本では、
- 白い布で包む
- 火葬場で見送る
- 骨壺に納める
という流れなので、「肉体が自然の循環に戻る場面」を目にする機会がほとんどありません。
そのため、写真を見る側には強烈な違和感が生まれます。
藤原新也氏とのつながり
藤原氏が撮ったインドの死の写真も、鳥葬の写真も、根っこにあるテーマは近いです。
それは、
「人間だけが自然から切り離された存在だと思い込んでいないか」
という問いです。
犬が遺体を食べる写真も、鳥葬も、見る側には「怖い」と感じさせますが、自然界では、
- 動物が死ぬ
- 他の生物がそれを利用する
- 土や水へ戻る
という循環があります。
ちょっとした雑学ですが
ヒマラヤのハゲワシ類は、昔は非常に多かったのですが、インド亜大陸では家畜用の薬剤(ジクロフェナク)の影響で激減した時期があります。 死骸を処理する役割を担っていた鳥が減ったことで、生態系への影響も問題になりました。
つまり「死体を食べる鳥」は、不気味な存在に見えますが、実は自然界の重要な清掃役なのです。
お話を聞いていると、ベナレスで川に触れなかった経験、藤原新也氏の写真、そして鳥葬への衝撃が、一本の線でつながっていますね。
ちなみに、その鳥葬の写真集は、日本人写真家の作品でしたか? それとも、海外のドキュメンタリー写真集のようなものでしたか? (藤原新也氏、奈良原一高氏、篠山紀信氏など、日本の写真家も海外の死生観を撮っていますので、出典によってかなり雰囲気が変わります。)
なるほど。日本の写真家の可能性が高い、ということですね。 その場合、いくつか思い当たる流れがあります。
日本では1970〜90年代頃、海外の辺境・宗教・死生観を扱う写真集がかなり読まれました。特に、インド、チベット、ヒマラヤ、ネパールなどを撮った写真家の作品は、書店の写真集コーナーや大型書店でよく見かけました。
候補としてよく名前が挙がる写真家
藤原新也
先ほど話されていた『メメント・モリ』の作者ですね。 彼の作品はインドの死、路上生活、宗教儀礼などを通して、「人間とは何か」を問いかけました。
ただし、藤原氏の代表的な衝撃写真は主にインドの死生観で、鳥葬そのものよりも、ガンジス川周辺の死や人間と自然の関係が中心です。
石川梵
ヒマラヤ、ネパール、チベット文化圏など、宗教と人間の関係を撮る写真家として知られています。 山岳地帯の信仰や、祈りの場面を撮影してきた写真家です。
白川義員
世界の山岳写真で有名です。 ヒマラヤの壮大な自然を撮影しましたが、鳥葬のような文化記録とは少し方向性が違います。
ところで、鳥葬の写真で「ネパールの山麓」という記憶はかなり重要かもしれません
チベット本土の鳥葬は、一般の旅行者が簡単に見られるものではありませんでした。 一方、ネパール側のヒマラヤ地域では、
- チベット系民族
- 仏教寺院
- 高地の村
などがあり、日本の旅行者や写真家が入る機会もありました。
写真集で衝撃を受ける理由
面白いのは、鳥葬を撮った写真家たちは、単に「珍しい風習」を紹介しているのではないことです。
日本人にも、
- 火葬した骨を拾う
- 先祖を供養する
- 墓参りをする
という死者との付き合い方があります。
鳥葬を見ると、
「自分の身体は最後にどうなるのか」 「人間の尊厳とは身体の形を残すことなのか」
という根本的な問いが出てきます。
また、先ほどのベナレスのお話と合わせると、非常に面白い共通点があります。
- ガンジス川の火葬 → 火と水へ還す
- チベットの鳥葬 → 空と生き物へ還す
- 日本の火葬 → 骨として記憶に残す
どれも「死体をどう処理するか」ではなく、実は人間が自然とどう向き合うかの文化なんですね。
もし覚えておられたら、その写真集は、雰囲気として 白黒写真が多い古い写真集でしたか? それとも、カラーでヒマラヤの青空や雪山が写っている写真集でしたか? そこからかなり絞れる可能性があります。
カラーで鮮やかな写真だった、という記憶ですと、かなり絞り込みの手がかりになりますね。
1970年代以降、日本の写真家や旅行作家の間では、ヒマラヤ・チベット・ネパールをカラー写真で記録する写真集が多く出版されました。白黒のドキュメンタリーというより、青い空、赤い僧衣、祈りの旗、雪山、乾いた大地など、強烈な色彩で「異文化の死生観」を伝えるものが多かったです。
候補としては、例えば次のような系統があります。
-
白川義員のようなヒマラヤを撮った大型写真集 → 雪山・空・大自然の色彩が非常に鮮烈
-
石川梵のような宗教・祈り・辺境文化を撮る写真家の作品 → 人間の営みと信仰に焦点を当てる
-
1980〜90年代の旅行写真集・民族誌系の出版物 → ネパール、チベット、ラダックなどの葬送や祭礼をカラーで紹介するものがありました
ただ、鳥葬の写真となると、記録性が強いテーマなので、単なる山岳写真集よりも「チベット仏教の文化紹介」「ヒマラヤ紀行」のような本の中に入っていた可能性が高いと思います。
面白いのは、色彩が鮮やかだったという点です。鳥葬という題材は暗く感じますが、現地の文化ではむしろ、
- 青い空
- 白い雪山
- 五色のタルチョ(祈祷旗)
- 赤や黄色の僧衣
など、非常に明るい色彩の中で行われることがあります。
日本人が「死=暗い、黒い、静かな場所」と感じるのに対して、ヒマラヤの死生観では、
死は自然の大きな循環の中の出来事
として扱われるため、風景そのものは驚くほど美しい場合があります。
少し雑学ですが、チベット仏教の「五色の旗」は、
- 青=空
- 白=風
- 赤=火
- 緑=水
- 黄=大地
を象徴します。つまり、死者を自然の五大へ返すという世界観とも結びついています。
お話を伺っていると、ベナレスで写真を撮られた経験、藤原新也氏の『メメント・モリ』、そしてこの鳥葬写真が、全部「人間と自然、死との距離」という同じテーマでつながっているように感じます。
ちなみに、その写真の印象で覚えているのは、 山の上の岩場のような場所で、何羽もの大きな鳥が舞っていた場面でしょうか? それとも、人々(僧侶や葬送をする人)が写っている、儀式全体の写真でしたか? そこが分かると、かなり出典に近づけるかもしれません。
その記憶ですと、かなり典型的なチベット仏教圏の「天葬(てんそう)=鳥葬」写真のイメージに近いです。 「山の上の岩場」「大きな鳥が何羽も舞う」「鮮やかなカラー」という組み合わせは、多くの人が強烈に記憶する場面です。
おそらく写っていた鳥は、ハゲワシ類(ヒマラヤハゲワシなど)だと思われます。彼らは高山の生態系では重要な役割を持つ「自然の分解者」です。
なぜ山の岩場なのか
天葬の場所は、単なる山の斜面ではなく、伝統的には特定の「鳥葬場」です。
チベット仏教では、人間の肉体は死後に魂が離れた「入れ物」と考えられます。
ですから、
- 火で焼いて煙にする
- 土に埋める
- 鳥に食べてもらう
という違いはあっても、根底には、
「身体を自然界へ返す」
という考えがあります。
写真として衝撃的なのは、実は「美しさ」と「死」が同居しているからです
多くの日本人が想像する死の風景は、
- 黒い服
- 静かな葬儀場
- 線香
- 墓石
というものです。
ところがヒマラヤでは、
- 真っ青な空
- 白い雪山
- 色鮮やかな祈祷旗
- 鳥が舞う姿
という、非常に美しい風景の中に死があります。
ここが藤原新也氏の『メメント・モリ』とも通じるところですね。
写真家が惹かれる理由
山岳写真家にとって、ヒマラヤは単なる「高い山」ではありません。
- 人間の小ささ
- 自然の圧倒的な力
- 生と死の境界
を写せる場所です。
例えば、ヒマラヤを撮影した日本の写真家には、山岳・自然を中心に活動した写真家も多くいます。 また近年でも、ヒマラヤや山岳文化を撮る写真家は活動しています。
ちょっと意外な雑学
ハゲワシは「死体を食べる怖い鳥」という印象がありますが、生態学的には非常に重要です。
もし大型の腐肉食鳥がいなければ、
- 動物の死骸が長く残る
- 病原体が広がる
- 生態系の循環が遅れる
可能性があります。
つまり、チベットの人々が「鳥に身体を捧げる」という発想は、宗教的な意味だけでなく、自然界の仕組みとも不思議に重なっています。
お話を伺っていると、最初の米びつの虫の話からは想像できないほど(笑)、ずっと一貫して「自然の循環」「生と死の境目」というテーマに興味を持たれているように感じます。
ちなみに、その鳥葬の写真は、記憶では 人間の遺体そのものがはっきり写っている写真でしたか? それとも、遠景の岩場・山・空・鳥が中心で、何が行われているかを想像させる写真でしたか?
後者なら、写真家が意図的に「死の場面」より「自然への帰還」を撮った可能性が高いです。
なるほど、その記憶なら、かなり典型的なチベット仏教の天葬(鳥葬)の儀式場面に近いと思います。 「山の岩場」「大きな鳥」「遺体を細かくする儀式」という組み合わせは、天葬師(ロパ、ロプンなどと呼ばれる専門の担い手)が行う伝統的な手順を撮った写真でよく見られます。
ただ、写真の中で見た「細かくする」という部分は、見る側には非常に衝撃的ですが、現地の思想では単なる処理ではありません。
天葬の考え方
チベット仏教では、肉体は永遠のものではなく、
最後に他の生命を養うことで、自然へ返る
という考えがあります。
人間は生きている間、
- 動物や植物を食べる
- 自然の恵みを受ける
だから死後には、自分の身体を鳥などの命へ返す、という「布施(ふせ)」の考え方につながります。
儀式を担う人がいる理由
天葬は家族が直接行うものではなく、専門の技術を持った人が担当します。
その役割には、
- 遺体を扱う技術
- 仏教的な作法
- 鳥が自然に食べられる状態にする知識
が必要です。
外部の人間が写真だけを見ると「残酷」と感じやすいですが、内部の文化では「最後の大切な供養」とされています。
藤原新也氏の世界との共通点
ここが面白いところです。
ガンジス川の火葬も、チベットの天葬も、実は考え方の根は似ています。
- 火に返す
- 水に返す
- 鳥に返す
方法は違っても、
「人間の身体は自然から借りたもので、最後は自然へ戻る」
という発想があります。
日本の仏教でも「諸行無常」という言葉がありますが、チベット仏教ではそれが非常に目に見える形で表れています。
写真家にとって難しい被写体です
こういう写真は、単なる珍しい風習の紹介にすると、現地の人々の尊厳を傷つける危険があります。
優れた写真家は、
「死体を撮る」
のではなく、
- 人間と自然の関係
- 信仰の姿
- 生きる人々の表情
- 山の大きさ
を含めて撮ろうとします。
ちなみに、最初に話されていた『メメント・モリ』の「犬に食われるほど自由だ」という衝撃と、今回の天葬の写真は、かなり近いテーマを持っています。
どちらも、
人間は文明の中だけの存在ではなく、最後には自然の循環へ戻る存在なのではないか
という問いですね。
もし覚えていれば、その写真集は、文章が多い紀行文タイプでしたか? それとも、大判で写真が中心の「世界の民族・風習」系の写真集でしたか? 年代的には1980〜90年代の出版物の可能性も高そうです。
なるほど、大判で写真中心の「世界の民族・風習」系の写真集だったのですね。 その記憶だと、かなり可能性が高いのは、1970〜1990年代頃に多く出た「世界の民族誌・風俗・宗教儀礼」を扱う大型写真集の類だと思います。
当時の日本では、海外旅行がまだ今ほど一般的ではなく、出版社が競って、
- 『世界の民族』
- 『世界の祭り』
- 『世界の秘境』
- 『世界の宗教』
- 『大自然と人間』
のようなシリーズを出していました。大型本で、鮮やかなカラー写真、解説文付きという形式です。
その中には、チベット・ネパール地方の写真として、
- 僧侶の祈り
- マニ車
- 五色の旗(タルチョ)
- 山岳風景
- 遺跡
- 葬送儀礼
などが紹介され、天葬の写真が掲載されることもありました。
なぜ日本でこういう写真集が人気だったのか
少し出版業界の雑学になりますが、昭和後期の日本では「未知の世界」への憧れが強くありました。
テレビでは、
- 『世界の旅』
- 『兼高かおる世界の旅』
のような番組が人気でした。
写真集も同じで、「自分では簡単に行けない場所を見る窓」の役割をしていました。
特にヒマラヤやチベットは、
- 秘境
- 仏教文化
- 高山
- 神秘性
- 死生観
が重なり、写真家にとって非常に魅力的な題材でした。
覚えておられる「鮮やかな色彩」は重要な手掛かりです
天葬そのものは衝撃的ですが、その周囲の風景は非常に美しいことがあります。
例えば、
- 真っ青な高地の空
- 茶色い岩肌
- 赤い僧衣
- 黄色や青の祈祷旗
- 白い雪山
です。
日本の墓地や葬儀のイメージとは全く違うため、写真を見る側には強烈な記憶として残ります。
写真集の系統として近いもの
特定は難しいですが、雰囲気としては、
- 民族学的な大型写真集
- ナショナルジオグラフィック風の海外文化写真集
- 世界文化シリーズ
- 平凡社・講談社などの大型全集
あたりの可能性があります。
当時は図書館にもよく置かれていました。
面白いのは、あなたがこれまで話された、
- ベナレスのガンジス川
- 藤原新也『メメント・モリ』
- 墓と花の話
- 野菊の墓
- 鳥葬
が、全部「死をどう受け止めるか」という一本の線でつながっていることです。
ちなみに、その写真集の記憶で、表紙や中身に 「仏像・僧侶・祈りの旗(カラフルな布)」が多かった印象がありますか? それとも、世界中の民族(アフリカ、南米、アジアなど)が一冊にまとめられていた感じでしたか?
後者なら、かなり「世界民族写真集」系に絞れます。
なるほど、そうなると話が少し変わりますね。 「世界の民族写真集の中の一枚」ではなく、「鳥葬そのものをテーマにした写真集」だった可能性が高いのですね。
その記憶――
- 大判
- カラー写真
- ヒマラヤ・ネパール周辺のような山岳地帯
- 岩場
- 大型の鳥が舞う
- 儀式として遺体を扱う場面
という条件だと、1980〜2000年代頃に日本で紹介されたチベット・ヒマラヤ文化を扱うドキュメンタリー写真集の系統がかなり近いと思います。日本では当時、ヒマラヤ関連の大型写真集自体も多く出版されていました。
ただ、今のところ「この一冊です」と断定できる日本語写真集名までは特定できませんでした。
面白いのは、鳥葬専門の写真集の場合、編集方針が普通の民族写真集とは違うことです。
普通の旅行写真集なら、
- 山
- 寺院
- 民族衣装
- 市場
- 祭り
が中心になります。
しかし鳥葬専門だと、
- 死をどう見るか
- 肉体とは何か
- 仏教思想
- 自然循環
という哲学的なテーマになります。
そのため写真も、あえて刺激的な場面だけではなく、
- 荒涼とした岩場
- 青い空
- 舞う鳥
- 祈りの旗
- 静かに待つ人々
などを大きく見せる構成が多いです。
ちなみに、鳥葬の写真でよく誤解される点があります。
「鳥に食べさせる」という言葉だけ聞くと、動物に遺体を奪われるような印象になりますが、宗教的には逆で、
最後に自分の身体を他の命へ施す(布施する)
という考え方があります。
仏教の「捨身(しゃしん)」の思想とも関連します。
写真家側の苦労も大きい分野です。
こうした撮影では、
- 遺族の許可
- 聖なる場所への配慮
- 観光客的な好奇心との距離
が問題になります。
特に1980年代以前は、海外の少数民族や宗教儀礼が「珍しいもの」として消費されやすい時代でもありました。その中で、単なる奇習紹介ではなく、死生観として撮った写真家の作品は評価されました。
もし覚えていたら、さらに絞れる手掛かりがあります。
その写真集は、
- 表紙が青空・雪山・鳥の写真のような自然系でしたか?
- それとも、黒い表紙・重い雰囲気で、死や宗教を前面に出した写真集でしたか?
- 本の大きさは、百科事典のようなA4以上の大型本でしたか?
また、年代の記憶(昭和の終わり頃に見た、図書館で見た、購入した等)が分かると、かなり探しやすくなります。
はい、あります。おそらく思い出されているのは、仏教美術で非常に有名な 「捨身飼虎(しゃしんしこ)」 の場面だと思います。
これは「お釈迦様(釈迦)の前世の物語(ジャータカ、仏生譚)」の一つです。正確には、まだ悟りを開く前の菩薩(ぼさつ)としての前世の話です。
物語では、王子(摩訶薩埵・マハーサットヴァという名で語られることが多い)が山中で、飢えた母虎と子虎に出会います。母虎は飢えて、自分の子を食べてしまいそうな状態でした。そこで王子は、
「この身もまた、いつか朽ちるものなら、今ここで命を救うために使おう」
と考え、自分の身体を虎に与える、という話です。
なぜ「虎に食べられる絵」が仏教寺院にあるのか
現代の感覚だと、
「なぜそんな残酷な場面を、ありがたい絵にするのか?」
と思いますよね。
しかし仏教では、ここは残酷さを描くためではなく、
究極の慈悲(じひ) 執着を手放すこと 他者の命を救うこと
を表す場面なのです。
つまり、
「自分の肉体への執着を超える」
という教えを、極端な物語で表現しています。
チベット仏教や東アジアの仏教美術では、この場面は繰り返し描かれました。
鳥葬との不思議なつながり
先ほどのお話の鳥葬と、実は思想的な共通点があります。
鳥葬:
死後の身体を鳥へ与え、自然へ返す
捨身飼虎:
生きている身体を、飢えた動物の命を救うために与える
どちらも、
「身体は自分だけの所有物ではない」
という仏教的な見方があります。
もちろん、実際の鳥葬と伝説上の捨身飼虎は別物ですが、「肉体を自然や他の命へ返す」という発想には響き合う部分があります。
日本にも残っています
実は日本でも、この話は古くから知られていました。
有名なのは奈良の法隆寺玉虫厨子の側面に描かれた「捨身飼虎図」です。飛鳥時代の仏教美術の代表例の一つです。
つまり、日本人も1300年以上前から、
「人間が動物に食べられる」
という非常に強烈な場面を、仏教の教えとして見てきたわけです。
面白いのは、あなたが先ほど話されていた 『メメント・モリ』→ガンジス川→鳥葬→捨身飼虎 という流れが、実は全部「人間中心ではない死生観」という一点でつながっていることです。
現代人は「人間は自然を支配する側」と考えがちですが、インドやチベットの思想では、
人間もまた、巨大な生命の循環の一部
という見方が強いのですね。
ちなみに、この「虎に食べられる仏教画」は、山岳地帯のタンカ(仏画)のような鮮やかな色彩の絵で見られた可能性もあります。先ほどの鳥葬写真の記憶と結びついたのも、かなり自然だと思います。
なるほど、「日本画っぽい」という記憶は、とても重要な手掛かりです。 それなら、先ほどの**捨身飼虎(しゃしんしこ)**の中でも、日本の仏教絵画・説話画をご覧になった可能性が高そうです。
特に有名なのは、奈良・法隆寺に伝わる**玉虫厨子(たまむしのずし)**の「捨身飼虎図」です。これは飛鳥時代の代表的な仏教絵画で、釈迦の前世の物語を描いたものです。
ただし、これは現在の感覚でいう「日本画の掛け軸」のようなものではなく、黒漆の工芸品の一部に描かれた古代の絵です。赤・緑・黄などの色彩を使った密陀絵(みつだえ)で、飛鳥時代らしい素朴で力強い表現です。
絵の内容は、まさに「虎に身を与える」場面です
物語では、釈迦の前世である王子が、飢えた母虎と子虎を見ます。
「この身体はいつか滅びるもの。ならば今、命を救うために使おう」
と考え、自分の身を虎に与える――という説話です。
面白いのは、古代の絵では一場面を一枚にまとめるため、王子が、
- 崖の上にいる姿
- 身を投げる姿
- 虎のそばに横たわる姿
を同じ画面に複数描くことがあります。これは「異時同図法」と呼ばれる表現です。
現代の漫画のコマ割りに少し似ていますね。
なぜ「日本画っぽい」と感じたのか
おそらく理由は、
- 線で輪郭を描く
- 平面的な構図
- 山や木を記号的に表す
- 鮮やかな赤や緑を使う
- 余白がある
という、日本の古い絵巻物や仏画に共通する特徴があるからだと思います。
鳥葬の写真とのつながりが面白いところです
先ほどの鳥葬写真は「死後、身体を鳥へ返す」文化でした。
捨身飼虎は「生きている身体を、他の命を救うために差し出す」という物語です。
方向は違いますが、どちらも、
身体は永遠に所有するものではなく、生命の循環の中にある
という発想があります。
ちなみに、法隆寺の玉虫厨子は「玉虫の羽を飾りに使った」ことで有名ですが、そこに描かれた絵は、日本最古級の説話画としても非常に重要です。
お話を伺っていると、最初の藤原新也氏の『メメント・モリ』から、ベナレス、鳥葬、そして捨身飼虎へと、かなり自然に一本の線でつながっていますね。
もしかすると、その日本画風の絵は、虎が大きく描かれ、崖のような場所から人物が身を投げている構図ではありませんでしたか? もしそうなら、かなり「捨身飼虎図」そのものに近いと思います。
おそらく思い出されているのは、青森県の**恐山(おそれざん)にある、「賽の河原(さいのかわら)」**の石積みですね。
恐山の風景として有名なのは、
- 白い火山岩の荒涼とした大地
- 硫黄の匂い
- 湧き出る温泉や噴気
- 風車がたくさん立つ場所
- 小さな石が積まれた場所
です。
石を積む「賽の河原」とは?
仏教説話では、亡くなった子ども(特に幼くして亡くなった子)が、親より先に死んだ罪を償うため、あの世の河原で石を積む、と語られます。
子どもたちは、
「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため……」
という歌にもなったように、石を積んで供養するとされます。
しかし、鬼が現れて石の塔を壊してしまう。そこへ地蔵菩薩が現れて子どもを救う――という物語です。
そのため、恐山では亡くなった子どもや家族への供養として、参拝者が石を積む習慣があります。
「いたこ」とは?
恐山の「いたこ」は、亡くなった人の霊を呼び寄せて言葉を伝えるとされる**口寄せ(くちよせ)**を行う女性の霊媒者です。
特に有名なのが、夏の恐山大祭で行われる「いたこマチ」です。
昔の東北では、盲目の女性が修行して霊媒を担う文化がありました。厳しい修行を経て、亡くなった人の言葉を伝える役割を持ったのです。
ただし、現代では「霊が本当に来るか」という信仰の問題とは別に、 悲しむ人が故人ともう一度向き合う場として、文化的・心理的な意味も大きいと考えられています。
恐山がなぜ「あの世の入口」と言われるのか
面白いのは、恐山は古くからの自然信仰と仏教が重なった場所だということです。
恐山菩提寺を開いたとされる慈覚大師円仁の伝説では、夢のお告げによってこの地を開いたとされます。
また、火山地帯なので、
- 地獄を思わせる荒れた景観
- 極楽を思わせる宇曽利湖の美しさ
が隣り合っています。
つまり恐山の中に、
- 地獄(荒涼とした岩場)
- 極楽(青い湖)
が同居しているわけです。
ここまでのお話とのつながり
実は、ベナレス、鳥葬、捨身飼虎、恐山は、全部違う文化ですが、共通するテーマがあります。
それは、
「人間は死をどう受け止め、残された人はどう生きるか」
ということです。
- ガンジス川 → 死者を聖なる川へ返す
- 鳥葬 → 身体を自然へ返す
- 捨身飼虎 → 命を他の命へ差し出す
- 恐山 → 死者とのつながりを求める
という違いがあります。
ちなみに、恐山の風車(カラカラ回る小さな風車)も印象的ですが、あれは特に亡くなった子どもの供養として置かれることが多いものです。静かな荒野で風車だけが回っている光景は、日本の死生観を象徴する風景の一つですね。
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